梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

大衆演劇・芝居「長崎物語」(藤間智太郎劇団)

【藤間劇団】(座長・藤間智太郎)〈平成23年11月公演・佐倉湯ぱらだいす〉
相変わらず、この劇場の客席は閑散としている。土曜日の昼だというのに観客数は20人弱・・・。夜の部ともなれば10人以下になることもしばしばだとか。この前などは、開演時刻になっても4人しかいない。急遽、芝居はとりやめ、舞踊ショーだけになってしまった。観客(常連)の多くは、「原因は、劇場の方にある」と思っている。要するに、劇場が「客を集める努力をしていないからだ」ということ、事実、今日も私が入場券をフロントで手渡そうとしたとき、従業員の女性は「電話をかけながら」ロッカーキーを差し出す始末で、「いらっしゃいませ」の一言もなかった。加えて、そのロッカーキーは「女性用」ときている。なるほど、常連客が怒るのも、もっともな話である。にもかかわらず、舞台の上は別世界、今日もまた「藤間劇団」極上の芝居を二つ、(幸運にも)堪能できたのである。昼の部の外題は「馬喰一代」。馬市で自分の育てた馬が三十両で売れた馬喰(座長・藤間智太郎)から、土地の親分(初代藤間新太郎)が、その売上金ばかりか恋女房(藤間あおい)までも騙し取るというお話。その方法は、常道のイカサマ博打、壷を振ったのが馬喰の親友(橘文若)という設定で、この四人の「絡み」は絶妙の呼吸で、寸分の隙もない見事な舞台模様であった。圧巻は、初代藤間新太郎の「悪役」振り、「御祝儀博打」と言いながら、はじめは五両、次は二十五両、最後は女房まで奪い取ろうとする、その手口の鮮やかさ(あくどさ)はお見事、さすがは初代、永年の舞台経験で鍛え上げた風格、貫禄に、私は惚れ惚れとしてしまった。さればこそ、馬喰の軽率さ、親友の悔恨、恋女房の哀れさが、いっそう際立つのである。役者の台詞回しではなく、表情、所作、絡みだけで「悲劇」を描出する、極上の芝居に仕上がっていた、と私は思う。夜の部の外題は「長崎物語」。幕が上がると、けたたましい女の悲鳴、札付きのワル、上海の虎(藤間あおい)が、長襦袢姿の娘(藤間くるみ)を拉致しようと追いかけてきた。助けに入ったのが着流しの遊び人(松竹町子)。「いったいこの娘さんをどうしようとするんです」「上海に売り飛ばすんだ!」「へええ、この娘(と、まじまじと顔を見つめながら)、売れるんですか」「若けりゃあ売れるんだよ、顔は少々不細工でも」といったやり取りがなんとも面白かった。遊び人、娘をかばって立ち回ったが、多勢に無勢、虎の仲間に絡めとられ、海に投げ込まれてしまった。そこに表われたのが朴歯を履いた書生(藤間あゆむ)、「待ちたまえ、その娘さんをどうするのだ」虎「いろんな奴が出てきやがる。娘は上海に売り飛ばすんだ」「人身売買は法律で禁止されている。やめたまえ」「・・・何?」などという絡みも魅力的、同様に立ち回りとなったが、今度は書生が優勢、虎、ピストルを持ち出したが、それを奪い取ると娘を連れて花道へ、振り向きざまに一発発射、虎はあえなく崩れ落ちた。虎を演じた藤間あおい、姑(?)松竹町子同様に、「立ち役」を、なんなりとこなす。娘役、女房役、老け役、「立ち役」二枚目、敵役、何でもござれの名優である。札付きのワル・虎においても、その歯切れのよい風情がたいそう魅力的であった。舞台は替わって、ここは長崎の料亭「海賊亭」。件の書生、娘を連れてやってくる。「ただいま、お母さん、今、帰りました」。出てきたのは女主人・お春(座長・藤間智太郎)。座長の女形姿を芝居で観るのは初めてであったが、今日の役どころにはピッタリで、たちまち、その艶姿に魅せられてしまった。聞けば、娘の窮地を救った由、「いいことをしなすった。このお菓子をたべて、一休みしなさい」「ありがとう。おかあさんの手作りですね」「ちがうわよ、コンビニで買ったのよ」という絡みが笑いを誘う。「おかあさん、この娘さんに着物を貸してあげてください」「いいわよ」「おかあさん、地味でない着物がありますか」「まあ、失礼な、なんなら花魁の衣装、出してきましょうか」などと言いながら一同退場。やってきたのが、鳥打帽の警吏(橘文若)、どうやら海賊亭の常連らしい。「ごめんください、お春さん」出てきたお春「まあ、タチバナサン!まだお店は開いていませんよ」「いえ、今日は違うんです。息子さんに聞きたいことがあってきました。メリケン波止場で殺人があり、息子さんが逃げていったという話があるんです」「あらそうですか、息子はまだ帰っていませんよ」。入れ替わりにやってきたのが、どこかの女中頭(星空ひかる)、「大蔵卿・種島某(初代藤間新太郎)の使いで来ました。大蔵卿が息子さんに会いたい由・・・」。実を言えば、件の書生はお春の「拾い子」、大蔵卿が妾腹の実子であったのだ。お春「今さら、そんな話は聞けません」と追い返すが、よく考えれば、息子は殺人犯、書生に真相を明かした上、「お父様に助けてもらいなさい」と因果を含める。書生は泣く泣く大蔵卿のもとへ参上、「親子名乗り」を果たしたが、そこへやってきたのが警吏、「息子さんを殺人容疑で逮捕します」。書生「お父さん、助けてください」と縋ったが、大蔵卿、冷淡にも「人殺しの息子など、見たくもない。さっさと連れて行け」さっき「親子名乗り」で抱き閉めてくれた父親が、手のひらを返すような仕打ちに書生は激昂したが、万事休す、あわれな曳かれ身となった。大詰めは、メリケン波止場、書生を見送るお春と娘、「お母さん、罪を償って帰ってきたら、家に入れてくれますか」「もちろんですとも、私は育ての親、あんな薄情なお父さんとは違います」などと言葉を交わしているところに、序幕の遊び人、ふらりと登場する。「警吏さん、その書生さんは犯人じゃあありませんぜ」「・・・?、では、だれが犯人だというのか」「あっしですよ。上海の虎の傷を見ましたか?たしか、背中にあったはずですよ。あっしが海から這い上がり、後ろから撃ったんだ」一同は唖然、収まらないのはお春、「いいかげんにしないか、タチバナサン!」といって警吏を突き飛ばす。その様子は痛快の極致、わずか二十人弱だが観客の拍手は鳴り止まなかった。警吏に手錠をはめられながら遊び人曰く、「タチバナサン、手錠をはめるの慣れていませんね。いつもはめられる方だから・・・」という「落ち」も添えられて、めでたしめでたし、極上の舞台は大団円を迎えたのであった。この芝居、座長・藤間智太郎のお春を筆頭に、上海の虎の藤間あおい、遊び人の松竹町子、書生の藤間あゆむ、大蔵卿の初代藤間新太郎、女中の星空ひかる、娘の藤くるみ、虎の部下・藤こうたに至るまで(主役から端役まで)、全員が文字通り「適材適所」、オールスターで輝いていた。まさに「極上」の芝居が、人知れず、閑散とした劇場の中で展開されている。それが「大衆演劇」の宿命(真髄)なのかもしれない、と思いつつ、季節外れの驟雨の中帰路についた次第である。
(2011.11.26)