梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・16

■喃語の反復性
【要約】
 喃語の反復性は、心理学的にはどのように説明されてきただろうか。
《循環反応仮説》
・ハートレー(Hartley,1810)、オールポート(Allp0rt,1924)、ホルト(Holt,1931)。
“いま発声のための筋が活動していたとする。言語音またはそれに近い音声は、ときに躯幹、喉頭、舌、唇の筋の合併運動によって作り出されるだろう。そして調音ないし非調音は、同じ偶然の原因が再発することによって生じるであろうことも明白である。多数回再発したあとは、これらの調音ないし非調音が自己の耳にもたらした印象は、子どもはつねに彼が行為すると同時に自己の発声を聞くので、それらを反復するに十分な連合的事象を生じる。このようにして子どもは何度も同一音声を反復し、耳への接近が発声の更新をうながし、発声器官が疲労するまでそれはつづく”。
 循環反応説は、発声論の問題について(刺激と反応の時間的接近による連合の生理学的機構の発達にまったくふれていないので)、何らの解明にはいたっていない。
《S-R二次強化理論》
・ミラーとダラード(Miller and Dallard,1941)。母親が子どもに食物を与えながら話しかける。このことによって食物の持つ一次的(生得的)報酬価は、母親の声に拡張され、母親の声が二次的な報酬価をもつようになる。子どもにとっては“乳児の声は母親の声とよく似たひびきをもっているから、この獲得的報酬価の一部は乳児の声へと般化する。乳児が自分の母親の発する声とよく似た声を発し、それを聞くということから生じる報酬価によってつよめられるであろう”
・この説の特徴は、他者の音声の二次的報酬価からの般化として、自己音声もまた報酬価を獲得し、このことによって子どもが自己反復を行うと考えている点にある。自己の音声を反復することによって報酬が与えられ、その結果この反応の反復生起傾向が強められる。
この説では、子どもが何ゆえ同一の音声パターンを反復しなければならないかということは十分説明できない。子どもにとって報酬価をもつ母親の(そして子ども自身の)音声は子どもが反復する音声以外にも多数あるからである。
《生得説に傾く諸説》
・音声反復を、運動反応に広くみられる原初的な行動特徴だとする学者もいる。
・ウェルナー(Werner,1948)。原始的行動はすべて未分節で中心を欠き、その典型として同一運動をあげることができ、喃語活動の反復性もその一つのあらわれとみている。
・ゴールドシュタイン(Goldstein,1948)。反復性喃語と談話とは発達的に連続しない。他者の反応に対する反響的な即時模倣(反響模倣)は談話習得への一つの導入の役を果たすが、喃語における反復性は反響模倣とはまったく関係がなく、単に乳児が現在到達している運動達成水準に相応した無目的な遂行にすぎない。模倣は感覚運動的な表象の形成をまってはじめて可能になるが、反復的喃語はそれ以前から生じる。喃語期と談話開始期との間に比較的沈黙の時期があり、また喃語期に生じる音声パターンのほとんどすべては談話期には引き継がれず、談話期では新たな習得がなされる。それが沈黙期が生じる理由である。
・ワロン(Wallon,1963)。子どもにおける自己模倣は反復運動症や反復言語症に近いものであって、内的機制の未発達ないしその障害から生じるものであり、精神機能の様式と運動機能の様式の未分化の結果としてあらわれる。要するに、運動機能への精神機能の従属にほかならない。
《喃語と聴覚的フィードバック》
 しかし、喃語の反復性が筋運動とその運動が感覚的フィードバックだけでは生じないということは、喉頭発声筋に固有受容器が欠けていること、あるいは聾児において反復性の喃語が認められないことから推定される。喃語の反復性は反復運動症にみるような自動的反射的な反応ではなく、少なくとも聴覚的なフィードバックをふくむものである。シモン(Simon.1957)はこれを“言語生産回路”とよんでいる。
 これを要約すると、喃語活動における反復性は、筋運動それ自体の反射的で自動的な反復現象とは考えられず、筋運動とともに聴覚的な統制をふくむかなり複雑な機制に基づいており、将来の談話活動の形式に対して一般的な基礎を与える不可欠な要因とみなければならない。


【感想】
 ここでは、喃語の反復性について、これまでの研究者がどのように説明してきたか、が紹介されている。それによれば、1930年代では「発声と同時に聞く」という「連合的事象」だ(循環反応仮説)と説明され、1940年代になると「一次的な食物の報酬が、二次的に母の声に重なり、さらに自分の声に般化され」強化されるという《S-R二次強化理論》が登場、さらに、「原始的行動の一つである同一行動」あるいは「反復運動症に近いものである」という《生得説》に傾きはじめた、ということである。それに対して、著者は、1950年代の「聴覚的フィードバック」説(シモンの「言語生産回路」)を肯定しているようだが、い
ずれにしても「なぜ喃語は反復するのか」という問題は難解ではないだろうか。一方、《S-R二次強化理論》や、ゴールドシュタインの「反復的喃語と談話とは発達的に連続しない。しかし反響的な即時模倣は談話習得への一つの導入の役を果たす」という説は、自閉症児の「言語発達」を考えるうえで、たいへん参考になった。母親の声を報酬価と感じることが発声を促すとすれば、母親の「共感的な話しかけ」を増やし、声で心の交流を図ることが第一歩になる。また反響的な即時模倣が談話習得への導入の役割を果たすとすれば、今、さかんに「オウム返し」を繰り返している自閉症児は、すでに談話への第二歩を歩き始めているということになるからである。
 叫喚が非叫喚になり、クーイングがバブリング、ジャーゴンへと発展し、それが談話(スピーチ)に結実化するまでのプロセスを着実にたどる(たどらせる)ことが、自閉症児の言語習得・言語発達を可能にする唯一の方法ではないだろうか、と思った。
(2018.3.23)