東京新聞朝刊(29面)に〈難病長男殺害の妻を刺殺 「嘱託」で夫起訴 執行猶予5年 傷癒えず 罪悪感の日々「やっと楽に」〉という記事が載っている。その内容は、生きることの意味の重さ、深さをひしひしと感じざるを得ない人間模様で、どんな小説、ドラマよりもリアルに迫ってくる。〈殺害された妻のH子さん(6... 続きをみる
2016年10月のブログ記事
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「九条」に感謝を告げて旅立つ日 【補説】 「九条」のおかげで、私は兵役に服することはなく、人を殺すことも、殺されることもなく、穏やかな七十余年を過ごすことができた。そして今、静かに旅立つ日を待っている。(2016.10.25)
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君が代の不戦を説きし君逝きぬ 【補説】 三笠宮殿下の御逝去を悼み、心よりお悔やみ申し上げます。 (2016.10.27)
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私はまだ生きている、65歳。なぜ?、などと考えてみたところで、答が見つかるはずがない。生きているから生きているのである。でも、「生きる」ことは苦しい。「苦」とは、仏教用語で「思い通りにならない」由。早く死にたい。死ねば「楽」になる(はずだ)。友だちのS君は逝った。知人のA氏も逝った。今度は私の番... 続きをみる
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東京新聞朝刊「発言」欄(5面)の下段に以下の投稿記事が載っている。〈「靖国参拝は戦争の美化 無職・阿伽陀しげみ(90)毎年、靖国神社の例大祭では、閣僚に加えて政治家の集団参拝が物議を醸している。彼らは「国のために命を捧げた英霊に尊崇の念を払うのは当然」と口をそろえる。だが、勝ち目のない戦争で、一... 続きをみる
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いったい私は何のために生きている(成仏できない)のだろうか。そんなことはわかるはずがない。強いて言えば、(自分の意思とはかかわりなく)「生まれてしまったから」生きているのである。つまり、私は、「自分から生まれよう」と思って生まれてきたのではない。では誰の意思か。直接的には「両親」の意思ということ... 続きをみる
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正午、JR飯田橋駅で旧友A(中学、高校時代の校友)と待ち合わせ後、徒歩15分ほどの所にあるR寺に向かう。途中のコンビニで缶ビールを購入、Aは自宅から庭木の枝、線香を持参。三年前に他界した亡友S(小学校、中学校の校友)の墓参が目的である。俗謡に、「いい奴ばかりが先に逝く、どうでもいいのが残される」(... 続きをみる
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昨日、今日と二日間に亘って知人A氏の葬儀が執り行われた。A氏の享年は63歳、現役を退職して五年が経過、病気療養中の見舞客も四、五人ほど、親族といっても従姉妹の二家族(五、六人)だったので、「通夜の客」は二十人程度、多くても三十人を超えることはないだろうと思っていたが、あにはからんや、職場の同僚・... 続きをみる
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秋風と戯れて往く峠道 【補説】 独り七十路坂を下りていく。友だちは秋の風と枯れススキ。そして俗謡が聞こえる。「何にも聞かないで つらい恋でも想い出にゃ いいことばっかりが 残るのよ」(山口洋子) (2016.10.2)
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