梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「旧約聖書」・《創世記》

 「旧約聖書・1955年改訳」(日本聖書協会)の【創世記】を読み終えた。「聖書」とは、「バイブル」の訳語だが、「バイブル」とはもともと「ブック」(本)という意味で、宗教的な匂いはない。50章から成るが、そこに登場する人々は、古代に生活する「普通の人」に過ぎない。第1章は、「はじめに神は天と地を創造した」という一文から始まり、天地創造が終わるまでに6日かかったことが記されている。第2章で「人(男と女)」が登場し、エデンの園での「幸せな」生活が始まる。神は人に対して「あなたはどの木からも心のままに取ってたべてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない、それを取って食べると死ぬであろう。」と命じた。しかし、第3章では、女が蛇に騙されて禁断の実を食べ、男も食べた。その結果、女はを産む苦しみを負い、男は地を耕して働かなければならなくなる。エデンの園を追い出され、最後は死んで土に還ることとなった。初めに登場した男女がアダムとエバ。エバは身ごもり、カインとアベルを産んだ。カインは土を耕し、アベルは羊を飼う者となり、それぞれ神に供え物をしたが、神はカインの供え物を顧みなかったので、カインは憤り、アベルを殺す。人類最初の「殺人」である。
 その後、カインの末裔は増え続け、人々は神の存在を無視するようになった。そこで神は洪水を起こし、唯一神を信じるノアの一家族、家畜を除いて、すべての生き物を滅ぼした。このノアの家系から、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフといった人物(父系家族)が次々と登場する。いずれも、神を信じ、神と交流できる人たちだ。一方、彼ら以外の人々は、相変わらず、ほとんど神を信じない、神の存在を知らないで生きている。
 興味深い点は、神を信じる者でさえも、「普通の」罪深い(虚偽、詐欺、姦淫、殺人等)生活を送っているということだ。それに対して、神はどう向き合うのか。その罪を許すのか、許さないのか。「神を信じない」ものの罪は許さないが、神を信じる者の罪は許しているように思われるがどうか。「出エジプト記」以降を読み進めながら、考えてみたい。
(2021.10.23)