梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・57

《ピアジェの見解》
【要約】
 ピアジェ(Piaget,1933,1934,1945)は、知覚が行為的経験を媒介としてはじめて発達すると考えている。前述したマッチ箱場面(父親が1歳4カ月の女児の目の前でマッチ箱をあけ、そのなかに鎖を入れ、箱の口を少しあけたまま彼女にさし出す。彼女は鎖を取りだそうとして種々の行動的探索を試み、失敗に終わると、箱の口を一心に見つめながら、自分の口を何度か開閉した。はじめ、口を少ししか開けなかったが、次第に広く開けるようになった。ピアジェは、これは箱の口の空洞性を理解し、これを自分の口の行為で表そうとしているのであり、口の行為は箱の口の象徴とみられ、これは初期における象徴行為であるという。彼女の用いた象徴は音声によってではなく、非音声行為によって作られている。さらに、この口の行為は目的達成のために直接有効なものではなく、目的に対する手段的行為でもない。それは行為を媒介とした“思考”なのである)で生じている子どもの行為に注目すべき三つの特徴がある。
⑴ それは対象への働きかけの試みではなく、知覚に伴う現象である。実用的な目的のための手段ではなく、感覚素材から知覚を構成するための行為である。この行為はこの年齢の子どもの知識獲得の手段として常套的なものである。その素材は感覚の世界から与えられているが、単なる知覚の延長でもなければ、感覚運動的模倣でもない。それは一種の構成物であり“代表性模倣”の所産である。
⑵ 感覚素材を何らかの反応によって、行為として再現しようとする工夫が、物を対象化し明確な存在として把握するためになされる。これが初期図式化活動の基本的特徴である。象徴行為は、発生期には、代表機能を行為から独立させる契機を作る。
⑶ この行為は物の運動そのままの模写ではない。物の特性を反影させながらも模倣ではないということが重要であり、これが人間独特の行為様式である。この行為様式こそ、“非知覚的世界”へ人間を参加させる初歩階梯である。  
 上記のピアジェの所説は、広い支持をえつつある。
 ブルーナー(Bruner,1964;Bruner et ai.,1966)は代表過程を個体発生的に三つの発達段階に区分している。まずはじめに、行為的代表過程が生じる。ここでは自己の適切な運動反応を媒介として事象の代表化が達成される。つぎに、模像的代表過程の期がくる。ここではオノパトペから音象徴へとつづく原初的象徴行動に対応する代表過程が発声する。最後に“象徴的”代表過程の時期がくる。ここの“象徴的”とは、“言語的―文法的”ということと同義である。
 筆者は、上述のピアジェやブルーナーに近い見解をとる。代表機能と象徴機能とは、厳密に区別しなければならないが、それらが独立に機能しうるのは、感覚運動的な水準を超えたのちである。ピアジェは、代表過程の側でのこの独立を、“表象”の発生に求めている。表象が形成されるにいたって、象徴機能はかえって代表機能に規定されるようになる、と考えられる。
 ヘッブ(Hebb,1958)は、この種の独立した代表過程(媒介過程)は、中枢における入力に対する切り換え装置の役を果たすものであり、ある神経生理学的な機構においてその興奮が保持されるような、一種の閉回路をなす内的連鎖構造である、と考えている。このようにして、顕現行動のなかに、代表過程からの強い統制を受ける行動がいくつか生じてくるわけだが、その代表的なものが言語的象徴行動、つまり談話にほかならないのである。


【感想】
 ここでは、知覚は行為的経験の媒介によって生じ、発達するというピアジェやブルーナーの見解が紹介されている。
 ピアジェは、1歳4カ月の女児が、マッチ箱に入れられた鎖を取りだそうとして、自分の口を開けたという行為を見て、その行為は“代表的模倣”の所産であり、初期図式化活動であり、“非知覚的世界”へ人間を参加させる初歩階梯である、としている。
 私は前節(ウェルナーの見解)で「代表機能」の意味がわからなかった。ピアジェの見解を読んでも、依然としてわからなかった。
 筆者は、最後に「談話」(言語的象徴行動)は、代表過程からの強い統制を受ける行動の「代表的なもの」と結んでいるが、その代表過程とはどのような過程なのか、また代表機能と象徴機能はどのように区別されなければならないのか、私の疑問は残ったままである。(2018.7.31)