梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・15

2 いかに克服していくか
⑴安全基地となる存在
・愛着の原点は、親との関係で育まれる。愛着障害は、そのプロセスで躓いている。それを修復するには、親との関係を改善していくことが、もっとも望ましい。
・しかし、親の方も不安定な愛着の問題を抱えていることも多く、子どもに対する否定的な態度を改めようとしない親もいる。
・何が起きているのかを説明し、ボタンの掛け違いを気づかせる第三者が必要になる。
・その第三者が、親が果たしてくれなかった役割(安全基地という機能)を、一時的に、場合によると数年単位という長いスパンで、肩代わりをすることが必要である。そうすることで、子どもは愛着を築き直す体験をし、不安定愛着を安定型愛着に変えていくのである。
・安全基地とは、いざというとき頼ることができ、守ってもらえる場所であり、そこを安心の拠り所、心の支えとすることのできる存在である。外の世界を探索するベースキャンプでもある。トラブルや危険が生じたときには、逃げ帰ってきて、助けを求めることができるが、いつもそこに縛られる必要はない。良い安全基地であるためには、本人自身の主体性が尊重され、彼らの必要や求めに応えるというスタンスが基本なのである。気持ちが不安定で心細さを感じるうちは、安全基地を頻繁に頼り、その助けを必要とするが、気持ちが安定し、安心と自信を回復するにつれて、その回数も減り、次第に自力で行動することが増えていく。さらにもっと時間が絶てば、心のなかで安全基地のことを思い描くだけで十分になり、実際にそこに頼ることもなくなっていくかもしれない。それこそが、究極の安全基地なのだ。
・「安全基地がもてない障害」ともいえる愛着障害を克服するためには、良い安全基地となってくれる存在が、是非とも必要なのである。
【安全基地を求めてさまよい続けたルソー】
・愛着不安が強すぎるゆえに、親しい人が自分のもとを離れていくというのは、愛着障害の人がたどりやすい悪いパターンである。
・ルソーは、ヴァラン夫人をはじめ、庇護者となってくれる存在に巡り合い、彼らの助力を得ることができたが、そうした関係は、ことごとく破れていった。その原因は、愛情に対するルソーの期待値が高すぎたためである。たった一人の例外は、妻のテレーズである。テレーズは無学であったが、ルソーに対して常に忠実で、いつもそばにいてくれた。テレーズはルソーにとって、最後の安全基地であったのである。
【良い安全基地とは?】
・良い安全基地の条件は五つある。
①安全感を保証する。②感受性、共感性。③応答性。相手が求めていないことや、求めていないときに余計なことをするのは、応答性から外れている。相手がするべきことまで肩代わりすることは極力避けなければならない。安全基地は「怠け者の楽園」ではない。④安定性。その場の気分で対応が変わるのでは亡く、一貫した対応をとることである。⑸何でも話せることである。①から④までの条件がクリアされてはじめて達成できる。
・「何でも話せる」という状態が維持されているかどうかが、良い安全基地の目安だとも言える。
⑵愛着の傷を修復する
【未解決の傷を癒やす】
・愛着の傷にはさまざまなものがある。(親に捨てられた、死別した、生別した、ネグレクト、虐待、両親のけんか・離婚、親から否定された、期待を押しつけられた等々)
・愛着の傷を修復する過程は、認知的な修正を施せばいいという単純なものではない。
・認知的な修正よりも、幼いころに不足していたものを取り戻すプロセスが大事である。【幼いころの不足を取り戻す】
・愛着障害の修復過程は、ある意味、赤ん坊のころからやり直すことである。
・傷が回復するためには、幼いころの心理状態が再現され、そのとき得られなかった愛情を今与えてもらうという状態が出現することが前提である。
・幼い子どもに戻ったように、駄々をこねたり、わがままを言ったり、親を困らせる時期にしっかりと付き合うことで、次第に安定を回復することにつながるのである。
・すうかり後退したように思えるときが、回復の第一歩である。この時期に徹底的につきあうことが重要である。
・親が付き合うのが難しい場合は、親に代わる人が必要である。恋人、パートナーがもっともふさわしいが、治療者、教師、宗教者、先輩や仲間といったさまざまな援助者がその役目をになってくれることもある。
【踊子体験と愛着の修復】
・「伊豆の踊子」は、傷ついた愛着を癒やす物語だと言える。主人公は出会った踊り子から「いい人ね」と言われたことによって、「自分を素直にいい人だと感じることができた」。・人を信じることができるためには、自らの価値を肯定してもらえるという体験が重要なのである。
・ジャン・ジュネは窃盗癖によりジャン・コクトーから見捨てられた後も、ラディカルな政治活動や同性愛者の仲間によって支えられた。ジュネは仲間からも盗んだが、仲間は一緒のコミュニケーションのようなものとして受け止めた。盗癖さえ、彼を拒否する理由にならなくなったとき、ジュネは泥棒をやめた。盗むという以外の関わりをもつことがげきるようになったとき、その必要性は薄らいでいったのである。
・アニメの主人公・タイガーマスクは、「ちびっこハウス」出身で悪役レスラーとなったが、「ちびっ子ハウス」の子どもたちの前では、弱いが気の優しいお兄さんとして振る舞う。そのなかで、子どもたちが寄せてくれる純粋な愛着が、守るべき絶対の価値となっていった。誰を愛することも、信じることもなかった青年が、子どもたちとの関わりのなかで癒やされ、再び人を信じることができるようになった。それは、まさに愛着の修復が行われたということに他ならない。
【ままごと遊びと子どもの心の回復】
・愛着障害を修復する一つの手立てとして、「子ども心」を取り戻すことが、鍵をにぎるように思える。
・幼い少女に執着を抱く、ロリータ。コンプレックスの男性は、ほぼ例外なく愛着障害を抱え、満たされることなく失われた子ども時代を取り戻そうとしている。それは、傷ついた愛を修復する試みなのである。しかし、そうした試みは、しばしば幻影に終わる。
【遊びがもつ意味】
・愛着障害をを抱えた人は回復していく過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験する。
・人は子どものころに足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとする。一見奇矯であり、滑稽にさえ映るかもしれないが、そこにあるのは、そこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされぬ思いなのである。それをできるだけ早い時期に満たしてやれば、ある程度取り戻すことも可能なのである。それが間に合うぎりぎりのデッドラインが青年期ということになるだろう。
・愛着回避の強いタイプと、愛着不安の強いタイプでは、安心の得方や癒し方に大きな差がある。愛着回避の強いタイプでは、中性的な子どもの世界が、安心と癒しを与えてくれる安全な避難場所となるが、愛着不安の強いタイプでは、その世界は、あいまいで、宙づりにされたような、不安な境遇に過ぎなかった。(川端康成と伊藤初代の事例)
【依存と自立のジレンマ】
・愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程において、その傷が深いほど、自分を支えてくれる人に甘えようとする一方で、反抗的になったり困らせたりするのが目立つようになる時期がある。(無視、怒り、つっけんどんなど)
・この時期が、回復への過程において、もっとも重要な局面である。
・この反抗する気持ちには、二つの段階がある。①支えてくれる人の愛情をもっと求めたいのに我慢している、自分のことを振り返ってくれないことへの怒りに由来する段階、②もう少し成長して、支えてくれる人からの期待をうっとうしく感じ、距離をとろうとしている段階。②の段階は、依存している愛着対象から分離と自立を遂げていくという大きな課題に向き合っているときである。本人は、期待に背くことで見捨てられてしまうかもしれないという不安と、依存から脱して責任ある存在として自立したいという欲求との間でジレンマを感じている。支える側は、反抗することを許容し、受け止め、動揺せず、その気持ちを認めてやることが大事である。
・支える側自身が、愛着不安を抱え、克服できていない場合は、許容できない。その落とし穴に陥るか、真に回復に向かうかの境目は、この段階を乗り越えられるかどうかにかかっている。(相手の反抗や離反も肯定的にとらえ、その根底にある気持ちを前向きに受け止める。こちらの思い通りにならないことは、自立の証しだと、むしろ祝福することが大切である。
【傷ついた体験を語り尽くす】
・愛着の傷を修復するためには、安全基地を確保し、子どものころの不足を取り戻したり、周囲に受けいれられるといった共感的、体験的プロセスとは別に、もう一つのプロセスが
必要である。それは言葉を介した、認知的なプロセスである。これらが並行して進むことによって、修復までのプロセスは盤石なものになる。
・子どものころに傷ついた体験は、言語化の不十分な情動的記憶として、その人の心や行動を無意識のうちに支配し、ネガティブな反応や感情の暴走、解離を引き起こす原因となる。そうした記憶を再び活性化することが必要である。
・嫌な出来事の記憶をたどりながら、そのときどんな思いであったかを、その人の言葉で語ってもらうことが重要である。
・最初は「何とも思っていない」「気にしていない」と問題自体を否認する。その段階を超えると、次は否定的な感情ばかりが語られる。傷が深ければ深いほど、長期間続く。そうすることが修復には必要なのである。
・その作業は、友人や恋人を相手に行われることもあれば、パートナーの力を借りて行われることもある。否定的なことを一切言わず、丸ごと受け止めてくれる存在(安全基地)に、自分の身に起きたことを、味わってきた重いとともに語り尽くすことが重要なのである。
・「一生付き合う覚悟で、腹を据えて、その人に関わろう」としている非専門家や家族の方が、愛着障害の修復という点では大きな力になる。
・書くという行為は、ある意味、愛着障害の自己治療の試みと言えるかもしれない。何を書いても許される原稿用紙という安全基地にすがるほかはないのである。(夏目漱石の例)
・ジャン・ジュネは親友の哲学者サルトルに、自分の生い立ちや味わってきた思いについて赤裸々に語り続けた。(「聖ジュネ」・サルトル)
【怒りが赦しに変わるとき】
・過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、ある時期から変化がみられるようになる。否定的なことばかりを語り尽くした後で、楽しかった経験や親が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して「そういえばこんなことがあった」と語ったりするようになる。
・そのころから次第に、親の良かった面や愛情を受けたことにも向き合うようになる。
・そのとき、親を憎んでいるのではなく、愛しているということに気づくこともある。親を愛し、求めているからこそ、憎む気持ちが生まれていたのだということを受けいれられるようになる。悲しみと怒りの物語から、愛と赦し、希望の物語へと転化し、一緒に受け止めてくれる存在と共有することによって、とらわれは解消され、現実的な力に変わっていく。
・自分から、親を傷つけてきたことを謝りたいと思うようになったり、育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えようとしたり、和解しようとすることも多い。親の方も歩み寄ることができると、事態は劇的に好転し、安定化と真の自立へ向かって進み始める。
・親と和解できたとき、自分自身とも「和解」することができる。自分のことを過度に否定的に考えていたのが、自分を受けいれ、自信をもつことができるようになるのである。
・親に対して否定的な見方や感情をもつことは、親が自分に対して否定的であったということの反映であり、それは自ら自分を否定することに結びついている。それは、単なる否定的な認知の問題というよりも、愛着を介した情動と結びついた問題であることにより、強烈な支配力を及ぼしていたのである。
【過去との和解】
・愛着障害を克服する過程として、「過去との和解」という段階が認められる。愛着対象へのネガティブなとらわれを脱し、自己肯定感を取り戻すために、この段階は非常に重要な意味をもつ。
・心理学者エリクソンは母や義父から「不肖の息子」とみられていたが、素晴らしい伴侶を得たことで初めて両親から見直され、その後、義父との立場が逆転、無一文になった両親を経済的に支援することになった。否定されていた過去を逆転、前向きに乗り越えることができた。
・哲学者ショーペンハウアーは生涯独身で、孤独な人生を全うしたが、最後まで母親に対する恨みを忘れなかった。彼の後半生は、一切創造的なものを生み出すこともなかった。
【義父と和解したクリントン】
・ビル・クリントンは酒乱の義父を憎み、両親は離婚したが、義父の姓を名乗り続けた。ビルが学生のとき、義父が末期ガンにかかり、毎週見舞い、自分の夢を語った。義父は「お前ならできる」とはげまし、二人は心から和解した。自信のない、冴えない存在だったビル少年が輝くばかりの魅力と自信にあふれた存在に生まれ変わる過程において、義父との和解は重要な分岐点になった。
【スティーブ・ジョブスの場合 禅、旅、妹との邂逅】
・スティーブ・ジョブスは若いころ、愛着障害の典型的な特徴(多動、反抗、戦闘的、傍若無人)を示し、利益やドラッグに心の安定を求めていたが、それに代わるものとして東洋哲学に傾倒しはじめた。放浪の旅を経て禅の導師から「自分の心に浮かんだものに素直に従う」ことを体得した。導師との関係は、彼の愛着障害の克服に大いに役だった。
・億万長者になってから、実の親を探そうとし、妹に巡り会い「親友」になった。
・ジョブスは妹を介して実の母親とも関わりをもつようになったが、一方で自分の養父母のことを積極的に自分の「親」だと周囲に主張するようになる。
・理想化した「幻の親」を克服することで、「本当の親」を再発見し、親が与えてくれたものに感謝する・・・。ジョブスの心のなかにそうしたプロセスが起きたのだろう。彼は育ての親との愛着を再確認するとともに、自分の過去と再確認することができた。それによって、彼の愛着スタイルは、少しずつ安定化の方向に向かった。(アップル社を追われても、事態を前向きに乗り越えることができた。その後、より魅力的な人格としてカリスマ性を発揮した)
⑶役割と責任をもつ
【社会的、職業的役割の重要性】
・安定した愛着スタイルばかりを課題として追求することは得策ではない。自分がやるべき役割を担い、それを果たそうとして奮闘するうちに、周囲の人との関係が安定する。そうなることで、もっとも親密な人との愛着関係においても、次第に安定していくことも多い。
・親密さをベースとする愛着関係は、距離がとりにくく、もっとも厄介で難易度が高いものだが、社会的な役割とか職業的な役割を中心とした関係は、親密さの問題を棚上げして結ぶこともできるし、仕事上の関わりと割り切ることもできる。そうした気楽さが、気のおけない関係を生み出すことにもつながる。
・役割をもつこと、仕事をもつこと、親となって子どもをもつことは、愛着障害をのりこえていくきっかけとなる。愛着回避が強く、人付き合いが苦手な人も、必要に駆られて関わりをもつようになれば、対人スキルが向上し、人と一緒に何かをする楽しさを体験するようになる。愛着不安が強い人の場合、役割をもつことで、心が安定し、愛着行動にばかり神経を傾けることから救ってくれるのである。
【否定的認知を脱する】
・愛着障害を克服する場合、否定的な認知を脱するということが、非常に重要になる。
・そのためにどうすればよいか。①どんな小さなことでもいいから、自分なりの役割をもち、それを果たしていく。自分のためというよりも、家族や人のためにもなれば、いっそう良い。その場合に大切なのは、義務感に縛られることなく、気楽に取り組むことから始めることである。②「全か無か」といった二分法的な認知ではなく、清濁併せ呑んだ、統合的な認知がもてるようになることである。嫌なこと、思い通りにならないことがあった場合、事態を冷静に受け止め、「そうなって良かったこともある」という前向きな姿勢が必要である。→ヴァリデーション(認証・承認) ③ユーモア、頓知が発想の転換になる。「良いところさがし」をすることが大切である。「何か良いことがあるはずだ」 
【自分が自分の「親」になる】
・愛着障害を克服するための究極の方法は「自分が自分の親になる」ということである。・ある女性の決心:《親に期待するから裏切られてしまうのだ。親に認められたいと思うから、親に否定されることをつらく感じてしまうのだ。もうこれからは親に左右されるのはやめよう。あの人たちを親と思うのはやめよう。その代わりに、自分が自分の親になるのだ。自分が親として自分にどうアドバイスするかを考え、「自分の中の親」と相談しながら生きていこう》。実際、その方法は、非常にうまくいった。
・エリク・H・エリクソンの場合:彼は義父からもらった名前、ホンブルガーをミドルネームのHにして、エリクソンという名前を自分でつけたのである。エリクソンは「エリクの息子」という意味を含んでいる。彼もまた、自らが自らの親となることで愛着障害を克服し、真の意味で自立を遂げたのである。
【人を育てる】
・愛着障害を克服していく過程で、自分が親代わりとなって、後輩や若い人たちを育てる役割を担うという現象が、しばしば観察される。自分自身が「理想の親」となって、後輩や若い人たちを育てるという方法である。
・夏目漱石は、父親としては失格であったが、寺田寅彦、森田草平、小宮豊隆、鈴木三重吉らの門人に慕われた。森田草平が心中未遂事件で社会から葬られそうになったとき、自宅に匿い、また作家としてやっていけるように便宜を図った。漱石は、ある意味、門人たちの安全基地となっていたのである。そうした関わりのなかで、漱石は人間的に成長し、文豪の名にふさわしい境地に達するまでになったように思える。
【アイデンティティの獲得と自立】
・愛着障害を克服するということは、一人の人間として自立するということである。自立とは、必要なときには人に頼ることができ、相手に従属するのではなく、対等な人間関係をもつということである。
・自立のためには、周囲から自分の存在価値を認めてもらうことが必要になるし、それを得ることによって、自己有用感と自信をもち、人とのつながりのなかで自分の力を発揮することができる。
・自立の過程とは、自分が周囲に認められ受け入れられる過程であり、そうした自分に対して「これでいいんだ」と納得する過程でもある。自立が成功するには、この両方のプロセスが、うまく絡みあいながら進んでいく必要がある。そちらか一方だけでは成り立たないのである。
・愛着障害の人が、その過程で躓きやすい理由は、①他者に受け入れられるということがうまくいかなかった、②自分を受け入れることがうまくかなかった、ということである。
他者に受け入れられるプロセスをもう一度やり直すとともに自分を受け入れられるようになることで、愛着障害の傷跡から回復し、自分らしいアイデンティティを手に入れ、本当の意味での自立を達成することができるのである。
・愛着障害は、夫婦関係の維持や子育てに影響しやすいという特性をもつ。子どもにしわ寄せが来て。子どもの愛着の問題へとつながっていく可能性がある。そんな負の連鎖を立つためにも、自分のところで愛着障害を克服することが重要になる。
・愛着障害を克服した人は、特有のオーラや輝きをもっている。その輝きは、悲しみを愛する喜びに変えてきたゆえの輝きであり強さに思える。そこに至るまでは容易な道のりではないが、試みる価値の十分ある道のりなのである。


【感想】
・この章では、愛着障害を克服する方法について、詳細に、わかりやすく、具体的に述べられている。まず、①「安全基地」(愛着の対象、好きな人)を確保すること、よい安全基地には5つの条件(安全感、共感姓、応答性、安定(一貫)性、何でも話せる)があること、その中でも「何でも話せる」ことが最も重要であること。次に、②愛着の傷を修復すること、そのためには、幼いころの不足を取り戻すこと(退行)、遊びを通して子ども心を回復すること、傷ついた体験を語り尽くすこと(心の奥底に封じ込まれている無意識な部分を「言語化」(意識化)すること、怒りの感情を赦しに変えること、過去との和解をすること、さらに、③役割と責任をもつこと、とくに「社会的、職業的役割」は、親密さの問題を棚上げして、仕事上の関わりと「気楽に」割り切ることができるので有効であること、その役割を果たすことで、「否定的認知」(自己無用感、劣等感)を脱すること、究極的なは「自分が自分の親になること」、他人に認められ受け入れられることによって、自分自身を受け入れ、アイデンティティを獲得できるようになることが重要である、と言うことがわかった。
 筆者は、現在、京都医療少年院勤務とある。現代社会の中で様々な問題を引き起こした少年、少女たちと向き合い、「一生付き合う覚悟で、腹を据えて。その人に関わろうとしている」専門家であることは間違いない。「愛着障害」を困ったこととして「否定的に認知」するのではなく、それを克服しようとすることによって大きな可能性が開けることにまで言及していることに、私は大きな感銘を受けた。今さらながら、「本当の問題は、発達よりも愛着にあった」という筆者の「警鐘」に、すべての臨床家は耳を傾けなければならないと思う。(2015,9.30)