梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・16

6)残された課題と問題点
【感想】
  著者は、今後の研究課題として、29項目列挙しているが、その中から私の独断と偏見で抜粋すると、以下の通りである。また、それぞれの課題について、私なりの《所見》も加えたい。
A 人関係と症状
⑴人関係の(“構造”の変化)発達の過程のどの時期に、どの面に、どのような偏りができたときに、他のどのような条件と関係して、いつどのような行動面の症状が現れるのか。
《所見》
・「新生児期」に、産声および反射的泣き声の程度はどうであったか。その泣き声に対して、親はどのように対応したか。子どもにとって「泣く」ことは「生きる」(発達する)ための必須の条件であるが、親は「泣く」ことを不安がり、「泣かない」ことを安心する
傾向はないか。現在の育児法では「紙オムツ」の使用が常態化しており、子どもが排尿による不快を訴えて「泣く」機会は激減しているように思われる。親の側に「泣かせまい」、「夜泣きから解放されて安眠したい」といった《偏り》はないか。
⑵臨床的には、ある種の行動面がとくに目立つ“類型”があるように思われるが、それはどういうことか。
《所見》
・「ある種の行動面」とは、胎生期、新生児期、乳児期に特有な「自己探索行動」ではないだろうか。人関係が発達すれば、探索の対象が自己以外に拡大していくが、それがそのまま残留・停滞し、「常同行動」として定着してしまう、ということではないだろうか。「ある種の行動」は、子どもの「個性」によって「前庭覚系」「触覚系」「聴覚系」「視覚系」「嗅覚系」「味覚系」等に“類型”化されようが、それを「分類」することに大きな意味があるとは思えない。
⑶人関係の発達促進のむずかしい子や、退行を示す子がいる。これはどういうことか。
《所見》
・人関係は、子ども一人で発達するものではない。親子の「相互交渉」が不可欠だが、親の側に「子どもの表情が読み取れない」「子どもの発信を受けとめられない」「子どもにこちらの気持ちを伝えられない」「子どもを安心させられない」などといった欠陥があれば、人関係の発達はむずかしくなる。現代では「あやす」ことを知らない母親が増えていると言われているが、まず「親のあり方」の方を問題とすべきではないだろうか。「退行」を示す子は、明らかに「親に依存し」「親からの関わり」を求めていることを見落としてはならない、と思う。
⑸指しゃぶり、人を噛むこと、提示行為(指さし)などの行動は、どのような背景のもとに現れるのか。
・それらの行動は、いずれも「人関係」が正常に発達していることの《証し》である。「指しゃぶり」の指は、母親の乳首の代用品であり、母への愛着行動と変わりがない。人恋しさの現れである。「噛む」ことは、相手を意識し、攻撃を加えて「反応」を見る、自発的な接近(関わり)の第一歩である。「指さし」は、相手との間に「気持ちのつながり」ができ、それをシンボル・サインで交わし合えるようになった、ということである。したがって、それらの行動は、親や周囲の人との「正常な人間関係」を背景として現れる。
B 診断法
⑴生育歴調査で有効にチェックしうる見どころとして、臨床的意義のもっとも大きいもの
を10項目あげるとすれば、それは何か。
《所見》
①胎生期、母胎、胎児の状態は「順調」であったか。
②生後、まもなく泣いたか。
③泣き声は、強く、大きく、またその「声音」「抑揚」は変化していったか。
④機嫌のよいとき声を出したか。(アー、ウー、オックン等)
⑤新生児期から乳児期にかけて、微笑むことがあったか。
⑥あやすと(声を出して)笑ったか。
⑦「抱き癖」がついたか。
⑧「添い寝」の習慣がついたか。
⑨「人見知り」をしたか。
⑩「指さし」をしたか。
 以上が、私の考えた10項目である。
⑷純音聴力検査による末梢聴力の感度検査法の手順と所見は、どう解釈し、どう利用しうるか。
《所見》
・「純音聴力検査」は、まず①60~70dB程度の純音を(新生児に)聞かせ「反射反応」を見る。瞼を動かす、手足を動かす、音のした方に顔を動かす、などの反応があれば「聞こえているだろう」と判断する。次に②二つの音源(の一つ)から純音を(乳児に)聞かせ、「詮索反射」(音源を見るか)を見る。その時、初めは音の出ている音源に「光」を添える。次第に、「光」をなくし、音がしただけで「音源」を見れば、「聞こえている」と判断する。さらに③幼児に純音を聞かせ、ボタンを押したら電車が動き出すような装置を使って、「音がしたらボタンを押す」という条件付け学習を行わせる。この学習が成立すると、0dBから120dBまでの純音で感度(聴力)を測定することが可能になり、「聴力が正常であるかどうか」を正確に判断できるようになる。最後は④学齢児以上の子どもに対して、オーディオメーターを使って実施する。この方法は、音が聞こえたら手を挙げる、ボタンを押す、などの「約束」を説明して行う。
・以上の手順の中で、②は子どもが「音源の前で静止」し、音源に注目できることが条件となるが、いわゆる「自由遊び」(「行動観察」)の場面で、検査者が発した音に子どもが注目すれば「聞こえている」と判断することも可能である。
・しかし、手順の③は、「条件付け学習」に基づくので、検査者との「人間関係」(ラポート)が必要であり、とりわけ④は「約束」の理解が不可欠になる。
・この手順は、「反射」から「詮索反応」、さらに「条件付け学習」から「約束」(ルールの理解)へ、といった「発達のプロセス」を踏まえているので、子どもの「発達診断」に
利用できる。対象が自閉症児の場合、①②までは応じるが、③以降からはむずかしくなるだろう。しかし、「人関係」の発達によって、③に応じることができるようになり、④も可能になったとすれば、症状が「改善」されてきたことの証しになる。
⑸ITPA, WPPSI などの能力分析的テストやその下位項目に対する子どもの反応や拒否を、臨床的に役立つように意味づけることができるか。
《所見》
・「人関係」に問題が生じている子どもの場合、「視覚回路」の下位項目に比べて「聴覚回路」が劣る、また「運動回路」に比べて「音声回路」が劣る、さらに「動作性検査」に比べて「言語性検査」が劣る、といった傾向が強いようである。また、その傾向は、検査者との「人間関係」(ラポート)に左右されることも多い。「聴覚音声回路」「言語性検査」は、素材が「検査者」という人間であり、①検査者に注目する、②検査者の指示を理解する、③検査者の指示に応じる、ことが必須の条件になるからである。
・それゆえ、ITPA, WPPSI などの能力分析的テストの検査者には、子どもの反応を最大限に引き出す「手腕」が問われることになるだろう。子どもの「拒否」は、検査者自身の「未熟」の現れであり、それを子どもの「能力判定」に使わないことが肝要である。検査の結果は、「少なくともその結果以下ではない」と解釈すべきである。しかし、「その結果以上ではない」と決めつけているのが現状ではないだろうか。
・また、それらのテストにおいては、子どもの「誤反応」に注目すべきである。子どもが、「検査に応じて」誤ったとすれば、その「誤り方」が、子どもの現状を物語ってくれている。それが、子どもの「真の姿」であり、そこから次へのヒントが示唆されるからである。少なくとも、子どもが「検査に応じた」ことは、それだけで「正解」であると《評価》しなければならない、と私は思う。(2014.5.10)