梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・20

■喃語と談話
【要約】
 音声言語の種類を異にする社会に生まれた子どもの間で、最初のうちは、発する音声に差がない。この差が生じてくるのはいつごろからであろうか。また、このような発達的変化は連続的に移行するのか、それとも非連続であろうか。
《喃語音声の生得性》
 中島・岡本・村井(1960)は、アメリカ児と日本児との音声の発達的変化を、生後2年間追跡し、次のように報告している。1歳0ヶ月までは両児の間に音素上の差異はほとんどみられなかった。1歳10ヶ月を過ぎてからアメリカ児に若干のアメリカ語独自の音声がめばえてきた。たとえば彼は“car”における最終音素[r]に近い発声をするようになった。しかし、大部分の音素はなお日本児と共通であり、[f][u][U]の構音、[i]と[I]の分化などはまだ生じなかった。したがって、母国語音韻の影響は、少なくとも喃語中心の段階ではほとんどあらわれないといえるであろう。
《音素レパートリー不連続説》
 喃語の音声と談話の音声との間の発達的関連については二つの見解が対立する。一つは、喃語活動中に生じる種々の音素は、同じ子どもの談話にふくまれている音素とは無関係であるという見解であり、他の一つは両者が発達的に連続するという見解である。
 ヤコプソン(Jakobson,1941)は、喃語音声はまったく反射的なものであって、母国語の音素とは発達的に関係をもたず、その習得の直接の助けにもならないと考える。
 ゴールドシュタインは“(喃語期における音声は)高等な精神過程、意図、あるいは環境による統制とは関係がなく、その音素とそれらの組み合わせはチャンス水準にある”(
Goldsteinn,1948)と述べている。
 キャロル(Carroll,1961)も、喃語活動は0歳6ヶ月~0歳10ヶ月の時期を中心にしており、そこにふくまれる音素やそのパターンは、談話習得が始まってから生じる音素や音素連鎖とは関係がなく、喃語活動中に生じる音素連鎖と談話期に生じるそれとが別ものであることを主張している。
 ワロン(Wallon,1963)は、喃語が子どもの正確な音声の知覚と正しい調音のための一般的基礎になるという。自分の生産した音声を聞き、これによって実験的な試みをしながら調音を組織的に変化させる方法を習得し、この一般的な“構え”の学習がのちに談話を習得するさいの一つの助けになる、という。
 マウラー(Mowrer,1960)は、子ども自身の声が獲得した二次的な報酬性は喃語の活発化を促すだけではなく、喃語音声を成人の談話の音声に近づける働きをするという。
《音素レパートリー連続説》
 アーウィン(Irwin,1947,1948)によれば、喃語期にほとんどすべての音声言語にふくまれるほとんどすべての音素が生起し、その一部が残って談話の構成分となり、彼の習得すべき言語にふくまれていない音素だけが消える。
 スキナー(Skinner,1957)は、“(音声学習の)過程を定式化するのに、強化されるべき行動に先行して生じる刺激について述べる必要はない。幼い子どもに[b]とか[a]とか[e]とかいわせる刺激は存在しない。それはレモンの一滴を子どもの口の中に点滴して唾液を分泌させたり、眼に光を与えて瞳孔反射を起こさせるというようなものではない。一つの反応を強化するには、それが自発的に生じるのを待つよりしかたがないのである”(Skinner,1957)と述べている。
 この所見に対して、チャーチ(Church,1961)はつぎのような反論をしている。
⑴ 母親は子どもの未熟な調音を許容する傾向が強く、その未熟な音素が強化される場合が多い。
⑵ 子どもの喃語の一部を抽出して強化する手段はない。
 このチャーチの批判は的をている。しかし、スキナーは、音声習得のもう一つのルートとして“反響反応”を用意している。
 チャーチ自身(Church,1961)も、喃語音声が育児者の言語音に近似化され、そのことによって談話音声に対する喃語の直接の寄与が生じることを認めている。しかし彼の場合は、喃語活動がもたらす最も重要な帰結は、外的強化や内的強化ではなく、自己の音声の聴覚的フィードバックである。彼にとっては、育児者から与えられた聴覚資料に対する自己の発声の照合によって音声学習は進められるのである。
《両説に共通の問題点》
⑴ これらの説は必ずしも、すべてが相互に排斥しあうものではなく、そのいくつかが一つの事実の異なる面を示していると考えるべきであろう。喃語は特殊的(個々の音声の)習得に寄与するとともに一般的(構音活動の組織化)習得にも寄与し、外的強化と内的強化と情報とは併立しうる事象である。
⑵ この問題では“喃語”を一定の初期に限って扱わなければならない。喃語は言語習得がかなり進行した段階まで長く続けられる。それ以前、それ以後には喃語は生じないという意味では“喃語期”という特定の時期はない。すでに談話の習得が進められている段階での喃語のなかに、母国語がはめこまれているような事例は珍しいことではない。この段階では上述のような見解の対立は生じない。


【感想】
 ここでは「音素(レパートリー)」という観点から、喃語音声と談話音声に「つながり」(発達的な関連)があるか、ないかについて研究者の見解が二分されていることについて述べられている。発達的にみれば、「産声」が「泣き声」(叫喚)になり、それ以外の発声(非叫喚)が、「アーウー、オックン」などというクーイングから「喃語」(バブリング)になり、さらに「メチャクチャことば」(ジャーゴン)を経て「談話」(音声言語)に発展する。その中で、「泣き声」「クーイング」「喃語」までは万国共通だが、「ジャーゴン」からは母国語の影響を受け始める、というように私は考えている。母国語の影響の中で著しいのは、「抑揚(イントネーション)」と「リズム」であろう。特に、日本語は「等時的拍音形式」というリズムをもち、語音は「母音」および「子音+母音」で構成される。『ことばの誕生と発達(0歳児)』(小久保正大著・有限会社シーエムディ・2002年)によれば、著者の孫は0歳7ヶ月の時、会話音に近い「ア」という発声をし、0歳8ヶ月の時、声の調子が人の話声に近くなり、0歳9ヶ月の時には、「アッ?(あれは?)」と言って、指さしをしたと言う。以後、指さしがさかんになり0歳10ヶ月の時には「アエハ?(あれは?)」を頻発して「マンマ」「アーアン(お母さん)」「バーアン(お祖母ちゃん)」「オーアン(お父さん)」ということばを獲得したと記されている。まさに、ことばの誕生がどのようにして行われるかを的確にとらえた、貴重な資料だと私は思う。
 特に、通常「初語」(始語)とされる「マンマ」以前に、母音と抑揚だけの「ア?」「アエワ?」といった「代名詞」(疑問詞)を使い始めたことが興味深い。それは、9ヶ月間の「声のやりとり」が「ことば」に結実化した瞬間だからである。
(2018.4.6)