梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「原爆投下、若者の25%容認」?

 東京新聞8月5日付け朝刊に、中国新聞社が実施した被爆六十年のアンケート結果が「広島でも進む風化」というタイトルで紹介されていた。「次世代への体験継承がうまくできていないと感じる被爆者と若者がともに三割を超す」ことは分かったが、原爆投下の是非に関する回答には、疑問が生じた。若者の25.3%、被爆者の18.9%が「戦争中でやむを得なかった」と「容認・受忍」し、一方、「許せない」は、若者が13.9%、被爆者が23.2%だったという結果をどのように考えればよいのだろうか。
 是か非かという設問は二者択一なので、是でなければ非、非でなければ是であるはずだが、数値を見る限り、若者であれ被爆者であれ、「容認・受忍」と「許せない」を合計しても100%にはならない。つまり、若者の49.2%、被爆者の42.1%は「是でも非でもない」(わからない)ということになるのだろうか。
 特に、被爆者の「許せない」が、23.2%に「過ぎなかった」ことをどのように考えればよいのだろうか。
私たちにとって大切なことは、過去の体験を将来に活かす「知恵」(判断力)を養うことであり、中国新聞社のアンケートがそのような目的で実施されたことは言うまでもないだろう。
だとすれば、今回のアンケートには、不可欠な「設問」が一つ欠けていたと、私は思う。
「あなたは、今後、自他ともに『原爆』(核兵器)を使用することを容認できますか?」 過去の原爆投下を容認した25%の若者は、将来にわたっても「やむを得ない」と容認することができるだろうか。(2005.8.5)