梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・11

【自分を活かすのが苦手】
・不安定愛着型の子どもは、自分の可能性を試すことについて、過度の不安を感じたり、投げやりで無気力になったり、最初から諦めていたりしがちである。その結果、自分の可能性の芽を摘んでしまうことも多い。
・愛着障害の人は、自分の潜在的な能力を活かせていないことが多い。
【キャリアの積み方も場当たり的】
・回避型や不安型の愛着を示す若者の場合、キャリアの選択がなかなかできず、かといって十分な模索をするわけでもない。わずかな見聞や情報だけで決めてしまうという傾向がみられている。自分の選択に対する満足度も低い。
【依存しやすく過食や万引きも】
・愛着障害の人が、自分を支えていくためには、何らかの対象に依存するしかないが、それは麻薬的な悪い依存になりやすい。
・⇒アルコール、薬物、食べること、買い物、恋愛、セックスといった快楽行為
・⇒物への異常な執着→物、お金を「愛情の代用品」にする→万引き
【ヘミングウェイと依存症、うつ】
・ヘミングウエイは生涯、アルコールや恋愛への依存症があり、うつや猜疑心に付きまとわれ、自殺にまで追い込まれた。
【青年期に躓きやすい】
・不安型の人は、慣れ親しんだ人たちと別れ、自分だけを頼りに見知らぬ環境で暮らしてかなければならないということが、強いプレッシャーとなりやすく、情緒的な混乱をしばしば引き起こす。
・回避型の人は、失敗を恐れるあまり過度に防衛的になり、思いきりよくチャレンジしたり、難しい課題に取り組むことを自分から避けてしまうので、実力が発揮されにくい。
【子育てに困難を抱えやすい】
・二つのパターンがある。①子どもが嫌いで関心がない。②子どもが好きだが上手に愛せない。どう接したらいいかわからない。
・スティーブ・ジョブスは、クリス・アンという女性と親密になったが、アンが妊娠すると、中絶をせまり、彼女がそれを拒むと、関わりを一切絶ってしまった。
・夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治らは、みな子どもに対して関心が乏しいか、上手に愛せない人たちであった。
・愛着障害の人は、子どもとの関係が安定した絆として維持されにくく、わが子でありながら疎遠になってしまったり、憎しみ合う関係になることもある。
・逆に、自分の世話係や相談相手にすることで子どもに依存し、孤独や満たされない思いを紛らわそうとするケースもある。子どもは親に縛られ、自立が妨げられてしまう。
【良い父親ではなかったヘミングウェイ】
・最初の妻との間に生まれた息子ジョンは、ヘミングウェイの離婚後、母の手に委ねられ、母の離婚後、再びヘミングウェイの元に戻された。(最悪の養育環境)
・二人目の妻との間にできた二男パトリック、三男グレゴリーの世話は、妹や乳母に任せっきりで夫妻は二人だけで旅行した。
・表向きは、包容力のある良いパパを演出しようとしたヘミングウエイだが、その実態はひどくお粗末で、最悪の父親ぶりであった。
【父親になることをしり込みしたエリクソン】
・エリクソンは不義の子として生まれたため、実の父親が誰か知らないまま育った。
・愛着障害を抱えているジョアンと親密になったが、彼女が妊娠していると、すっかり狼狽し「永続的な関係を築くことへの不安」にとらわれ、結婚を逃れようとした。
・しかし、友人に説得されて結婚、家事・育児はジョアンに任せっきりだったが、ジョアンは自立し、エリクソンを支えた。
・家庭では「邪魔者」「問題児」扱いしかされなかった二人だったが、理想的ともいえる家庭を築くことができた。
【アイデンティティの問題と演技性】
・愛着障害があると、アイデンティティの問題も生じやすい。愛着は、安心感を与える土台であり、そこが障害を受けると、「自分が自分である」ということに確信をもちにくくなる。
・アイデンティティは、集団の一員としてのアイデンティティ、性のアイデンティティ、自分という存在としてのアイデンティティなど重層性をもつ。これらさまざまな次元のアイデンティティにおいて問題を生じやすい。
・「自分が自分である」ことに違和感があると、無理をしているという感覚をともないやすい。その結果、ある役割を本心から果たすのではなく、「演じている」という感覚をもちやすくなる。
【道化という関わり方】
・不安定型愛着の人は、三枚目やオッチョコチョイや道化役を演じることで、周囲から「面白い人」「楽しい人」として受けいれられようとする。
・道化役を演じてしまう人は、自己卑下的な傾向が強く、その根底には自己否定感がある。自分を粗末に扱うことで、相手に気を許してもらおうとするのである。他者に対する一つの媚びであるが、そうしないでは生きてこれなかった子ども時代の境遇が、そこに反映されている。
・「人間失格」(太宰治)
・一方で、辛辣、シニカルな毒舌や乾いたユーモアをみせる人もいる。
・両者に共通するのは、人生や世のなかに対して第三者のように関わっているということである。どこか超然とした達観があり、自分が対等なプレイヤーとして加わることを、最初から諦めている。
【内なる欠落を補うために】
・自分自身に対する違和感は、自分の欲望や喜び、満足感といった感覚がわからなくなる失感情症(アレキシサイミア)として表れることもある。
・「自分には『空腹』という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです」(「人間失格」太宰治)
・安全基地をもたず、自分の欲求や感覚よりも、周囲への気づかい の方に全神経を注ぎ込み、空腹を満たすという本能的な喜びにさえ気持ちを注ぐことができない。
・失感情症は、他人と喜びや悲しみを共有することの困難に通じる。共感したくても、それを実感できないから、共感しようがないのである。不安定で確かなものがない感覚のなかで、愛着障害の人が拠り所とするのは、演じるということであり、それによって、ぽっかり空いたバツの悪い間をうめようとするのである。
・演じることに密接に関係した問題行動は虚言である。自分という存在の薄さを、作り話によって補う意味がある。嘘で装うことで、自分が願望する存在や相手に気に入られる存在になろうとするのである。
【反社会的行動の背景にも多い】
・愛着障害を抱えた子どもには、物を盗んだり、壊したり、弱いものをいじめたりといった、反抗やいたずらといった問題行動がしばしばみられる。
・実際、非行に走る少年少女の大部分は愛着障害を抱えている。
・「エミール」の著者・ルソーには「盗癖」があった。
・愛着障害の人にみられやすい犯罪行為の代表は万引きや盗みである。盗みは、愛情を得る代償行為になっていたり、愛情を与えてもらえないことの仕返しとして行われることもある。恵まれない境遇にある自分の当然の権利として、あるいは反抗の証しとして、確信犯的に人の物を盗るようになる。
【ジャン・ジュネという奇跡】
・ジャン・ジュネの傑作でサブテーマとなっているのは、盗癖とホモセクシャルであり、そこには彼自身の人生が反映されている。彼は愛着障害が陥りやすい危険を、極端な形で症状化してみせると同時に、それを克服する道程を、われわれに示してくれた。
・未婚の母のもとに生まれたジャン・ジュネは7か月後、遺棄され、家具職人一家の里子になった。養父母は優しく寛大であったが、ジャンの盗癖がはじまり次第にエスカレートしていった。
・ジャンは、里親のもとを去った後、何度も落ち着くチャンスがあったにもかかわらず、盗みや放浪を繰り返しては、感化院や刑務所を行き来するようになった。
・ジャン・ジュネの本当の奇跡は、作家として成功したことよりも、彼が泥棒として人生を終えなかったことだ。
・ジャン・ジュネは小説家から、ヴェトナム反戦やパレスチナ問題、黒人問題など、マイノリティの立場に立つ政治活動に身を投じていった。それは「搾取する連中から盗んでやらないといけないんだ」と語っていた少年が、社会と折り合いをつけた姿だったのだろう。
【安住の地を求めてさまよう】
・愛着障害の人のなかには、家出や放浪を繰り返す人がいる。出家したり、遁世をしたりというケースもある。
・その代表は、ゴータマ・シッダルタ、すなわち釈迦である。
・釈迦の遍歴において、母親的な女性との出会いをみることができるが、それは性愛的な煩悩が超越した慈愛へと高められ、それに一体化することで、悟りにいたる。それは、釈迦が母親として求めたものの、究極の形だったのではないだろうか。
【性的な問題を抱えやすい】
・愛着障害の人は、性的な問題を伴いやすい。愛着は対人関係の基本であると同時に、性愛も愛着を土台に発達するのである。愛着障害は対人関係に影響を及ぼすのと同じように、性愛にも、さまざまな形で皺寄せがくる。
・愛着障害が生じる環境では、母親は妊娠中から、あまり恵まれた状況にないことが多く、高いストレスによって、妊娠中のホルモン環境が胎児の成長に悪影響を及ぼす危険が増大するのである。(男児の妊娠中に、母親が強いストレスを浴びたり、ある種の薬物を服用していると、胎児の精巣から分泌される男性ホルモンの量が少なくなる。これは性同一障害や同性愛傾向を生む要因となる)
・また、愛着障害の子どもでは、混乱した性的障害を幼いころから受けてしまうというケースも少なくない。母性的な愛情への憧れと性愛の混乱がみられたり、男女の役割の倒錯がみられたりしやすい。
・ジャン・ジュネ:「女性に魅力を感じたことは、一度もない」
・夏目漱石;女装癖
【ルソーの変態趣味】
・ルソーにも性倒錯的な趣味があった。
・母親が子どもに対して冷淡だったり、虐待を加えたりした場合、子どもは女性に対して強い敵意を抱くようになり、非常に歪んだ形でしか女性を愛することができなくなることもある。(サディズム、幼児性愛)
・性的倒錯の背景には、ほとんど例外なく愛着障害がみられる。
【谷崎潤一郎の女性観】
・谷崎純一郎も、特異な愛着障害を抱えていた。
・谷崎の描く世界では、相互的な愛よりも、一方的な献身やマゾヒズム的犠牲こそが、愛の本質なのである。「痴人の愛」「卍」「春琴抄」「少将滋幹の妻」
・谷崎の幼年期の特徴は、甘やかされて過保護に育てられたということと、肝心の母親の愛情が欠けていたというアンバランスさに要約できるだろう。三島由紀夫の幼年時代の境遇と共通している。(三島は谷崎の作品を高く評価している点が面白い)
【親代わりの異性と、ずっと年下の女性】
・愛着障害を抱えた人は、しばしば親代わりの存在を求める。ずっと年上の異性が恋人や配偶者となることも珍しくない。逆に、ずっと年下の異性に親のように振る舞うことで、自分が欲しかった存在になろうとすることもある。
・男性の場合、成熟した女性への忌避もある。母親との関係が不安定で、母親に対する憎悪や過度の理想化があると、通常の恋愛や愛情を伴った肉体関係が困難となるのである。
・喜劇王チャールズ・チャップリンは、ずっと年下の女性を好んだことで知られている。
・乳飲み子だったころから母親が忙しかったうえに、その後(父親と離婚)ずっと不安定な母親を見て育ったことで、チャップリンは愛着不安の強い、不安定型の愛着スタイルを抱えることになった。
・また、チャップリンの人生に欠落していた父親という存在は、その欠落ゆえに憧れとなった。はるかに年下の女性を妻にすることは、父親を求める願望を、逆に自らが父親的な存在として振る舞うことで、代償するものである。同じく父親の不在という心のすき間を抱えていたウーナ・オニールとの結婚が、37歳という年齢差を超えて、稀に見る幸福なものとなりえたのは、まさにその点に秘密があったように思える。
【誇大自己と大きな願望】
・偉大な人物には、愛着障害を抱えているケースが少なくない。
・誇大自己は、幼い時期にみられる自己愛の一形態である。自らを神のように偉大な存在と感じ、万能感や自己顕示性、思い通りにならないときに表れる激しい怒りを特徴とする。
・コフートによると、誇大自己の願望がほどよく満たされ、またほどよく挫折を味わうことで、バランスのとれた段階へと成熟していく。しかし、何かの理由で、急激に挫折を味わうと、誇大自己の段階にとどまり続けてしまう。それは愛着障害で起きることに他ならない。
・誇大自己が残ったままの愛着障害の人は、誇大自己の願望を、現実とは無関係に膨らまし続けることで、傷ついた自己愛を保とうとするのである。それが、大きな理想を実現し、逆境をはねのける原動力となっている側面もある。
・しかし、それは両刃の剣でもある。
【高橋是清の『強運』】
・高橋是清は、生まれてまもなく里子に出され養家で育ったが、「自分は運のいい子だ」という信念をもつようになったという。
・外国人の商館で下働きをし、外国に渡ったが、奴隷に売り飛ばされた。しかし、彼のなかには楽天的な万能感が、艱難辛苦を不思議と乗り越えさせた。
・無鉄砲で騙されやすい性格は容易に治らず、大借金を抱えるなど浮き沈みの激しい人生を送った。彼の「強運」は、危険な目にそれだけ遭遇したということであり、無防備な人生を歩んだということにほかならない。
【独創的な創造性との関係】
・作家や文学者に、愛着障害を抱えた人が、異様なほど多い。(夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫)日本の近代文学は、見捨てられた子どもたちの悲しみを原動力にして生み出されたとも言えるほどである。
・「欠落」を心のなかに抱えていなければ。直接に生産に寄与するわけでもない創作という行為に取りつかれ、人生の多くを費やしたりはしないだろう。書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があってこそ、作品を生み出し続けることができるのだ。
・芸術の分野以外でも、政治や宗教、ビジネスや社会活動の領域で、偉大な働きや貢献をする人は、しばしば愛着障害を抱え、それを乗り越えてきたというケースは少なくない。愛着障害の人には、自己への徹底的なこだわりをもつ場合と、自己を超越しようとする場合がある。その二つは、表裏一体ともいえるダイナミズムをもっている。自己へのこだわりを克服しようとして、自己超越を求めることは多いが、同時に、自己に徹底的にこだわった末に、自己超越の境地に至るということも多いのである。
・彼らの行動や思考が、独創性や革新性をもたらすということは、彼らが「親という安全基地をもたない」ということと深く関係しているように思える。いきなり社会の荒波に放り出されて生きてきたようなものであり、その困難は大きい。しかし親という安全基地は、しばしばその人を縛りつけてしまう。そこが安全であるがゆえに、あるいは親に愛着するがゆえに、親の期待や庇護という「限界」にとらわれてしまうことも多い。親が設定した「常識」や「価値観」にがんじがらめにされ、常識的な限界を超えにくいのである。愛着が不完全で、安全基地をもたない場合には、そこに縛られることがないので、まったく常識を超えた目で社会を見たり、物事を感じたり、発想することができやすい。これが、独創性という点で、大きな強みを生むのである。
・創造とは、ある意味、旧来の価値の破壊である。破壊的な力が生まれるためには、旧来の存在と安定的に誼を結びすぎることは、マイナスなのである。親を代表する旧勢力に対する憎しみがあった方が、そこから破壊的なまでの創造のエネルギーが生み出されるのだ。
・その意味で、創造する者にとって、愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害をもたないものが、偉大な創造をを行った例は、むしろ稀と言っても差し支えないだろう。技術や伝統を継承し、発展させることはできても、そこから真の創造は生まれにくいのである。なぜなら、破壊的な創造など、安定した愛着に恵まれた人にとって、命を懸けるまでには必要性をもたないからである。
・漱石は東大教授という安定した地位を擲って新聞小説家になった。谷崎は東大を中退し作家活動に飛び込んだ。スティーブ・ジョブズは、大学を中退してドラッグ、放浪という遍歴を繰り返した。バラク・オバマは、大学卒業後、一流企業に就職せず、ソーシャル・オーガナイザーとして活動した。
・彼らの創造的な人生の原点にあるのは、既成の価値を否定し、そこから自由になろうとしたことである。彼らにそれができたのは、彼らが内部に不安定な空虚を抱え、常識的な行動によっては満たされないものがあったからだ。その源をさかのぼれば、愛着の傷ということに行きつくだろう。


【感想】
・以上で、「第3章 愛着障害の特性と病理」は終わる。
・筆者は、「親という安全基地をもたない」愛着障害のネガティブな特性(病理)として、①信頼や愛情が維持されにくい、②ほどよい距離がとれない、③傷つきやすい、④ストレスに脆い(うつや心身症の要因になる)、⑤非機能的な怒りにとらわれやすい、⑥過剰反応しやすい、⑦「全か無か」になりやすい、⑧全体よりも部分にとらわれやすい、⑨意地っ張りでこだわりやすい、⑩発達の問題を生じやすい(発達障害と診断されることも少なくない)、⑪自分を活かすのが下手、⑫キャリアの積み方も場当たり的、⑬依存しやすい(過食・万引き)、⑭青年期に躓きやすい、⑮子育てに困難を抱えやすい、⑯道化という関わり方をする、⑰反社会的な行動を生み出す、⑱安住の地を求めてさまよう(家出・放浪)、⑲性的な問題を抱えやすい、⑳親代わりの異性とずっと年下の異性、㉑誇大自己と大きな願望、を挙げている。
・私自身、生後5か月で母親と死別したので、「親という安全基地」は父親が代償したが、愛着は不十分であり、愛着障害を抱えて生きてきた、といっても過言ではないだろう。事実、小学校入学時の健診では「知恵遅れ」の疑いがあるとされ、再検査を受けた経験がある。また、入学後の学校生活になじめず、1か月ほどは「登校」を拒否した。以後の自分史をふりかえっても、「ほどよい距離がとれない」「傷つきやすい」「過剰反応しやすい」「全か無かになりやすい」「全体よりも部分にとらわれやすい」「意地っ張りでこだわりやすい」「道化という関わり方をする」といった特性は、自分の性格として思いあたる。また「安住の地を求めてさまよう」願望は、今でもある。
・一方、筆者は、愛着障害のポジティブな特性(可能性)についても述べている。それは、「親という安全基地をもたない」がゆえに、旧来の常識、伝統に縛られない破壊的なエネルギーが生み出す「革新性」「独創性」ということである。夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫らの例を挙げ、〈「欠落」を心のなかに抱えていなければ。直接に生産に寄与するわけでもない創作という行為に取りつかれ、人生の多くを費やしたりはしないだろう。書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があってこそ、作品を生み出し続けることができるのだ。〉と述べている。私自身、「欠落」を心のなかに抱え、書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があることはたしかであり、作品を生み出し続ける「真似事」もしているが、結果は「駄作の反古」が積み重ねられるばかりで、その可能性とは無縁であることがわかった。(2015.9.29)