梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・84

■幼児語
【要約】
 “かたこと”には2種類がある。一つは、成人語とは系統のまったくちがう“語”であり、もう一つは成人語からの音韻転化によってできている語である。子どもが最初に形成するのは、ほとんどが前者であり、前者をふくまない子どもはないのであるから、発生論的な見地からは、狭義の“幼児語”は前者によって定義しておくほうが適切である。
《幼児語》
 マンマ(食物)、ブンブン(飛行機)のように、共通語なみに全国で用いられているものが少なくない。それらの多くはオノパトペである。成人が幼い子どもに対してこれらを用いることはいうまでもない。全国的な共通性をもたない典型例は、特定のひとりの子どもとその育児者との間でだけ通用するものであって、これは家庭語のおもな源泉の一つである。“方言的幼児語”もある。大阪地方では入浴を意味する幼児語としてブンブンというのがある。これは東京地方では用いない幼児語である。
 幼児語は、幼い子どもにとって発音しやすく、反復型であり、オノパトペがかなりの割合を占めている。喃語や初期の音声模倣に近いものである。
《成人語の音韻転化》
 ウチ(牛)、タベウ(食べる)も“かたこと”とよばれているが、これは幼児語とは性質が異なる。この第2種のかたことは、日本語の予備的形式、あるいは未熟な形式だといえる。第1種のかたこと(幼児語)が、無品詞・無活用・無形態的であるのに対して、第2種のほうは、前品詞的・前活用的・前形態的であるといえる。音声要素の一部のずれ、ないし脱落・添加には規則が認められ、一定の音韻法則に従っているので、これを“音韻転化”とよぶことができる(Lewis,1951:小西,1960)。
 第2種は、日本語音韻の習得に伴って漸次、完全な日本語音声へと調整されるが、第1種と区別のつけにくい語もある。デンデン(電車)、ニャコ(猫)、チュッチュッ(靴)、チー(マッチ)など(全体の10%程度)。
 幼児語の第一の特徴は、反復形式とオノパトペ性とである。これらの特徴は世界的であり、全体の幼児語の大部分を占めている。
《幼児語の成因》
 幼児語は幼児自身の創造したものなのか、それとも育児者を通じて学習したものなのか。二つの側面、すなわち形式・音声面と意味面・使用面に分けて考えなければならない。
 レオポルド(Leopold,1939)は、形式面、意味面において、育児者の影響をまったく受けていないことを認めているが、子どもが作り出した語が固定するためには、育児者がその語を採用して、子どもに向かって使用しなければならないという。子どもが偶然発した語を、伝達の手段として意図的に用いるよう、育児者の励ましが必要だというのである。
 しかし、幼児語の全体をみると、子どもが自発的に作り出した幼児語の比率は高くない。幼児の音声に対する育児者側の形式および使用についての干渉と選択が作用し、その干渉と選択は社会的基準に従っている。幼児語の形式の多くが模倣に依存していることはたしかである。それが喃語の発展であるとしても、それは育児者の影響をうけ、かなり変形しているし、それらに結合する意味も、育児者が何らかの仕方でたびたび示唆する慣用基準の影響をつよく受けているとみるのが正しいだろう。


【感想】 
 幼児語には、喃語やオノパトペから形成されたものと、成人語が音韻転化したものの2種類がある。前者は、子ども自身が創造したものであるというレオポルドの説もあるが、育児者がそれを伝達の手段として採用することが必要であり、いずれの場合も、《育児者の「干渉と選択」が作用する》と述べられており、著者の考えがよくわかった。
 私の知る「自閉症児」は、0歳児から「略画絵カード」で単語を「見聞きし」、「絵本」で、文、文章を「見聞」した。そこには、幼児語は見当たらず、ほとんどが成人語であった。要するに、育児者ははじめから「成人語」の刺激を、二次元の世界で与え続けたということになる。その子どもにとっては、具体的な(三次元ぼ)生活場面で立体物を操作することよりも、略画や童画を「音声化」することの方に興味が偏ったとはいえないか。
 育児者にとっては、その方が「安全」であり、ことばを通して「賢い子ども」に育てあげることが「育児の基本方針」ではなかったか。結果として、その子どもは「幼児語」を使うことなく、1歳児から成人語を(ほとんど「音韻転化」せずに)話しはじめた。加えて、育児者は言語の機能を「伝達の手段」としてではなく「思考の道具」として位置づけ、その事態を「是」として容認してきたように思われる。 
いずれにせよ、子どもにとって「幼児語」は、伝達の手段としてきわめて重要であり、そのためには育児者の支援(干渉・選択など)が不可欠であるということがよくわかった。
(2018.9.20)