梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「自閉症 治癒への道」解読・《32》第10章 事例(11)【出版されている六つの論文】(5)アクスライン「開かれた扉」(ディブス)

◎要約
【出版されている六つの論文】
《5.アクスライン「開かれた小さな扉」》(ディブス)
・この本は、遊戯療法の先駆者(の一人)である臨床心理学者によって書かれた小さな宝石ともいうべきものである。
・ディブスは科学者夫婦の第一子で、下に妹がいた。
・夫婦は、自分たちに子どもができることを知った時、かなり動揺し不快な驚きを覚えた。・また、ディブスが「異常」とわかってきた時、その不運をうらめしく思った。
・父親はディブスに対して、主としてひきこもりの態度をとり(まれに子どもが邪魔した時には)、結果的には冷たい残酷な応じ方をしていた。
・母親は深く傷つき、「異常な息子」をもったという自分の運命を絶望的に受け入れるというひきこもりの態度をとっていた。
・両親は最大限の「知的」発達を促すためという考えで、おもちゃ等は何でも「すべて」与えていた。
・ディブスを、やっかいな動物かのように、部屋の中に鍵をかけて「飼っていた」。
・やっかい払いとして、保育所に入れられたが、職員の中にはディブスをかわいがり、相当な知能と人間的可能性をもつ子だと確信してくれる人がいた。
・アクスラインがディブスの治療開始時には自閉症児の典型的な行動特徴を示していた。(テーブルの下に何時間もうずくまっている。庭では泥を棒でひっかいたり、壁にしがみつく。からだをゆすったり、手を噛んだり、指をしゃぶったり、近づいてくる子を叩いたりする。一語文か赤ちゃんことばで「オウチ・イヤ」「ディブス・オンモ」と言ったりした)
・しかし、別の時には非常に賢そうにふるまうこともあった。(棚から本を出して調べたり、実によく見入ったり、聞いたりした)祖母との間には温かい関係がができており、自分の部屋の窓から姿を見たり声を聞いたりすることのできる庭師ともつながりができていた。
・アクスラインはディブスを冷静に観察し、潜在能力をもった「同じ人間」として受け入れ、ディブスの言うこと・することを認めながら語りかけた。一方、衣服の着脱など、ディブスが自分でやらなければならないことには手伝わず、厳格に見守り、治療時間の終わりなどの約束もきちんと守らせている。
・また、過去においてディブスが傷ついたと思われるような出来事を注意深く再現してみる。ディブスの母親の役割を侵害しないように留意している。
・そして、ディブスが自分の殻から出てくるのを、母親が一歩踏み出して自分の役を取りたくなって、アクスラインに近づいてきてくれるのを、忍耐強く待っている。
・アクスラインはますます自分の目を疑いながら「本当の」ディブスが現れてくる様子を見つめている。
・結局、きわめて能力の高い、知覚の鋭い、極度に感受性の高い子どもであることがわかってきた。
・批評家たちは、①ディブスは自閉症ではない、②例外的で自閉症の理解には価値が少ない、などと言っているが、両方とも誤りである。
・保育所によい教師がいたこと、タイミングよくアクスラインに出会えたこと、そのことによって母親が(勇気と愛を取りもどし)ディブスについての誤った考えを捨て、息子に対する自分の行動を完全に変えたこと、などの諸状況が組み合わされた結果、このような物語が生まれたのである。
・とくにきわだっているのは、ディブスや母親を扱う時に、母親の役割を侵害しないという慎重な配慮をしたアクスラインの自己統制である。この話の中では、ディブスの初期の経験とか、子どもを拒否することをやめた後、母親自身の母性的かかわりの程度などにはふれられていないが、その母親の役割を重視したことが、この本の本当の素晴らしさである。そのことを認識せずに読むと、この本の表面上の単純さや、治療の表面的な「魔法の銃弾」的効果だけに目を奪われて誤解をするおそれがある。子どもの情緒的不均衡が早期に発見されるか、水面下の治療が進行しており、その後自分の家庭で家族によって温かく扱われた子どもの場合には、このような魔法のような回復は断じて「まれ」ではない。(フェイの事例も代表的である)


《感想》
 この事例は、科学者夫婦の第一子として「望まれぬまま」生まれてきたディブスの物語である。両親は、ディブスを「飼う」ようにして育てたが、水面下では「祖母」や「庭師」とのかかわり(心の交流)も「かろうじて」保たれており、「やっかい払い」として保育所に預けられたことが、「偶然にも」幸運な結果を招くことになった。そこには、ディブスを「かわいがり、相当な知能と人間的可能性をもつ子だと確信してくれる人(職員)がいた」からである。さらにディブスは、アクスラインの「遊戯療法」を受けることによって、潜在的な能力をもった「同じ人間」として扱われ、本来の実力を開花させることができた。アクスラインの「遊戯療法」で際立っているのは、まず子どもの「ありのままの姿を受け入れ」(情緒の安定を最優先し)、信頼関係を確立した後で、生活習慣や社会的ルールを「厳格に」守らせるという手法であろう。さらにまた、「教える」のではなく「待つ」という姿勢も重要である。その態度は母親に対しても貫かれ、「母親が一歩踏み出して自分の役を取りたくなって、アクスラインに近づいてきてくれるのを忍耐強く待っている」という件は、たいへん参考になった。子どもにとって、最も大きな影響を与えるのは「母親のあり方」であり、治療の対象は「母親自身」に向けられなければならない。それゆえ、その(治療)事例が成功するか失敗に終わるかは、ひとえに「母親を変容させられるか否か」にかかっている、といっても過言ではないだろう。(2013.12.22)

「自閉症 治癒への道」解読・《31》第10章 事例(10)【出版されている六つの論文】(4)コープランド&ホッジス「愛の軌跡」(アン)

◎要約
【出版されている六つの論文】
《④.コープランド&ホッジス「愛の軌跡」》(アン)
・アンは第二子で、兄が1歳4か月の時に生まれた。出産は正常だったが、「一時的仮死状態」になった。(事故?)
・アンは初めから極端におとなしい赤ちゃんで「そこにいることを忘れてしまいがち」だった。
・発達が正常でないことが明らかになり自閉症症状すべてを表してきた。(喃語を発しない。ほんの少ししか眠らない。離乳食を食べさせるのがたいへん。長泣きを始めた。部屋の電球に笠をかけようとすると泣き声が強まった。)
・10か月で歩きはじめた。
・1歳2か月目には、抱き上げられるのをひどくいやがった。うつろな目で宙を見つめ、手を取られるとかんしゃくを起こした。壁や床に頭を打ちつけた。椅子と人形に執着した。(椅子に座ってたえまなく体を動かしていた)自分の髪に毛を引き抜いて、口の中に詰め込んだ。
・1歳8か月の時、第三子が生まれた。
・2歳過ぎの頃、大きな犬に襲われて16時間休みなく泣き続けた。その時以来乳母車にいる時しかおとなしくしていられなかった。
・3歳頃には、あまりひどく泣き叫ぶので、虐待されているのではないかと思って警官がやって来た。
・6歳8か月の時、ある医師から自閉症と診断された。「教育を受けられるようになる可能性は乏しい、あなたがたを親だとわかるようになりそうもない」と言われた。
・両親には自閉症の原因として思いあたることがなかった。(出生直後の仮死状態、1歳8か月の第三子誕生、母方の祖母の死、犬に襲われたことなどが、発生要因として考えられる)
・両親は最初からアンをとてもかわいがって育てた。医師から絶望的なことを言われても「アンは障害児ではない」「アンを施設などには絶対入れない」と決めていた。
・その後は典型的な「自己流治療」の物語である。
・アンは終始一貫、愛情に満ちた家族の一員であった。
・一家が新しい家に引っ越したあと、アンはパニックを起こしたが、(忍耐強い観察により)その原因が、風にゆれる大きな藪だとわかり、それを切り倒すと、たちまち効果があらわれた。
・また、「一人でスプーンで食べること」「泣き叫んで抗議することを無視すること」「物に触らせること」等、アンが「しようとしないこと」に対して、なんとかやらせようとたいへんな努力をした。(強制法にも不断の注意をはらい、工夫をこらしていた)
・5歳半の頃、浜辺でアンは「トロリー」(押し車)から降りようとしなかったが、トロリーが転倒してアンは、砂浜(新しい場面)に投げ出された。彼女は抗議しパニック状態に陥ったが、しばらくすると砂で遊び始めた。そのことは、両親にとって「興奮を覚える」ほど思いもよらぬことであり、父親は何日もたったあと(アンに飛躍的な前進をもたらしたのは)「暴力(転落のショック)だ」と叫んだ。以後、両親は(時々必要なら叩いても)強制的なステップバイステップの指導をやってみることにした。
・さらに、ジョージ・グローバーという教師(知恵遅れの子どもを教えている)も、アンの指導に参加した。彼は、アンの行動をできるかぎりよく観察・記録するという習慣を両親に支援したり、彼の学校の子どもたちにも「アンとの交流」の手伝いをするように計らってくれたりした。また、2歳の男児が川に落ち、そのショックで「自閉的」になった事例を(両親に)紹介している。
・アンは21歳になった時には、正常で明るく能力もあり、タイプも習い、しだいに積極的になっており、ことばも大幅に進歩、その他の面でも明らかな改善を示していた。
・24歳の時には、英国のテレビ番組にたびたび出演したこと、ボーフレンドができたこと、車の運転も上手なこと、恩師・ジョージ・グローバーの葬儀に出席したいと言っていること等、「もう正常な若い人々と同じようにふるまっている」と思われる。


《感想》
 この事例のポイントは、①6歳8か月の時、医師から自閉症と診断され「教育を受けられるようになる可能性は乏しい、あなたがたを親だとわかるようになりそうもない」と宣告された両親が、それに抗して「アンは障害児ではない。施設などには絶対い入れない」と決心したこと、②両親は「自己流治療」を始め、必要なら「叩くことも辞さない」強制的な指導法を行ったこと、③しかし、指導法は「アンが愛情に満ちた家族の一員である」という固い信念に支えられていたこと、④その結果、24歳になったアンは「正常な若い人々と同じようにふるまう」まで回復成長することができた、ということである。もし、両親が医師の診断・宣告を信じ、それに従っていたらどのような結果になっていただろうか。「自閉症は治らない(教育不能である)」という学説を証明することは簡単である。何もしなければ、そのことを証明できるのだから。とはいえ、「現代社会」の専門家が「何もしていない」とは思わない。ではいったい、専門家は「何」をしているのだろうか。おそらく「自閉症状」の軽減・回復をめざして「医学的」にアプローチする、自発性を育てるために「教育的」にアプローチする、対人関係・コミュニケーションをスムーズに行えるようにするためのスキルを開発する等々、千差万別の取り組みが展開されているに違いない。しかし「自閉症は治らない」という一点では《共通》しており、「自閉症は個性である」「自閉症者(およびその両親・家族)の基本的人権は守られなければならない」といった論調が主流になっている、ように私は感じる。はたしてそうだろうか。(2013.12.21)

「自閉症 治癒への道」解読・《30》第10章 事例(9)【出版されている六つの論文】(3)ベック「アホウドリの悪魔払い」

◎要約
【出版されている六つの論文】
《ベック「アホウドリの悪魔払い」》
・ステファンは兄が4歳の時に生まれた。母親は出産時の激しい出血で衰弱していたので、ステファンと一緒にいることがめったになかった。ステファンはおとなしい赤ちゃんだった。
・9か月の頃、母親はステファンが「ひきこもって疎遠な感じ」なのが気になり始めた。
・1歳半の時、家族は休暇旅行に出かけ毎晩のようにホテルを変わった。
・1歳8か月の時、水に対するこだわりを示し始めた。(いじる、飲む、便器の水を飲む)
両親や他の人が言ったことに反応を示さなかった。
・2歳1か月の時、弟が生まれたが、噛みついたり、ひっかいたりした。
・2歳半の頃には、ごみ箱をあさり始め、ふらふらと出歩いた。(無事に帰宅していた)
・3歳の時「レゴ」を見つけ、いつも同じ飛行機と家を作り、失敗するとかんしゃくを起こしていた。
・医者の診察を受けたところ、耳鼻科医は「聾ではない」、言語治療士は「自閉症」と診断した。
・ステファンの父親は仕事のため、ほとんど家にいなかった。
・3歳9か月の時、この家族は2年間の滞在予定で、飛行機で英国に飛んだ。その出発は、ステファンの気持ちを動転させた。
・英国では母方の祖父によくなつき、カナダにもどった時には祖父がいないことをとても寂しがった。
・その後、両親は「よいこと」も「よくないこと」もしながら、自己流治療を行い、16歳の時点では、「話もするし」「友人もできたし」「さまざまな技能(料理など)を身につけた」。
《母親の回顧》
・ステファンは私のおかげというより「私のような親がいたにもかかわらず」うまくいったということではないか、と時々思う。
・これまでを振り返り、全体として思うことは「夫との協力」という流れは一貫していた。
・教師の言うことにはつねに従った。ステファンの興味を利用するようにした。いつも、図書館やら買い物に連れて歩いた。
・私がこれまでの年月から学んだことは、①首尾一貫した態度、②後もどりを覚悟すること、③過保護であってはならない、④機会さえ与えれば、ステファンは多くの場面に対処できるようになること、⑤いろいろ新しい課題を与えてみること、の大切さである。
《著者の評価》
・2歳半頃、ステファンが外出し「ひとりでさ迷い歩いたあげく『いつも必ずもどってくる』ことを発見したとき、「後を追わずひとりで行かせた」という話は興味深い。最初は両親がたいへん心配し、父親が「近くの林をさ迷っているのを見つけて連れもどした」。母親はほっとして彼をしっかりと抱きしめた」というが、この「抱擁」は適切な時に、いつも行われていたわけではない。別の時、タクシーから家へ走り込んできたきて初めて「ママ」と言った時の素晴らしい瞬間には、彼女の方から同様の喜びの反応をしたことは述べられていない。
・母親は、少し自己中心的で、時には子どもにあきあきしているようにもみえるが、それでもステファンは非常に大幅な回復を示した。
・ステファンはほぼ6歳の頃からずっと学校に行っており、発音もはっきりしていて、日記をつけており、「語呂合わせ」「だじゃれ」「スラング」を冗談に使ったりしている。
・ステファンの物語は、完全に回復したという形で終わっていないが、両親が受けて実行に移してきた指導(およびガイダンスの欠如)がいかに混乱したものであったかを考えると、この話はむしろ両親、とりわけ母親さえ十分に動機づけられてさえいれば、自閉症児は回復に向かって援助できるということである。


《感想》
 この事例で、最も興味深い点は、母親が「ステファンは私のおかげというより『私のような親がいたにもかかわらず』うまくいったということではないか、と時々思う」、と回顧しているように、素晴らし超一流の「自己流ママ」でなくても、「自閉症児を治癒できる」ことが実証されていることだと、私は思う。ステファンの母親は、いわば「普通のママ」にすぎなかった。乳幼児期から、母子の関係は「疎遠気味」であり、9か月頃には「ひきこもって疎遠な感じ」だったことを、母親は心配し始めている。しかし、ステファンは(不在の多い)父親の方を恋しがっており、また英国では(母方の)祖父によくなついたという。母親は、カウフマンの本を読んでいたにもかかわらず、そこに書かれていたようなこと(観察や接触)は「何一つやらなかった」と述懐している。時には「自己中心的」になり「ステファンにあきあき(うんざり)する」こともあったが、「しかし、そういう自分の過失(一貫性のなさ)に対していつも代価を払わされてきた」と反省している。いずれにせよ、ステファンは母親よりも父親の方に愛着を感じていた、にもかかわらず、徐々に、ステファンの情緒は安定し着実に回復していったことは間違いない。世の「普通の母親」にとっても、明るい希望がもてる恰好の事例ではないだろうか。(2013.12.20)