梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・22

■代表機能と象徴機能
《“代表機能”と“象徴機能”の定義》
【要約】
 バーラインは、“象徴反応”についてつぎのように述べている。“行動主義的観点からすれば、記号と象徴とは二重の側面をもつ。それらは生活体によって作られた反応の産物であるとともに、行動に深刻な影響を与える刺激または刺激源である。・・・伝達中心の用語法では、それらは一つの生活体において生産され、ほかの生活体の行動に影響を与える。それが代表機能中心に用いられるときには、それは一生活体により自分の行動に影響を与えるものとして用いられる。記号と象徴とを特徴づけるための2種の行動主義的アプローチがある。一つはそれらを特殊な反応として定義し、他の一つは特殊な刺激として定義する”(Berlyne,1965)。
 ここでは“伝達中心の用語”として“象徴機能”を、“代表機能中心の用語”として“代表機能”をそれぞれ用いることにする。
 代表機能は、“代表されるもの”と“代表するもの”との間の分化として定義される。“代表する”とは、あることから別のあることとして認知すること(意味づけること)である。したがって、代表機能は個体の内的活動であり、これを直接観察することはできない。代表化活動は静観的であり、当の個体の内部体制にのみ影響を与える。
 象徴機能は、“象徴されるもの”と“象徴するもの”との間の分化であり。当の個体が積極的に外に現す行動によって把えられる機能である。すなわち、それは当の個体の手段的・道具的な行動に結びつくこともあり、さしむける相手がある場合には、相手からも応答を受けうるような性質をもっている。顕現されたこの種の行動は、相手にさしむける意図の有無にかかわらず、“象徴行動”とよばれる。


《代表機能と象徴機能の区別》
 種々の場合について考えてみると、代表機能と象徴機能とが明瞭に区別できることもあり、区別できないこともある。両機能を個体発生的に扱うときには、とくに言語機能に関連した問題に対しては、この区別は理論的に必要である。
 象徴行動は顕現的な表示活動であるが、必ずしも他者に向けられるとは限らず、行動者自身に対しても向けられる活動である。“ひとりごと”あるいは“内言”がこれである。他者に向けられている場合でも、それは同時に話し手自身にもその作用が及ぶということ、いいかえれば、話し手は自分の話の聞き手でもあるという点に注意しなけれなならない。このような二重性は人間に特異な点である。このことを理解するために、信号と象徴との区別が役立つだろう。信号は信号者自身がそれを受け取る他者と同じ影響を受けることがないものであるが、象徴はそれを作り出し行動に実現した者自身がこれを受けた他者と同じ影響をうけるものである。彼は自分の行った伝達の内容を他者の立場で理解する(M
arkey,1928;Mead,1934;Mowrer,1960)。
 要するに、記号の用い方につぎのふた通りがある。一つは与え手が記号に対して他者的態度をとることがないような仕方、記号の信号的使用であって、人間以外の動物はすべてこの水準にある。他の一つは与えて自身が記号に対して他者的態度で反応するような仕方、記号の象徴的使用であり、ここに人間における一つの精神過程介入の証拠が認められる。


【感想】
 私は前節の感想で以下のように書いた。
〈乳幼児の場合は、怖い、うるさい、暑い、寒い、ハッとする(びっくりする)、うっとおしい(不快である)、さわやか、眠い、疲れたなどといった複雑な情動を「泣き声」「笑い声」で表現する。育児者がそれに応答することで、それらの情動は明確に「意識化」され、「複雑な記号」として活用されるのではないだろうか。象徴機能とはいえないにしても、そこには弁別の芽生えが感じられるのだが・・・。〉 
 この乳幼児の「泣き声」や「笑い声」は、《記号の信号的使用であって、人間以外の動物はすべてこの水準にある》ということがわかった。つまり、乳幼児はビックリして泣き出したとしても、それを聞いた育児者の感情までも共有しているわけではない、いいかえれば、ただ泣き出しただけであって、「ビックリ」という感情を「意識化」してはいない、ということだろう。育児者がその「泣き声」に応答して「そう、ビックリしたの、おどろいたよね、こわかったねえ」などと声かけをすることによって、乳幼児は「ビックリ」という感情を意識化し、それが「象徴機能」へと発展していくのではないかと、私は思う。
 自閉症児の場合、「象徴機能」への発展がつまづいているのではないかという仮説もあるようだが、それは知的障害児にもいえることであって、「自閉症」特有の問題とはいえない。
 いずれにせよ、「泣き声」「笑い声」といった「記号の信号的使用」が、どのようにして「象徴的使用」(言語)に変わっていくのか、興味をもって以下を読み進めたい。
(2018.4.10)