梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・15

【要約】
3)解釈と仮説
 以下に述べるのは、われわれの解釈およびそれに基づく臨床仮説である。この考えの基礎にあるのは、既述した「1章1節5)新しい見方」や3章で紹介する資料などに含まれた見方である。
⑴正常発達(既述したA~Hの行動項目参照)
・H(言語)はG(模倣)に依存し、Gの基礎にはC(愛着)とE(探索・人への働きかけ・人とのやりとりを楽しむ反応)がある。Eが外に向かったのがF(社会化)であり、Cが脅かされる不利な状況でかえってはっきり示されたのがD(恐れ・不安)である。B(むずかっておとなを動かす)はA(反射)が母親に強化されたものであり、Aが親とのやりとりで育ったものがC(人に対する格別な興味、信頼・依存・愛着)である。
・A→B→C(=D)→E(=F)→G→Hという図になるが、矢印の部分は、つねに母親との相互反応によって推進される。そこでは、内発的に動機づけられた活発な子どもの活動と、子どもの活動の中に、内容的にもタイミング的にも、即応した、親からの反応が不可欠である。
⑵臨床例の特徴(発達に問題をもった子どもにみられる行動項目)
・おおまかにみれば、問題児の行動項目A ' B 'C'1-2 D' E' G' H' は、それぞれ正常児のA
BCDEGHを“裏返”したものだとみることができる。Iにあげた項目は、通常は、人間関係の発達によって自然に消滅していく、自己や物とのつながりが存続ないし増大した結果と考えることができよう。
・何歳の子どもであろうと、よく調べてみれば、その子はいままでいちども、CDEFGなどの行動をはっきり示した時期がなかったとか、あるいは一時期それらしいものがあったが、それが衰退してしまっているというのである。そういう発達段階をちゃんと経ていないのである。いわば、そういうことをまだ“習っていない”のであり、卒業していないのである。それは、ほんとうは、年齢とは何の関係もないことなのである。これは要するに、人間同士のコミュニケーションを成立させる人間関係がまだできていない、ということである。ことばを覚えるのに必要な、習い方(学習態勢)が身につかなかったということであり、その“習い方”を覚えるのに必要不可欠な人関係がうまく成立しなかったということである。
⑶臨床仮説
・A’~Iにあげられているような特徴がめだつのは、依存的・愛着的人関係、およびその後それを基盤にして発達してくる各種の能力や関係(感覚情報処理能力、積極的探索、社会化、同一化、学習、コミュニケーションなど)の育ち方に遅れやかたよりが生じていることを示している。
・もしそうだとすれば、年齢に関係なく、いまから、できるだけの力を尽くして、育てるべきものが育つような手だてをしてやることである。
4)指導方針と方法
・育ちそびれた人関係を育てることをねらいとする。
・人の存在に気づかせ、人への関心や興味を育て、その人と共にいることの楽しさやその人とのやりとりをすることの喜びを体得することを心がける。
・臨床指導の出発点は、つねに、本日ただいまのその子の状態である。乳児と違って、その子はもう何年も生きてきた。その間に、自分の体や物とつながって自分なりの活動の世界をつくってきている。乳児と違って、自分で歩き回っておもしろそうなことをひとりでさがすこともできるし、物を操作して楽しむ運動能力もじゅうぶんもっている。その子に、人に気づいてもらい、人の方に気持ちを向けてもらうには、2つのアプローチが考えられる。
⑴物を含む活動
・物や動作を通して人に気づかせることを考える。子どもと物との間で行われている遊びに介入し、あるいはそのそばについていてその中に加わり、ひとつの役割をとってそれを促進し、干渉し、またはその模倣をするなどの方法をとる。
・これはもっともよく行われる方法であろうが、われわれには、むずかしく、効果があげにくい。物とのつながりが強いほど人に気づいてもらいにくく、ちょっと気づかれても、すぐにまた無視されやすい。結果的には、人関係が育つのに役立つ部分が乏しい。かえって子どもにじゃまがられやすい。そのような活動の中で人につながる行動の芽を目ざとく見いだし、育てることは、高度の臨床的修練を必要とする難事である。
⑵人との活動
・物を介さず、相手が直接人であって、子どもが喜び、うれしがり、安定するような活動をさがし、開拓する。乳児を育てている母親が、無意識的にあやし行動としている活動を参考にして、いろいろ試み、子どもが喜ぶかぎり続けるようにする。もし、そこからその人が突然“蒸発”したら、その瞬間に、その喜びのすべてが消えてしまう活動ほどよい。
⑶活動の量
・総量としては1千時間くらいを目標にする。
⑷物と遊ぶ時間をへらす
・物や自分の体の一部を相手に遊んで安定している時間は、人関係を育てることには直接役にたっていないものと考え、ゼロと計算する。物にはTVの画像や音、音楽、自分の声なども含まれる。物と遊ぶことをすべてやめさせてしまう必要はないが、なるべく少ない方がよい。
⑸罰をへらす
・物と安定して遊んでいるときに、禁止したり中断させたり体罰などの不快を与えたりすることは、人に対する信頼・愛着を育てるうえには、マイナスの効果をもつと考えられるので、これは少ないほどよい。禁止や罰を全体として少なくするくふうをする。
5)経過と結果
・劇的かつ急速な変化がみられることが多い。(2章・臨床事例参照)
・表4 母子関係がよくなってきたと思われるときによくみられる行動症状の項目(略)
・一般に、“正常発達”のパターンにわりあいよく準じた発達経過を示すのが興味深い。
・まずよく泣くようになり、泣き方が多様になり、人と視線が合うようになり、人声に注意を向けるようになるなどの行動が見られはじめ、ついで、人になつき、甘え、そばにいたがり、要求がふえ、やりとりを楽しむなどのことが現れ、ついで、人の動作の模倣、母親からきょうだいから他の友だちへの関係のひろがり、ことばの使用などが現れてくる。
・いわゆる“異常な”行動や妙なくせなどは、だいたい、人関係が成立・充実・発展してくるにつれて、“いつのまにか”ひとりでに“わすれたように”消えて行く。


【感想】
 以上が著者の「臨床仮説」「指導方針と方法」「経過と結果」であるが、たいへんわかりやすく、また(私には)納得できる。要するに、「自閉症」という問題の要因は「人から学ぶ」という学習態勢の欠如・不足・未熟さにあるという指摘であり、その解決(治療)にあたっては、まず「育ちそびれた人関係を育てる」ことをねらいとする。その方法として、「物を介さず、相手が人であって、子どもが喜び、うれしがり、安定するような活動」を「総量として1千時間くらい」行う。(活動例は3章・資料に89例示されている)その経過を、135項目にわたる「行動(症状)」をもとに観察する。
 あとは「実践・検証あるのみ」というところだが、はたして《誰が》実践するか、この学説が「人口に膾炙されない」のはなぜか、それが(私にとっては)当面の問題である。(2014.5.9)