梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇「鹿島順一劇団」の《魅力》

 「鹿島順一劇団」の《魅力》とは何だろうか。ひと言で言えば、「レンゲソウ」の魅力とでも言えようか。俗に「やはり野に置け蓮華草」と言われるように、「大衆演劇」の《本分》をわきまえている、その《奥ゆかしさ》がたまらない魅力なのである。ある劇場での一コマ、舞台がはねてからの客席での会話。客「素晴らしかった。あなたほどの実力があれば、テレビに出られるでしょ?」座長・三代目鹿島順一(当時は三代目虎順・17歳)「いえ、ボクたちは大衆演劇の役者ですから、テレビには出ません。安い料金で、一人でも多くのお客様に観ていただくのがモットーです。そのために『全身全霊』で頑張ります」。おっしゃる通り。「大衆演劇」の本質は、まず第一に「廉価な入場料」なのである。私が初めて「大衆演劇」を見聞したのは、今から30余年前(昭和47年)、東京・千住の「寿劇場」であったが、当時の入場料は100円前後、それで「前狂言」「歌謡ショー」「切狂言」「舞踊ショー」の魅力を3時間余り、十二分に堪能できたのだから。客筋といえば、地域の老人がほとんどで、客席はまばら、中には寝転がって(音曲を聴いているだけの)老爺・老婆連中も見受けられたほどである。今では、大劇場が常打ち(?)となった、あの「梅澤武生劇団」ですら、当時は、そのような「侘びしい舞台」で場数を踏んでいたのであったが・・・、爾来幾星霜、大きな変遷を遂げたとはいえ、「廉価な入場料」は斯界の伝統として脈々と受け継がれている。平成22年6月、三代目虎順は、三代目鹿島順一を襲名、18歳で座長となったが、その披露公演(大阪・浪花クラブ)でも「廉価な入場料金」(通常料金・1300円)は変わらなかった。まさに「見上げた根性」である。劇団の責任者・甲斐文太(前座長・二代目鹿島順一)が座長時代の口上で、よく口にしていた言葉、「うちの劇団は『地味』です。そのうえ貧乏ひま無し、劇団名は、別に『劇団火の車』とも申します」。文字通り「襤褸は着てても心の錦」、どんな花よりも綺麗な舞台を作り続けているのである。私は、平成19年11月以来、足かけ4年に亘って、この劇団の舞台を見聞してきたが、「日にち毎日」の観客数は(平均すると)20人~30人程度であろうか、お世辞にも「人気劇団」とは言えない。だがしかし、である。「鹿島順一劇団」の面々は、観客数の多寡など歯牙にも掛けない。つねに「全身全霊」で舞台を務める、その姿は感動的であり、また、たまらない《魅力》なのである。三代目鹿島順一が虎順時代に口上でいわく、「今日は20人ものお客様に観ていただきました。ありがたいことでございます」。大衆演劇の「大衆」(観客)は、なぜか「客の入り具合」で、劇団の良し悪しを評価しているようだが、私は違う。落ち着いた、静かな雰囲気の中で、ゆっくりと舞台の景色を堪能できる方が、どれだけ楽しいか。あえて「大入りにしない」こと、それも劇団の「実力」(懐の深さ)のうちだと確信している。さて、肝腎の「舞台模様」だが、「鹿島順一劇団」の芝居は、天下一品である。俗に「十八番」というが、「浜松情話」「春木の女」「噂の女」「大岡政談・命の架け橋」「男の盃・三浦屋孫次郎の最後」「雪の信濃路・忠治御用旅」、「仇討ち絵巻・女装男子」「長ドス仁義」「大江戸裏話・三人芝居」「新月桂川」「月とすっぽん」「心模様」「会津の小鉄」「マリア観音」「悲恋夫婦橋」「越中山中母恋鴉」「里恋峠」「源太時雨」(以上十八番)、その他に「悲恋流れ星」「アヒルの子」「幻八九三」「孝心五月雨笠」「木曽節三度笠」「花の喧嘩状」「上州百両首・月夜の一文銭」「明治六年」「恋の辻占」「仲乗り新三」「浮世人情比べ」「人生花舞台」「関取千両幟」・・・等々といった「名舞台」が「目白押し」である。しかも、その芝居の、配役(「主役」「脇役」「ちょい役」「その他大勢」)は、変幻自在に入れ替わる。「主役はあくまで座長」といったこだわりとは無縁、それぞれの「個性」にあわせて「適材適所」に役者が配される。そのことによって、役者一人一人は、舞台の中で(たとえ、「その他大勢」「ちょい役」であっても)「なくてはならない存在」に変化(へんげ)してしまう。結果、役者の「個性」に磨きがかけられ、彼らの魅力は倍増する。筋書は単純、何の変哲もない定番の芝居であっても、「鹿島順一劇団」の舞台は、つねに輝いている。たとえば「噂の女」、たとえば「越中山中母恋鴉」、たとえば「春木の女」、たとえば「悲恋流れ星」等々、私は、他の劇団の舞台を見聞しているが、その出来栄えは「一味も二味も違っていた」のである。その違いとは、役者の光り具合、また役者相互の「呼吸」(間)の素晴らしさではないか、と私は思う。「鹿島順一劇団」の舞台には、隙がない。役者一人一人が寸分違わぬ「呼吸」によって、演技を展開する。その「呼吸」こそが、技の巧拙を払拭してしまうのだ。拙い技は、拙いなりに「個性」として魅力を発揮するのである。責任者・甲斐文太は、座長時代、口上でいわく「役者は、未経験者(素人)の方が伸びます。色に染まっていると、かえって育てにくいものです」おっしゃる通り、その劇団の芝居は、その劇団の「呼吸」(チームワーク)で作り上げるものだからである。事実、春日舞子、梅之枝健の初舞台は19歳、花道あきらは20歳すぎ、春夏悠生は18歳?、赤胴誠、壬剣天音は15歳、幼紅葉は13歳であり、いずれも出自は「役者の家系」ではなかった(未経験者・素人)に違いない。にもかかわらず、寸分違わぬ呼吸で演技を展開できるのは、まさに責任者・甲斐文太の指導力(演出力)の賜物であろう。事実、この3年間に遂げた、赤胴誠、春夏悠生、幼紅葉ら、若手・新人の「変化(へんげ)」(成長)振りには、目を見張るものがあった。そんなわけで、「鹿島順一劇団」の《魅力》の真髄は、まず、何を措いても「芝居の素晴らしさ」にある、と私は思う。さらに言えば、役者のチームワークに加えて、「音響効果」(効果音・BGMの選曲)も、お見事、その一つ一つを詳説することはできないが、「春木の女」の浜辺に流れる大漁節?、「仲乗り新三」の木曽節、「月とすっぽん」の会津磐梯山、「仇討ち絵巻・女装男子」の弁天小僧菊之助・・・等々、その音曲を耳にしただけで、舞台模様が彷彿とするのである。芝居にせよ、舞踊・歌謡ショーにせよ、「音響」の美しさは一つの「決め手」であろう。化粧、衣装は「視覚」の美、音響、音曲は「聴覚」の美、いずれも舞台に「不可欠」な「小道具」だが、ややもすると「聴覚」の美は軽視されがち、とりわけ歌謡・舞踊ショーでの「音響」は、なぜか(多くの劇団で)、マックス・ボリュームで耳をつんざくほどの騒々しさが目立つ。「鹿島順一劇団」の「音響」は(劇場にもよるが)おおむね「ほどよく」調整されている。その中で展開される、組舞踊、個人舞踊、歌唱の数々は、まさに《至芸の宝庫》といった有様で、たいそう魅力的である。組舞踊では、伝統的な「筏流し」、座長(面踊り)中心の「お祭りマンボ」を初め、ラストショーの「忠臣蔵」(歌・甲斐文太)「人生劇場」「花の幡随院」「珍島物語」、個人舞踊では、三代目鹿島順一の「忠義ざくら」「蟹工船」(歌・甲斐文太)「大利根無情」、甲斐文太の「弥太郎笠」「冬牡丹」「安宅の松風」「浪花しぐれ『桂春団治』」「ど阿呆浪花華」「河内おとこ節」、春日舞子の「ああいい女」(歌・甲斐文太)「深川」「芸道一代」、花道あきらの「ある女の詩」・・・等々、珠玉の「名品」が綺羅星の如く居並んでいる。加えて、責任者・甲斐文太の歌唱は、プロ歌手以上の《魅力》を発揮する。レパートリーは広く、「すきま風」「冬牡丹」「男の人生」「明日の詩」、「北の蛍」「恋あざみ」「よさこい慕情」「大阪レイン」「無法松の一生」「蟹工船」「瞼の母」「カスマプゲ」「釜山港へ帰れ」「ああいい女」「刃傷松の廊下」「酒よ」「雪国」「男はつらいよ」・・・等々、数え上げればきりがないが、その歌声の一つ一つは、しっかりと私の心中に刻み込まれて、消えることがないのである。なるほど、舞踊にせよ歌唱にせよ、ショーとしての「派手さ」はない。今様の「洋舞」も少ない。しかし、その(一見、侘しげな)「地味さ」の中に、じわじわと沁みこんでくる、伝統的な大衆芸能のエキス(魅力)が隠されていることは間違いない。
さて、(結びに)「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》とは何だろうか。これまで述べてきた、芝居の「名舞台」、舞踊・歌謡ショー、「至芸」の数々はすべて「幻(まぼろし)」、「仕掛け花火に似た命」、「みんな儚い水の泡沫」で終わる、という《魅力》である。多くの劇団が、舞台模様(歌声)を、CD、VHS、DVDなどに記録・保存・販売しようとしている中で、責任者・甲斐文太は、そのことには全く「無頓着」、周囲からの勧めにも一切応じない(?)かに見える。結果、「鹿島順一劇団」の舞台は、直接、劇場に赴いて鑑賞するほかはない。見事だと思う。あっぱれだと思う。なぜなら、芝居も、舞踊も、歌唱も、本来、すべてが「観客」との「呼吸」で仕上げられる、その場限りの(共同)「作品」に他ならず、それを記録・保存することなどできよう筈がないからである。CD、VHS、DVDに残された音声、映像などは、その「抜け殻」「絞りかす」に過ぎない、といった、文字通りの「滅びの美学」、それこそが「鹿島順一劇団」、極め付きの《魅力》ではないだろうか、と私は思う。(2011.7.4)