梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「揺れる大地・海の挿話」(監督・ルキノ・ヴィスコンティ・1948年)

 この映画について、ウィキペディア百科事典では、以下のように解説されている。
〈シチリア島の漁村を舞台に、漁民一家のたどる辛苦の日々をドキュメンタリータッチで描いた、ネオ・レアリズモの代表的作品。全篇がシチリアの漁村アーチ・トレッツァで撮影され、出演者は全員シチリア島に住む素人で、台詞も全てシチリア方言が使われた。
「海の挿話」という副題がついているのは、本作が当初は共産党の製作によるシチリアの労働者についてのドキュメンタリー3部作の第一弾となる予定だったからである。他の2作は製作されなかった。〉
 登場人物は、シチリア島の漁村アーチ・トレッツァで、先祖代々漁業を営んできたヴァラストロ一家の面々と、その周辺の人々だ。一家は、祖父、母、長男・ウントーニ、次男・コーラ、三男・ヴァンニ、四男・アルフィオ、長女・マーラ、次女・ルチア、三女、四女の10人家族とその使用人(?)たちで構成されている。その周辺には、ウントーニの恋人、マーラが好意を寄せる瓦職人、ルチアに好意を寄せる警察署長、一家と対立する仲買人らがいる。
 ストーリーは、要するに、共産党のプロパガンダとして製作されたくらいだから、およそロマンとは無縁の「リアリズム一辺倒」で、過酷な労働を強いられる漁師たちと、搾取層の仲買人たちの対立を軸に展開する。
 仲買人と交渉するのは年寄りで、獲物は安値で買い叩かれ、漁師はつねに貧乏を強いられる。漁に出たまま帰らない父に代わって一家を支える長男のウントーニは、仲買人に搾取される構造に疑問を抱くが、祖父は「これまで、みんなそうしてきた」と意に介さない。業を煮やしたウントニーは「これからは若者が仲買人と交渉する」といって、ある日、先頭に立ったが、仲買人の態度は変わらず、安値を変えようとしない。ウントニーは頭に血が上り、仲買人の秤を海に放り捨てた。それがきっかけで、若者漁師と仲買人グループの大乱闘が始まり、警察沙汰になってしまった。仲買人の訴えで、ウントーニたちは逮捕され留置されてしまう。しかし、ウントーニたち若者の労働力が激減したことで、漁獲高は一挙に落ち込み、今度は仲買人たちが困惑する。まもなく訴状をとりさげ、ウントーニたちは元通りに釈放された。「自分たちがいなければ仲買人たちはなにもできない」と勢いづいたウントーニは、家を抵当に銀行から借金、漁に出た。イワシの大漁で順風満帆
それを塩漬けにして冬まで保存する魂胆だったのだが・・・。幸運はいつまでも続かない。風の日に漁に出て嵐に巻き込まれ、一時は行方不明、命だけは助かったが船は破損、漁具もすべて流された。以後は坂を転がり落ちるように、落ちぶれてゆく。仕事ができない。
雇ってもらえない。家は銀行に差し押さえられ、恋人には捨てられ、弟・コーラは密輸商人になり、祖父は入院、一家はあばら家に住むことになる。ウントーニは酒に溺れるようになった。家族はバラバラ、なすすべがない日が続く。
しかし、それでは映画は終われない。今では誰からも相手にされなくなったウントーニを励ましてくれたのが一人の少女、かつての船(今は人手に渡って修理中)を見に行った時、出会った。もしかしてこの船の所有者の娘か。「この船直すよ」「でももう買い戻せない」「貧乏なんだってね」「ああ、でも俺の失敗はみんなのためだ。みんなが団結すれば、今よりよくなる」「ウントーニ!また船を見に来てね」
 この一言で、ウントーニに勇気が湧いてきた。「もう一度、弟たちと船に乗ろう」。新しく船を仕入れた仲買人に頭を下げ、再び海に出たウントーニの姿で「FINE]となった。 
 もともとは共産党の宣伝映画なのだから、過酷な現実を描くだけで十分、出演者もアマチュアだけ、演技もあくまで「自然体」、終末があっけない「尻切れトンボ」だったとしても、私に不満はない。むしろ「作り物」ではないリアリティが感じられて、新鮮な感動を私は覚えたのである。
(2020.10.22)