梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「箱根駅伝」で思うこと

 恒例の箱根駅伝をテレビで観て、いつも思うことがある。その一は、各チームの監督が車で伴走し、選手に声をかける光景である。「そうそうそう、動いているよ」「・・・頑張って、男になれ!」などという言葉が断片的に聞こえる。監督が声をかければ選手が元気になることはわかるが、走者と走者の間に監督の乗った車が割り込むのは、いかがなものか。前を追っているのに車が邪魔になるということはないか。それでなくても報道の車やバイク、交通整理の白バイなどが選手を取り巻いていて、実に走りにくそうである。他の駅伝大会やマラソンなどで、監督やコーチが《車で伴走する》光景は見たことがない。「それが箱根駅伝の伝統だ」そうだが、記念の100回大会も終わった。今後は心機一転、監督の車による伴走は廃止してはどうかと思う。その二は、中継所のタスキ渡しの場面である。走ってきた(ほとんどの)選手が次走者にタスキを手渡した直後、その場に倒れ込む。それだけ全力を出し切ったと言えなくもないが、同僚の力を借りなければ立っていられないとは情けない。スポーツの選手としては「見苦しい」のである。しかし、その光景も、箱根駅伝の風物詩としてもてはやされているようだ。その三は、復路のスタートである。往路優勝、復路優勝、総合優勝があるのなら、復路優勝を見えるようにするために、(復路の)スタートは一斉にするべきである。各校の選手が一斉に山下りする方が、観る側からすれば面白い。とはいえ、それが実現する可能性は皆無である。10年前にも同じ提案をしたのだから・・・。
 「そんなに気にくわないのなら、観なければいい」という声が聞こえる。おっしゃるとおり、だから私は箱根駅伝とはすでに無縁なのである。 
(2024.1.4)