梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・18

《自閉的強化説》
【要約】
 喃語活動は、子どもがひとりでいるときにも生じる。喃語活動が維持され、活発化する原因を、人から与えられる即応的強化にだけ求めるわけにはいかない。他の原因の一つとして、マウラー(Mowrer,1952,1954,1960)は、“自閉的強化理論”(autisticreinforcement theoty)を唱えた。その所説は以下のとおりである。
 オウムのような話す鳥に人間の談話に似た音声を自発的に生産させるためには、手本となる音声がこの鳥にとって快を与えるような脈略のなかで何回も聞かされることが第一に必要である。日常親しんでいる人が鳥の求めている餌や水をやったり愛撫してやるときに、いつもHello!とよびかけるならば、この鳥はおそかれ早かれ、このHello!に近い音声を自発的に発するようになる。人の発する音声が鳥にとって快を伴う脈略のなかで与えられるということは、この音声が古典的条件づけ(接近連合)を通じて、二次の強化性をもつための十分な条件である。ここでこの発声は、自発的に生じるものとしてはまだ条件づけられていないのであって、聞かれる音声が強化効果をもつようになったことを意味するだけである。人の声がそれを聞く鳥にとって“よいもの”“好ましい対象”になっただけである。しかし、こうなれば、この条件づけはさらに容易になる。そこで、このような状態にある鳥を仲間から隔離し、仲間への愛着と関心とを人間(飼育者あるいは実験者)のほうへ向け変えなければならない。鳥の生活、とくに食生活を人に直接依存させることが、その人ならびに人の声への愛着(二次的報酬性)を高める上には最も効果的であるとマウラーはみている。最近の研究によると、愛着は必ずしも給食関係と一義的に結びつくものではないことが次第に明らかにされてきた。[Walters and Parke,1965]
 ひとたび音声の二次的報酬性が形成されるとき、鳥は自分の鳴き声が人の声に近いときに、その近似性が大きいほど大きな強化を受けるであろう。このことによって、鳥はますます人の声に近似する発声傾向を強める。このように第二の段階では道具的条件づけを通じて、鳥に自発的に人の声に似た音声を発する傾向を強めることができる。これがマウラーの説の要点である。
 マウラーによれば、人間乳児における喃語の形成もその発達も、鳥の場合とまったく同様に説明することができる。子どもはその全生活を母親に依存しており、母親の声は子どもにとって二次的報酬性をもつようになる。母親から呼びかけられることによって、子どもは孤独のさびしさから解放される。この母親の声に類似する子ども自身の発声は、大なり小なり母親の声と同じ効果をもつようになる。子どもは自分の発声によってさびしさをまぎらせることができる。これはたしかに強化効果であるが二次的であり、しかも自分自身に与える自閉的(autistic)強化効果であるといわなければならない。他者から与えられる強化を外的強化というならば、これは内的強化あるいは自閉的強化というべきものである。
 このように、喃語を強化するものは、“ひとりしゃべり”に関するかぎりでは、内的な強化刺激であり、初期喃語が主として“ひとりしゃべり”であるとすれば、内的強化の役割は大きいといわなければならない。


【感想】
 ここで述べられていることは、自閉症児の「言語発達」について考えている私にとっては、きわめて興味深い内容であった。 
 喃語活動は、子どもがひとりでいるときにも生じる、その原因として、著者はマウラーの“自閉的強化理論”を紹介している。それによれば、人間乳児の喃語の形成や発達は、オウムなど話す鳥の場合とまったく同様であるということである。①子どもは食生活を筆頭に全生活を母親に依存していること、②授乳されながら、世話をされながら、母親の声を聞いていること、③母親の声が「快感」に結びつくこと、④母親の声が自分の発声に結びつくこと(母親の声と自分の声は「ヒトの声」であり、単なる物音ではないことに気がつくこと)、⑤自分の声を聞いて母親の声を思い浮かべること、⑥自分の発声が「快感」に結びつくこと。その結果、子どもはひとりでいるときでも、快感を求めて(さびしさをまぎらせるために)「声を出す」(喃語を話す)ということである。上記の①~③では、母親の存在と「声かけ」が不可欠であり、それを子どもが「快」と感じたはどうかが極めて重要だと思われる。そして④がどの程度、可能かということも大きな問題だろう。自閉症児の中には、テレビのコマーシャル、駅のアナウンスなどを巧みに“ひとりしゃべり”する場合がある。母親の「声」よりも、そうした「音声」を模倣するのはなぜだろうか。また、「孤独のさびしさから解放される」ためではなく、「さびしさをまぎらす」ためでもなく、他人の接近を回避するために“ひとりしゃべり”を防御手段にする傾向はないか。だとすれば、自閉症児の⑤は「自分の声を聞いて、自分を守ること(安定すること)」、⑥自分の発声が「不快(おそれ)」に結びつくことを遮断すること、ということになるかもしれない。
 いずれにせよ、自閉症児特有とされている「ひとりごと」は、自分自身に与える内的(自閉的)強化刺激のあらわれであり、乳幼児期には誰もが経験していることだということがよくわかった。著者は末尾で「内的強化の役割は大きいといわなければならない」と述べている。「ひとりごと」を自閉症児の行動特徴として決めつけるのではなく、一つの可能性として、次の段階に進めるにはどうすればよいか、といった観点が必要だと私は思った。(2018.3.25)