梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・28

《遊び》
【要約】
 遊びは新しい外的環境に対して、すでに獲得している活動を適用することであり、積極的で自主的な活動である。さらに遊びは、発達の過程のなかで漸次その象徴的特性を現し、それを最も高度に示す行為でもある。人間の精神発達を適応の過程としてみるならば、適応は模倣の調節機能と遊びの同化機能との統合と考えることができる。
◎ピアジェの遊びの発達段階論
《第1段階》(0歳0ヶ月~0歳1ヶ月)
 実用的ではない吸啜運動に遊びの前触れあるいは芽が認められる。摂食という本来の目的をもたず、吸啜運動そのものから得られる快である。
《第2段階》(0歳1ヶ月~0歳4ヶ月半)
 行為の機械的な反復と、そのたびに得られる哄笑によってだけ、他の段階と区別される。たとえば、子どもははじめある対象を見るという目的で頭を動かすが、のちにはこの目的から離れ、頭の運動そのこと自体を目的として、執拗に機械的にこの運動を反復し、そのたびに哄笑する。これは遊びの遊戯的な特性の最初の現れである。
《第3段階》(0歳4ヶ月半~0歳8ヶ月)
 子どもの関心をひきつける種々の対象への到達行為がはっきりした形で生じる。これは対象を手に入れることを目的とする手段的行為ではなく、その行為自体が目的であるというところに注目すべき特徴がある。到達行為に成功すると快を感じ、そのたびに哄笑する。第2段階と異なる点は、この遊びの行為の中に行為に対する対象の対立、あるいは行動の目標ないし方向が認められるようになってきたという点である。
《第4段階》(0歳8ヶ月~1歳0ヶ月)
 その行為の中に“図式の儀式化”がみられる時期である。一つの障害物を自分で取り除くことによって目標物に達することを学習したあとで、目的行動の妨げにならない物までいちいちこれを取り除く行為がつづけられる場合がこれである。
 種々の行為をふくむ一連の行為系列が習慣的に生じ、それが非欲求的・非順応的であるところから、ピアジェはこれを“儀式的行為”と名づけた。たとえば眠る前に横臥し、親指をなめ、つぎに枕の房を握るという一連の行為をいつもこの順につぎつぎと行う。この儀式行為は第6段階に生じる“象徴遊び”の発生の基礎となっているのである。
《第5段階》(1歳~1歳6ヶ月)
 遊びはいっそう明確に順応行為から離脱してくる。新しい順応行為ができあがると、これを直ちに儀式的な遊びに“アレンジ”してしまう。
 さらに“実験”ないし組織的な行為探索をふくんだ儀式もみられるようになる。たとえば、入浴中自分の髪を握った手が偶然滑って水をたたいたとき、その手の高さや位置をいろいろ変えてこの行為を反復するような場合である。順応行為をそのまま儀式行為に転化させるのではなく、種々の順応行為を組み合わせた儀式行為ができるようになってくる。《第6段階》(1歳6ヶ月~2歳0ヶ月)
 “象徴遊び”に代表される顕著な象徴意図によって特徴づけられてくる。とくに“ふりをする”という特性がみられる。行為が単に習得的・受動的な快の追求のための運動であることをやめ、その行為を子ども自身が自覚し、人に“ふりをし”“みせかける”のである。遊びはここで意図性とともに架想性を獲得するにいたる。架想性は表象の形成によってはじめて表れてくる。事態に直接連合していない行為を選択的に行うことが表象によって可能となり、この点がこれまでの儀式行為と異なる最も重要な特徴である。《第4段階》で入眠時に儀式行為をした子どもは、その後、房のついた布を見たとき、枕の房に対して行ったと同じように、その房を握り、親指をなめた。いかもこのとき、子どもは目を開けており、眠っていることを示すために、ときどき瞬きをしたのである。  
 この段階での表象は、行為から完全に独立するには至っていない。“行為のなかでの象徴”である。ただし、それまでの段階におけるような諸行動の生起順序の極度の固定は認められず、ここにも表象活動の一つの特性がうかがわれる。
 言語行動における遊び的な性格が幼い子どもは著しい。育児者はそれぞれの子どもの発達水準に応じて、子どもの遊びに参加しまたこれに干渉することによって、子どもの原義発達を助けるのである。(このことについては後述する)


【感想】
 「遊び」には、①実用的ではない、②順応的ではない、③手段的ではない、③快である、④哄笑をともなう、といった特徴があると述べられている。要するに、一見すると「無用の長物」だが、子どもの発達にとって、また人間の生活にとって必要不可欠な活動であるということだろう。当初(生後8ヶ月ころまで)は、首を回したり、振ったり、手足をバタバタさせることで快(喜び)を感じ、笑うことでその気持ちを表現していたが、それ以後になると、「一連の行為系列が習慣的に生じ」(儀式的行為)、1歳半を過ぎると、“象徴遊び”が生まれてくる。自分の頭の中で「想像して」(表象・架想)楽しむ遊びであり、「人に“ふりをし” “みせかける”」という特徴がある。
 著者は、幼い子どもの言語行動の中にも「遊び」が入り込み、その活動に育児者が参加・干渉することによって、言語発達が促進されると述べている。
 自閉症児の「遊び」の発達はどのような様相を呈するのであろうか。いわゆる「常同行動」は、《第5段階》の「遊び」にとどまっている状態であると考えてよいか。また、「遊び」の種類には「感覚遊び」「運動遊び」「構成遊び」(象徴遊び)「ごっこ遊び」「仲間遊び」などがあるといわれているが、それらとの関連も明らかにしなければならないと、私は思った。(2018.9.27)