「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・17
《第二章 方便品》 【解説】・4・《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)》 《二乗作仏の意義・・・十界互具》 (略) 須田晴夫:二乗とよく比較されるのが、三乗のなかの菩薩です。菩薩には「利他」の心があるけれども、二乗には「自利」しかない。だから二乗は成仏できないのだ、... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・17
《第二章 方便品》 【解説】・4・《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)》 《二乗作仏の意義・・・十界互具》 (略) 須田晴夫:二乗とよく比較されるのが、三乗のなかの菩薩です。菩薩には「利他」の心があるけれども、二乗には「自利」しかない。だから二乗は成仏できないのだ、... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・16
《第二章 方便品》 【解説】・3・《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)》 《「法開会」と「人開会」》 斉藤克司:まず基本的なことを確認しておきたいと思います。「開三顕一」とは、方便品に始まる法華経シャク門の中心的な説法の内容を要約した言葉です。「三乗を開いて一乗を顕... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・15
《第二章 方便品》 八 【要点】 ・ところが、舎利弗よ、まさに知らねばならぬ。わたくしは、仏の子たちを見ると、仏道を志して求めるものは千万億と量りしれないほどおり、かれらはことごとく、恭しい尊敬の心をもって、みな仏のところにやってきて、これまでに多くの仏から、教化の方法として説かれた法を聞いてきた... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・14
《第二章 方便品》 七 【要点】 ・未来にあらわれる多くの世尊は、その数がどれほどになるか、量ることはできないけれども、この多くの如来たちも、また教化の方法として、法を説かれるであろう。 (略) ・未来世の多くの仏は、百千億の数えきれない多数の法門を説かれるであろうが、そのめざす真実はただひとつ乗... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・13
《第二章 方便品》 六 【要点】 ・多くの仏のことばは、実は異なるところはないのであり、ただひとつなのであって、二つの乗りものは存在しない。 ・過去の数えきれないほど多数の劫という長い年数のあいだに量りしれない多数の仏が入滅して、その仏の種類は百千万億種類もあって、その数は量ることができない。この... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・12
《第二章 方便品》 五 【要点】 ・舎利弗よ、まさにつぎのことを知らねばならぬ、わたくしはもともと誓願を立て、すべての生あるものを、わたくしのように同等に、異なることはないようにさせようと欲した。そのようにわたくしがむかし願ったところはいますでに満たされており、あらゆる生あるものを教化し、みな仏道... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・11
【解説】・2・《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)》 《「方便」について》 (略) 池田大作:要するに「方便」とは、衆生を成仏へと導く「教育」の方法であり技術です。人間の偉大な可能性を、最大に開花させる・・・ここに法華経の心があり、そのために「方便」を説く。方便とは... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・10
《第二章 方便品》 【解説】・1《「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用) 《方便・・・巧みなる「人間教育」の芸術》 (略) 斉藤克司:(略)方便品は、法華経二十八品の中でも、譬喩品(第三章)、化城喩品(第七章)についで長い章です。私たちが読誦している、冒頭から諸法実相・... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・9
《第二章 方便品》 四 【要点】 ・わたくしは、右に述べた九つの法を、それぞれの生あるものたちにふさわしいように説いてきたが、そのことは、それらによって、この大乗に入るのに本となることから、その理由のゆえに、この経を説いたのである。 ・ここには、仏の子であって、心が清浄であり、やわらかでおだやかで... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・8
《第二章 方便品》 三 【要点】 ・(中略) ・「舎利弗よ、多くの仏は、つぎの五つの汚れが満ちている悪い世代に出現なさった。その五つとは、時世が堕落したとき、煩悩がさかんなために堕落したとき、生あるものたちが堕落したとき、まちがった見解のために堕落したとき、寿命がみじかくなって堕落したときである。... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・7
《第二章 方便品》 二 【要点】 ・そのとき世尊は、舎利弗にお告げになられた。 「いま、ここに集まっているものたちには、幹とはなれないような枝や葉はいなくなり、全く純粋に誠実なものだけになった。舎利弗よ、このような思いあがった慢心をいだく人々は、退いているがよい。なんじよ。いまよく聴くように、まさ... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・6
《第二章 方便品》 一 【要点】 ・そのとき、世尊は、三昧より安らかにゆったりと起って、つぎのように舎利弗に説かれた。 「多くの仏が到達している智慧は、はなはだ深く、際限がない。その智慧の門は、理解しがたく、入りがたくて、一切の声聞(教えを聞いている修行者)も辟支仏(独りで覚る修行者、縁覚、独覚と... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・5
《「序品」解説・登場人物について》(「法華経の智慧」(池田大作・聖教新聞社・2011年)より抜粋引用)) 池田大作:(冒頭では)法華経のドラマが始まるにあたって、「舞台」と「登場人物」が紹介されているわけだね。 (略) 遠藤孝紀:「登場人物」ですが、経文の順に示すと次のようになります。 ①アニヤキ... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・4
【要約】 ・世尊の説く大乗経典を聞き、その後の奇蹟を見聞した弥勒ボサツは、「これはどういうわけか?何かの前兆なのだろうか?」と考え、尋ねようとしたが、世尊は瞑想しているので尋ねることはできない。そこで、その場に居た文殊師利に尋ねた。 ・文殊師利は、「このようなことは、過去の仏も行った。仏はその... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・3
二 【要点】 ・そのとき、弥勒ボサツはつぎのように考えた。「いま、世尊は奇蹟のすがたをお示しになった。どういうわけで、この(奇蹟の)前兆(瑞相)があるのであろうか。しかしいま、世尊は三昧にお入りになってしまっている(ので、直接おたずねすることはできない)。この不可思議で、あり得ないことが示されたこ... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・2
【要約】 ここまでは、「第一章 序品」の冒頭部分であろう。登場するのは、仏(=世尊)と、一万二千人のビク(出家修行者)、学修中、学修修了者が二千人、ビクニ六千人、さらにボサツが八万人、帝釈と二万の天子、四人の四天王と一万の天子の仲間、自在天子と三万の天子の仲間、梵天王らと一万二千の天子の仲間、八... 続きをみる
「法華経 現代語訳 全」(三枝充悳・第三文明社・1978年)精読・1
《第一章 序品》 一 【要点】 ・このように、わたくしは聞いた。あるとき、仏は王舎城の町の郊外にある霊鷲山のなかにとどまっておられた。大勢のビク(出家修行者)の集団の一万二千人と一緒であった。このビクたちはみな聖者(アラカン)であって、多くの煩悩の汚れがすでになくなり、また煩悩そのものがなくて、自... 続きをみる