梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・19

《外的強化と自閉的強化の共存》
【要約】
 ごく大まかにいえば、外的強化は対人場面で、内的強化はひとり場面で、主として作用すると考えられる。チャーチは、“幼児は他者に対すると同じ程度に自分に向かって話す。反応する聞き手が存在することを知って驚き、ものをいわなくなることがある”(Church,1961)ことを指摘している。村井(1961)は、0歳3ヶ月から1歳0ヶ月まで各月齢ほぼ20名の乳児の喃語を観察し、その頻度をひとり遊びのときと母親のいるときとに分けてみたところ、両場面での喃語頻度の割合は、ひとり遊びのときよりも母親といるときのほうが多いという結果を得ている。ただし、母親のいる場面での発声は必ずしも母親に向かって話されたものではなく、ひとり遊びのときの喃語と同じ型と機能をもつとおもわれるものもかなり多かった。このような観察結果から、喃語がひとりでいるときと人との関係をもっているときの2種類に分けられると考え、これらに“自閉的喃語”と“社会的喃語”という名を与えている。村井(1963)はさらに、ある1名の男児について、つぎの4種の条件のもとで0歳6ヶ月から0歳9ヶ月におよぶ追跡観察を行っている。その条件は、
1 玩具なしのひとり遊び
2 母親が一緒に遊び話しかける
3 母親が一緒に遊び話しかけない
4 玩具でひとり遊び
 この観察から得られた、当面の問題に関係のある事実はつぎのようであった。
⑴ 4条件の間に、生じる喃語の量は僅少の差があったにすぎない。
⑵ 4条件の間に、生じる喃語の発声型の上で差が認められない。
⑶ 自閉的喃語うぃしている途中で母親に話しかけられると、発声を中断したり、それまでの音声とは異なる種類の音声に変わる場合がある。
⑷ 母親に対して行った自分の発声を喜んだり、自分の発声に対して母親の反応を促す場合がある。
 以上の結果からみて、喃語が自閉的にもまた対人的にも生じうることがわかるとともに、それぞれが自閉的強化ならびに外的強化によって活発化すると想像される。しかし、それぞれの喃語活動が発生的に独立し、かつ別々の発達段階をとるとは考えられない。この2種の強化因をもつ喃語の形式は区別できいないほど近似しており、また一方から他方へ移行が生じる。自閉的喃語がそこに偶然いあわせた人により外的強化をうけ、社会的喃語がその場にいる人たちによって外的に強化されないこともあろう。また、2種の強化が一つの喃語に対して与えられる可能性も大きい。
 しかし、その後の発達過程では、子どもがますます成人に近い音声を発する傾向が強まり、それだけ人の注意をひき外的強化を受ける機会が増すので、自閉的強化よりも外的強化のほうが支配的になっていくことが正常であろうと考えられる(Stsst and Steats,1964)。


【感想】
 ここでは喃語活動が「ひとり場面」と「対人場面」ではどちらが活発になるか、ということについて述べられている。0歳3ヶ月から1歳0ヶ月までの乳児20名を対象にした村井の観察によれば、いずれの月齢においても「ひとり場面」よりも「母親といるとき」の方が活発であったということである。しかし、その喃語は母親に向かって話しかけるというわけではなく、また音声型にも差がなかった。
 自閉症児の「言語発達」について考えるとき、この自閉的強化による喃語と、外的強化による喃語のどちらが活発であったか、を検証することが重要である、と私は思う。村井が観察対象にした1名の男児の喃語は、玩具なしのひとり遊び、母親と一緒の遊び、母親が一緒に遊び話しかけない、玩具でひとり遊びの、4種の場面で「量」や「発声型」に大きな差はみられなかった。しかし、「自閉的喃語をしている途中で母親に話しかけられると、発声を中断したり、それまでとは異なる音声に変わる場合がある」「母親に対して行った自分の発声を喜んだり、母親の反応を促す場合がある」。つまり、男児はこの段階ですでに「声によるコミュニケーション」を行っているということである。もし、外的強化が少なければ、「ひとり場面」における「自閉的喃語」がいつまでも続き、それが自閉症児の言語基盤(スピーチ・レディネス)になってしまうことはないか。そこらあたりの問題を究明しなければならないと、私は思った。 (2018.3.28)