梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・4

【親を求めるがゆえに】
・愛着を脅かす、もう一つの深刻な状況は、守ってくれるはずの親から虐待を受け、安全が脅かされるという場合である。この場合、子どもは親を求めつつ、同時に恐れるというアンビバレントな状況におかれる。しかも、親がいつ暴力や言葉による虐待を加えてくるかわからないといった状況は、子どもにとって予測も対処も困難である。ただ「自分は無力で悪い存在だ」という罪の意識や自己否定の気持ちを抱えされてしまう。自分がダメな子だから親は愛してくれないのだ・・・そう考えて納得しようとする。
・親に認められたいという気持ちは、それがほどよく満たされた状態で成長していけば、大人になるころには、自然と消えていく。しかし、その思いを満たされずに育った人は、いくつになっても、心の奥底で「親に認められたい」「愛されたい」という思いを引きずることになる。親に過度に気に入られようとしたり、逆に親を困らせたり反発したりするという形で、こだわり続けるのである。
【安全基地と探索行動】
・愛着という現象は、対人関係のみならず、幅広い能力の発達にも関わってくる。そこには、愛着のもう一つの特性が関わっている。
・子どもは、愛着という安全基地(アメリカの発達心理学者メアリー・エインスワース)がちゃんと確保されているとき、安心して外界を冒険しようという意欲をもつことができる。逆に、母親との愛着が不安定で、安全基地として十分機能していないとき、子どもは安心して探索行動を行うことができない。その結果、知的興味や対人関係においても、無関心になったり消極的になったりしやすい。守られていると感じている子どもほど、好奇心旺盛で活発に行動し、何事にも積極的なのである。
・1歳半を過ぎるころから、子どもは徐々に母親から離れて過ごせるようになる。しかし、ストレスや脅威を感じると、母親のもとに避難し、体を触れ合わせ抱っこしてもらうことで、安全を確保し安心を得ようとする。
・3歳半ごろまでには、一定期間であれば母親から離れていても、さほど不安を感じることがなくなり、また母親以外の人物とも、適度に信頼して関わりをもつことができるようになる。母親を主たる愛着対象、安全基地として確保しながら、同時に、他の従たる愛着対象をもち、活動拠点を広げ始めるのである。
・このことは、大人においても基本的に同じである。安定した愛着によって、安心感、安全感が守られている人は、仕事でも対人関係でも積極的に取り組むことができる。「安全基地」を確保している人は、外界のストレスにも強い。幼いころにしっかりと守られて育った人では、大人になってからも自分をうまく守れるのである。
・ただ気をつけたいのは、過保護になってサポートを与えすぎ、子どもの主体的な探索行動を妨げたのでは、良い安全基地ではなくなるということである。安全基地とは、求めていないときにまで縛られる場所ではないのである。それでは、子どもを閉じ込める牢獄になってしまい、依存的で、不安の強い、自立できない子どもを育ててしまう。


【感想】
・この節では、愛着を脅かすもう一つの深刻な状況、愛着対象(親)は存在しているが、その親から虐待をうけるケースについて述べられている。子どもは「抵抗」「絶望」「脱愛着」することはない代わりに、親を「求めつつ恐れる」というアンビバレントな状況に追い込まれる。その結果、〈「自分は無力で悪い存在だ」という罪の意識や自己否定の気持ちを抱えされてしまう。自分がダメな子だから親は愛してくれないのだ・・・そう考えて納得しようとする〉。また、〈いくつになっても、心の奥底で「親に認められたい」「愛されたい」という思いを引きずることになる。親に過度に気に入られようとしたり、逆に親を困らせたり反発したりするという形で、こだわり続けるのである〉という指摘は、昨今の「家族関係」の問題要因を考えるうえで、たいへん参考になった。
・子どもにとって、親は「安全基地」であり、それが探索・好奇心の源になる、という考え方に、私も全面的に同意する。さらに〈ただ気をつけたいのは、過保護になってサポートを与えすぎ、子どもの主体的な探索行動を妨げたのでは、良い安全基地ではなくなるということである。安全基地とは、求めていないときにまで縛られる場所ではないのである。それでは、子どもを閉じ込める牢獄になってしまい、依存的で、不安の強い、自立できない子どもを育ててしまう〉という指摘は重要である。「発達障害」と呼ばれる子どもの親の中には、知らず知らず、そのような「育て方」(過保護・過干渉)に陥っているケースが少なくないだろう、と私は思った。
(2015.9.21)