梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)精読(21)・Ⅵ章 認知発達治療の実践 東大デイケアの経験から・1

【要約】
《Ⅵ章 認知発達治療の実践 東大デイケアの経験から》
【はじめに】
・この章では、東大精神神経科小児部のデイケアの概略を述べた後に、認知発達治療を行う治療者側の体制について説明する。そして、認知発達の異なる2症例を呈示する。また、認知発達治療を支えるために最も重要な役割をになう親との連携のあり方や地域との協力関係についても触れる。
【1.東大デイケアの概略】
1)デイケアの歴史
・25年前に開設されてしばらくの間はダウン症が主な対象となっていたが、障害児に対する地域の受け入れがよくなるにつれて、デイケアの対象は自閉症およびその近縁の波立障害児で占められるようになった。
・第1期:1967年の開設当初にあたり、自閉症を保育の対象として受け入れた時期である。
・第2期:1969年からの数年間で、オペラント条件づけの学習理論による行動療法を導入した時期である(太田,1971:徐,1975)。治療の目標とする行動に焦点をあてて詳細な行動評価が行われ、短期的な治療の効果を実証的に示すことができた。模倣行動や発声の頻度の向上など一定の成果を上げることができた。
・第3期:治療の方法についての模索期(現在の発達的な治療教育への移行期)として位置づけられる時期である。行動療法では行動の改善に限界があるばかりでなく、見かけ上の行動だけをまなんでしまうこと、家庭や他の場面に般化できないことなどから、再度治療の基本的な見直しがなされた(太田,1975)。
・第4期:1977年頃より始まり、現在の認知発達治療の基礎を築いた時期であり、大きく質的な転換を図った時期である。治療の重点は行動の改善から精神発達の促進におかれ、治療の主な目標は、自閉症児の認知発達の促進に置かれるようになった(仙田ら,1978)。
・第5期:1982年より現在に至る期間である。認知発達治療の開発と充実の時期にあたり、自閉症の基本障害に焦点をあてた治療がすすめられてきた。「太田のStage」に基づいて、Stage別の臨床像と治療のねらいをまとめ、各々の発達課題を系統化してきた。また、薬物治療の積極的な検討、家庭との連携にも力を入れ、総合的な治療プログラムを考慮してきた(太田ら,1988,1990)。
2)デイケアの機能
・デイケアの治療形態では、日常生活を保ちつつ、一般の外来診療よりも治療密度が高く、本人に対する働きかけを計画的にすすめることができる利点がある。
・長年にわたり就学前の発達障害を対象として1日5時間、週2回の治療教育を行ってきた。
・1992年度より幼児のデイケアの時間を短縮して小・中学生までを対象とした学童のデイケアをスタートさせた。(この章では幼児を対象とするデイケアに限定して述べる)
・デイケアの任務は、社会のニーズに応えて質の高い治療を提供することと同時に、それを支える本態研究と臨床研究を推しすすめていくことにあり、そのために多くのエネルギーを注いできている。
3)デイケアのスタッフと役割
・スタッフは、治療全体の責任をもつ医師を中心として、心理スーパーバイザー、子どもを直接担当して治療教育を行うセラピストがおり、チームワークで運営されている。
・セラピストはほとんどが臨床心理士で、子どもの発達的観点からの治療教育全般を担当している。また、両親に対しては日常の家庭での療育のしかた、接し方などについてアドバイスを行う。さらに家庭訪問、通園先との連絡などを親と相談しながら行う。
・心理スーパーバイザーは、子どもの療育上の相談や親の心理相談を行う。また、日常の治療教育全般についてセラピストへの助言と指導を行う。
・医師は、デイケアの運営および治療全体の管理責任と医学的治療、デイケア治療教育全般のスーパーバイズを行う。医学的検査、薬の処方も行われるが、デイケアスタッフ全体の会議で検討されたり、確認されたりしている。
・臨床研究、スタッフの研修、症例検討会が、全スタッフの参加の下に行われている。
【2.デイケア治療の目標とプログラム】
1)3つの次元からの目標
・第1次元に属するシンボル表象機能の発達に焦点を置き、その発達を促す中で、いかに第2次元の適応行動を獲得させ、第3次元の異常行動の予防と減弱を図るかが重要であると考えている。
*第1次元と第2次元の関係(場面ごとのスキルと幅広い柔軟な適応行動の獲得を目指す)
*第1次元と第3次元の関係(理解力をつけることによって自分の力でコントロールしたり場面を理解した行動がとれる)
*第2次元と第3次元の関係(よい適応行動のパターンを身につけることで異常行動を減少する)
2)デイケアの日課と3つの次元
・デイケアの日課には、認知発達学習を中心として、生活習慣の確立、運動技能の促進、衝動を発散できるような自由遊びなどが総合的に組み込まれている。特に、第1次元のシンボル表象機能を獲得させ、対人意識を育てる働きかけは、個別の認知発達学習の時間だけではなく、治療教育のすべてを通して行われている。また、適応行動の獲得をねらいとした第2次元への取り組みも並行して行われている。
・Stageが低い子どもの場合には、認知発達学習としての独立性がうすく、治療者は着脱や食事などの身辺自立の獲得や自由遊びなどを通して物への認識や人への意識を高める働きかけをより意図的に行っている。認識レベルが高くなるにしたがって認知発達学習に日課の重点が置かれ、そこで学習されたものを日常の治療教育の中で般化させるように働きかけている。
3)年間プログラムとその意義
・月1回の親の会、各種行事(待機児の集い、遠足、諸調査、父親参観、デイキャンプ、クリスマス会、諸調査、卒院式)および家庭訪問、園訪問などが計画的に配置され、年間プログラムが組まれている。
*年間プログラムのねらい
①親が自閉症の障害や特徴、子どもの発達についての理解、デイケアにおける治療の理解を深めること。
②治療者との連携がスムーズになること。
③両親・家族と治療者との交流により信頼関係の基礎をつくること。
④親・家族の精神保健を良好に保つことができること。
⑤通園先など地域との良好な連携を保つこと。
【3.認知発達治療の実践にあたって】
1)デイケアでの指導体制
⑴グループ編成
・子どもは、週2回ずつ通院し、通院日によって2つのグループに分かれている。さらに、同じ通院日の中で4~5名の2つの小グループに分かれ、この小グループが日常の活動の単位となっている。
・グループ分けでは、ねらいや課題が類似していること、構造化された場面が用意されること、グループ指導の効果を上げやすいこと等を考慮する。(Stage評価による認知発達水準を主とし、障害の違いや年齢、生活習慣の自立度、異常行動の強さを考え合わせて小グループを編成する。
⑵指導体制
・子ども5人に対し、セラピスト2~3人で担当する。子どもの担当は、1~2か月ごとのローテーションで交代する。子どもが多様な人にかかわることで人への興味や対人関係を豊かにすることをねらいとしている。発達的に低い子どもや不安が強い子どもの場合には、数か月間担当者を固定して安定した関係ができるように配慮する。異常行動が強い場合にはマンツーマンの体制を必要に応じてとる。
⑶実践計画
①小グループごとに月1回の検討会を持つ。そこで計画を決定する。
②その内容を、セラピスト全体の月1回の会議で報告し、全体から見ての調節と統合を図る。
③医師やスーパーバイザーとの連携は、週1度のスタッフ全員が出席する連絡会議で、子どもの状態、特別のプログラムの計画などについての報告と討議がなされる。
2)認知発達学習
⑴個別学習
・個別のプログラムを立てて、基本的にはマンツーマンにより学習を行う。
(Stage評価→課題の試行→方針の決定→課題の選択→学習→評価)
*課題の試行:課題リスト(「認知発達治療実践マニュアル」)から動作性と言語性の課題をいくつか選択し試行する。(重点課題は必ず実施する)
*発達の特徴と問題点を把握して、方針を立てる。(今の水準を、次の段階に引き上げる
垂直方向に発達を促すねらいと、現在の水準を確実にして充実させる水平方向への発達を促すねらいの両側面から課題を組み合わせて設定する。
*幼児では20~30分の学習プログラムを作成する。(学習への動機づけが高まる課題、一定努力を要する主要課題、達成して満足感が得られる課題を配置する)
・学習セッション終了後、学習内容と結果を学習記録票に記載する。
・半年に1回の割で、一人ひとりについての詳細なケース検討会を持つ。(課題、方針の再検討を行う)
⑵グループ学習
・小グループごとに、20~30分の体操や集団遊び、サーキットなどに取り組むグループ学習の時間を割り当てている。
・グループ学習の計画にあたっては、課題の試行を行い、集団への適応の状態、対人関係の持ち方などの側面から評価を行う。
・これらを総合して目標を立てる。①集団での適応行動を育てること、②対人認知を育て対人関係を豊かにすること、の2つの側面から個別の発達段階に合わせた目標をあきらかにしておく。適応行動を獲得するねらいは、現在の発達段階に合わせた目標を立てることと、先々のより広い社会参加のために何が必要で、今から何を取り組んでおくべきかという長期的な視点も考慮に入れる。
・実践にあたっては、グループ全体の課題や環境を工夫して集団のアクティビティを盛り上げ、それを積極的に利用する取り組みをする。「Stage別の発達課題」を参考にして、子どもの個別のねらいを明確にしつつ、グループ指導を行う。


【感想】
 ここまでは「1.東大デイケアの概略」「2.デイケア治療の目標とプログラム」「3.認知発達治療の実践にあたって」が述べられているが、要するに、「4.認知発達学習の実際・・症例を通して・・」の「前置き」である。それにしても、その「前置き」は、冗長であった。とりわけ「3.認知発達治療の実践にあたって」は、前章までに述べられてきたことの繰り返しで、いわば「二番煎じ」。また文末に「~しておくことが大切である」、「~を行う必要がある」、「~ことを忘れてはならない」などという表現があったが、それらは《誰に対して》言っているのだろうか。この章は「実践」について記述するのだから、読者に対して「心がけ」を説諭することは不要ではないだろうか・・・、などと思ってしまった。それはともかく、ここまでを読んで、私が考えたことは以下の通りである。 「東大デイケア」は、1979年の養護学校義務化以前から、ダウン症等、障害のある就学前幼児に対するケアを行っていた。当初は《オペラント条件づけの学習理論による行動療法を導入し、短期的な治療の効果を実証的に示すことができた。模倣行動や発声の頻度の向上など一定の成果を上げることができたが、行動療法では行動の改善に限界があるばかりでなく、見かけ上の行動だけを学んでしまうこと、家庭や他の場面に般化できないことなどから、再度治療の基本的な見直しがなされ、治療の方法についての模索(現在の発達的な治療教育への移行)が行われた》。養護学校義務化以後(それと並行して)《自閉症の基本障害に焦点をあてた治療がすすめられ、「太田のStage」に基づいて、Stage別の臨床像と治療のねらいや、各々の発達課題を系統化してきた。また、薬物治療の積極的な検討、家庭との連携にも力を入れ、総合的な治療プログラムができあがった》、ということであろう。興味深いことは、「東大デイケア」の治療システムである。その形態、スタッフの体制、治療プログラムは、「(養護)学校教育」と「瓜二つ」であった。まさに「養護学校幼稚部」といった「有様」だが、さればこそ(「東大デイケア」は全国の中心的存在ということで)多くの養護学校が、その治療システムを「小学部」に導入したかもしれない。私の独断と偏見によれば、そこに「自閉症治療」の大きな不幸(誤謬)があった。「東大デイケア」は、《治療》を《(学校)教育》で行おうとしたのである。デイケアのスタッフは、医師、心理スーパーバイザー、セラピスト(臨床心理士)であり、「教員」は1人もいない。にもかかわらず、「実践」の内容は《(学校)教育》に他ならなかった。言うまでもなく、《治療》とは「病状の快復」を目指すものであり、《(学校)教育》は(究極には)「人格の完成」を目指すものであるが、「東大デイケア」においては、その区別が「極めて曖昧」である。なるほど「治療教育」という概念を用いているが、その意味は、ただ単に「医療関係者が(学校)教育を行う」ということではないであろう。子どもを「教育的に診断し」、問題点(発達上の「個人内差」)を明らかにしたうえで、治療仮説(指導方針)をたて、(その子どもに即した)個別教育(治療教育)を展開する。たしかに、「東大デイケア」においても、そのような「実践」を行っているが、「太田のStage分け」だけで、それを「教育的な診断」と見なすことは、極めて不十分(安易)ではないか。「東大デイケア」は、医師、臨床心理士の立場から、あくまで《治療》に拘った(専念した)「実践」を目指すべきではなかったか。さらに言えば、その方法論にも誤謬がある。当初「オペラント条件づけの学習理論による行動療法を導入し、短期的な治療の効果を実証的に示すことができた。模倣行動や発声の頻度の向上など一定の成果を上げることができたが、行動療法では行動の改善に限界があるばかりでなく、見かけ上の行動だけを学んでしまうこと、家庭や他の場面に般化できないこと」という文言から察するに、「東大デイケア」は、「行動療法」で「短期的な治療の効果を実証的に示すことができた。模倣行動や発声の頻度の向上など一定の成果を上げることができた」と、それまでの実践を(医療の立場から)《肯定的に》評価しているが、そのことで、自閉症の病状が快復しない限り、「教育的」には肯定できない。なぜなら「行動療法では行動の改善に限界があるばかりでなく、見かけ上の行動だけを学んでしまうこと、家庭や他の場面に般化できない」からである。では、「行動療法」から「自閉症の基本障害に焦点をあてた治療」(認知発達治療)に移行した今、行動の改善に限界はなくなったのか、見かけ上の行動だけを学んでしまうことはなくなったのか、家庭や他の場面に般化できるようになったのか、そのことを(自閉症の要因は親の育て方ではない、自閉症は情緒障害ではない、と断言したように)確信を持って断言できるか。その結果は、次節で明らかになるであろう。(2014.2.5)