梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・15

■喃語の形式
【要約】
《喃語の音声面》
 初期にはbaba....のような1音節単位の反復が多く、その後にbaba,baba,....のような反復性の多音節単位の反復が生じ、さらに、その後bama,bama,....のような非反復性の多音節を単位とする反復が生じ、さらに変化に富む結合がそれに続く。
 このように、喃語の形式面での著しい特徴の一つは反復性にある。もっとも、これは音声学的な水準での厳密な反復ではない(村井,1961)。0歳5ヶ月ころからその反復性は弱まってくるという報告もある(Shirley,1933)。
 初期には区切りのない同一音声の連続であったものが、2音節ないしそれ以上の音節が単位となって区切られ、その間に短い声の休止があるような形が生じてくる。これも喃語の発達のあらわれとして注目すべきであろう。この区切りのあらわれは、発声反応の言語化、喃語行動から談話行動への発達的移行のきざしを示唆するものである(村井、1953a)。談話はその中にふくまれる語あるいは句によって区切られる構造をもっており、喃語におけるこのような音節的な区切りは、この言語的構造づけの発声面における一つの素地となると考えられる。
《喃語の音調面》
 音調(イントネーション)の面では母国語への接近傾向が比較的早くからあらわれる。200人の0歳2ヶ月~1歳9ヶ月の子どもについて調べた結果(Guernsey.1928)によると、子どもが音声面で母国語に類似してくる相当以前から、音調面に母国語の談話の影響があらわれてくる。それは相手に何ごとかを言語的に訴えるような印象を与えるので“表出的喃語”(expressive jargon)ともよばれている。レオポルドも、彼の娘が0歳10ヶ月のとき、談話調で意味のまったくわからない“話し”をするのをたびたび聞き、これを“長いおしゃべり(continual prattling)”と名づけている(Leopold,1939)。
 このような発声行動は、ある意図のもとで話しかけるような切迫性がなく、あたかも“外国語で人形に話しかけている趣き”(Kirk,1955)がある。そこに談話に近い何かをわれわれに感じさせるものが音調にあることはたしかであり、彼らの音調への模倣力はおどろくべきものである。
《喃語のさらに進んだ変型》
 この一連の喃語音声のなかに、子どもがすでに習得している語がふくまれることは、1歳2ヶ月~1歳3ヶ月以上の子どもでは珍しくない。にもかかわらず、その発声行動は、全体として一貫した意味がないのであり、大部分が調音不完全なものであるから、全体としては喃語の変型とみるべきであろう。


【感想】
 ここでは、喃語の「音声面」と「音調面」の形式について述べられている。音声面では、音節の「反復」と「区切り」が特徴である。初めは「ババババ・・・」という1音節の反復であり、それが「ババ、ババ、ババ・・・」という2音節の反復に変化し、さらに「バマ、バマ、バマ・・・」「ナン、ナン、ナン・・・」のような反復が生じる。私の知る自閉症児は3歳頃まで「レリ、レリ、レリ・・・」という反復を繰り返していた。次に、発声の小休止(「区切り」)も現れる。発声は呼気によって生じるので、当然、吸気の間が必要になる。子どもは喃語を反復して発声した後、一瞬、間を置いて、また話し出すということである。これは、成人が会話をする際の「間」に相当するだろう。
 音調面では、「母国語への接近傾向が比較的早くからあらわれる」という指摘が、たいそう興味深かった。音調とは、イントネーション(抑揚)であり、母国語特有の抑揚やリズムを乳児は「模倣によって」身につけるということである。喃語は反復を主とした「バブリング」から、母国語のイントネーションを模倣した「ジャーゴン」(メチャクチャ言葉)へと発展していく。音声面よりも音調面で母国語の影響が早く現れるという指摘も貴重である。自閉症児の場合、「話し言葉に抑揚がない」「紋切り型(一本調子)で話す」などという特徴が指摘されているが、乳児期 、この「イントネーションの模倣」は活発に行われたか、といった点が重要なチェック・ポイントになると、私は思う。
 乳児が喃語を発声し、母国語のイントネーションを模倣するためには、それに相応しい「言語環境」が不可欠であろう。喃語を発しても育児者が「声で応じない」(喃語を模倣・強化しない)、レオポルドのいう「長いおしゃべり」を言語として受け入れない、無視する、また子どもの発声できる音声で話しかけない(幼児音、幼児語を使わない)といった「言語環境」であったとすれば、自閉症児の「言語発達」が致命的に妨げられることは、当然の結果であると私は思った。(2018.3.22)