梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「ストロンボリ 神の土地」(監督・ロベルト・ロッセリーニ・1950年)

 この映画は女優イングリッド・バーグマンが、監督ロベルト・ロッセリーニの作品を観て感動、自分もぜひこの監督の下で演技したいと思い、直接、懇願して出来上がったものだそうだ。なるほど、冒頭から結末まで、カメラは「舐めるように」イングリッド・バーグマンの姿を追い、ほとんど「一人芝居」に近い内容であった。
 登場人物はイタリアの難民キャンプに居るカリン(イングリッド・バーグマン)と、隣接する捕虜収容所の元兵士アントニオ(マリオ・ピターレ)の二人が中心である。大戦後の混乱の中で、キャンプンの女たちと元兵士たちは「鉄条網越し」に逢瀬を楽しんでいる。カリンはアントニオより年長で既婚者だったが、今は独身、アントニオはまだ兵士経験しかない若者だったが、なぜか惹かれ合う。思いはアントニオの方が強く、「結婚しよう」と申し込み、カリンも応じた。二人は結婚式を挙げ、アントニオの生地ストロンボリ島に向かったのだが・・・。
 はしけで島に上陸した途端、カリンの表情が変わった。そこは溶岩だらけ、石造りの粗末な家がへばりついているような所で、「こんなところには住めない」と怒り出した。アントニオは「そのうち慣れるから」と取りなすが、カリンの鬱憤は晴れない。一見しても、島の住人とは相いれない様子がよくわかる。表情、身のこなし、装い、すべてにおいて異質なのだ。カリンが求めるのは「欧米風」の文化生活、島の生活は火山のもとで、漁業で暮らす自然との共同生活、わずかに灯台守、神父の生活振りとは馴染めたとはいえ、とにかく島の人々の「冷たい視線」にさらされるのが耐えられない。ドラマらしいドラマもなく、「ただ耐えるだけの日常」をカメラは執拗に追い回す。要するに「環境に対する不適応」生活が延々と続くのだ。
 この作品を通じて女優イングリッド・バーグマンと監督ロベルト・ロッセリーニは「不倫」の関係に陥ったそうだが、なるほど「惚れた女」の姿は「一挙一動一投足」すべてが魅力的で、一時も目が離せない(監督の)気持ちはわからぬでもない。ただ、第三者にとっては冗長・退屈きわまりない。「マグロ漁」や「火山噴火」の迫力ある映像は、さすがネオ・リアリズム、「自家薬籠中」の技だが、肝心の人間模様は全く単調であった。
 スキャンダルの影響もあってか、この作品が出来上がるまでは「難産」の連続で、監督は「肝心の宗教的な部分がカットされた」と憤慨したという。そういえば、冒頭には旧約聖書・イザヤ書65章の一節が掲げられていた。曰く「私を求めなかった者に私は尋ねられ、私に尋ねなかった者に見つけられた」。この文言だけでは何のことかわからない。実際の聖書には「私は私を求めなかった者に問われることを喜び、私を尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ」とある。映画のラストはカリンが島を脱出しようとして火山に登り、噴火口の近くで「神様!」と祈りながら倒れこむ。《私を求めなかった者》とは誰か、「私を尋ねなかった者》とは誰か。島の住人達、それとも神様?
 ロッシリーに監督の訴えたかった「宗教的な部分」(この映画の主題)もスキャンダルにまみれて定かではなかった。
(2020.10.20)