梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・8

【親の愛着スタイルが子どもに伝達される】
・「親の不在」「養育者の交替」といった問題のないふつうの家庭に育った子どもでも、三分の一が不安定型の愛着パターンを示し、大人のおよそ三分の一にも、不安定型愛着スタイルが認められるのはなぜか。それは、親の愛着スタイルが子どもに伝達されやすいからである。
・母親の愛着スタイルと子どもの愛着パターンは密接に関係し、母親が不安定型の愛着スタイルをもつ場合、子どもも母親との間に不安定型の愛着パターンを示しやすいことが明らかになっている。
・養子となった子どものケースで、実の母親と養母のそれぞれが子どもにもたらす影響を比べてみると、実の母親の愛着スタイルよりも、養母の愛着スタイルの影響の方が、ずっと大きいのである。(遺伝的要因よりも養育環境の影響が大きい)
・父親の愛着スタイルや他の人物の愛着スタイルも影響を及ぼす。
・父親と母親で愛着スタイルが異なっている場合には、安定型の愛着スタイルをもつ親との関係が、不安定型の方の親との間に生じやすい不安型の愛着パターンを補ってくれる場合もある。その後出会う人との関係によって、修飾や修正を受け、十代初めごろに愛着スタイルとして固定していく。
【愛着障害を抱えていたミヒャエル・エンデの母親】
・ミヒャエル・エンデの母親は、孤児であった。15,6歳で孤児院を出ると看護師、洋品店、アクセサリー店経営などを経て、37歳のとき28歳の男性と結婚した。世界恐慌、ナチス台頭というその年にミヒャエルが生まれた。母親は、父親の愛情を執拗なほどに確認した。また、父親の欠点や失敗に対して、容赦なく責め立てた。父親は平穏に育ち、気性も穏やかで、忍耐強い性格のだったが、愛着という点においては小さな傷を抱えていた(離婚歴など)。両親はミヒャエルを非常に可愛がったが、現実回避的なところがあった父親は、次第に子どもを重荷に感じるようになった。夫婦の関係は、つねに不安定であり、ケンカが絶えなかった。
・過保護の一方で、両親が罵倒し合うのを聞いて育ったミヒャエルは「自分が二人をつなぎとめなければならないと思っていた」。自分が良い子にしていなければ、両親は別れてしまうという気持ちをずっと抱いていた。こうした境遇は、反抗的な一面と、相手の顔を見て相手を喜ばせようとふるまう性向のまじった、複雑な性格を育むことになった。(統制型の愛着パターン)
【愛着スタイルと養育態度】
・両親が揃っていて、ちゃんと養育を行っている場合でも、子どもが不安定型愛着を示すのは《親の関わり方と関係がある》からである。
・回避型の愛着パターンを示す子どもでは、母親は子どもに対して、感受性や応答性が乏しい傾向が認められている。平たく言えば無関心であまりかまわないのである。
・抵抗/両価型の愛着パターンを示す子どもの場合、母親自身不安が強く、神経質だったり、子どもに対しては厳格すぎたり、過干渉だったり、甘やかしたりする一方で、思い通りにならないと突き放すといった両価的な傾向がみられる。子どもを無条件に受容し、安心感を与えるというよりも、良い子であることを求める傾向が強いのである。そのため、子どもは陰日向のはっきりした、二面性を抱えやすい。
・混乱型の愛着パターンを示す子どもの場合、母親の態度や気分によって、反応パターンが大きく変動するのが特徴で、母親が精神的に不安定であったり、虐待を行っている場合に認められやすい。
・ミヒャエル・エンデの場合には、愛着不安の強い不安型の母親と、何事にも距離をおこうとする回避型の父親との間で育ったが、母親に近い不安型愛着の傾向が強く、それを克服するのに、周囲の気分をコントロールしようとする統制型を発展させたようにみえる。エンデには、母親の過剰とも言える愛情があり、母親との愛着自体は、比較的安定したものであった。それが、彼の人生を守ったことは疑いない。
【ビル・クリントンの場合】
・ビルが生まれたとき、父親はすでに事故死していた。母親は、ビルが1歳前後のとき、看護師になろうと、ビルを祖父母に預け、旅立ってしまった。祖父母は、ビルを厳しくしつけた。楽しい思い出は、思い出すのも抵抗があるほど少なかった。
・看護師になった母親が、新しい夫を連れてビルを迎えに来た。祖母は反対、法廷闘争になりかけたが、母親が勝ち、ビルを連れ去った。祖母と母親とがいがみ合い、その板挟みになったことはビル少年の愛着にさらに傷を負わせた・
・新しい父親はろくでなし、母親は浮気性で毎晩のようにケンカが絶えなかった。
・ビルは、母親に対して驚くほど従順だった。祖母も母親も、義父さえもビルは愛していた。不安定型の愛着は、人の顔色に敏感で、相手にうまく合わせる能力の過形成を伴うが、ビルの場合にも、そうしたことが起きたと言えるだろう。
・みじめで不安定な家庭生活とは裏腹に、ビルは周囲から明るく社交的で、幸福な子どもだと思われていた。彼はそう思われるように振る舞うことで、バランスをとることを覚えていたのだ。演じること、嘘をつくことは、そのころからビル・クリントンの「天性」であったと、多くの証言が裏付けている。
・それでも、母親は常にビルの味方であることに変わりなく、母親の機嫌をとるという統制型愛着の傾向はみられるものの、二人の間の愛着の絆は不安定ながら保たれていた、その点に、まだ救いがあったと言えるだろう。
【ヘミングウエイの場合】
・ヘミングウエイの母親は、裕福な家庭に育ち音楽的な才能に恵まれていたが、家事や育児といった家庭的なことはおろそかになりがちであった。掃除や料理はことに嫌い、子育てにも無関心であった。医師である父は母に頭が上がらず、はっきりと自分の気持ちを主張できない不器用なところもあった。子どもの教育方針やしつけをめぐっても、夫婦間にはずれがあった。父はピューリタンで勤勉・誠実、アウトドアの活動を好んだ。母は、自己満足のために、ヘミングウエイをコンサートや美術館に連れ出した。姉と双子の姉妹として育てたいという願望から、女装させられることもあった。
・幼いころは、母親のなすがままだったヘミングウエイは、次第に母親に対する反発や嫌悪を示すようになる。その根底には、母と子との間にあるはずの情愛の欠落があった。
・父親は、厳格・潔癖、不寛容で神経質な面を備えていたので、ヘミングウエイは父親に対しても、怒りや反発を感じていた。やがて父親は自殺、その反発は罪悪感へと変わり、母親に対する反発は憎しみへと変わっていった。
・ヘミングウエイが作家として成功した後も、その態度は極めて冷ややかであった。
【ネガティブな態度や厄介者扱い】
・不安定型の愛着スタイルを生む重要な要因の一つは、《親から否定的な扱いや評価を受けて育つ》(厄介者扱いされて育つ)ことである。その典型的な例は太宰治のケースであろう。「生まれて、すみません」は、彼の心の本質を、もっとも端的に表した言葉である。・親から否定的な評価しかされなかった子どもが、親をもっと困らせるようなことをそてそれを実現することは、愛着障害のケースでは頻繁にみられる。否定的な扱いを受けて育った人は、どんなに優れたものをもっていても、自己否定の気持ちを抱えやすくなる。


【親に認めてもらえなかった中原中也】
・中原中也は、父親が32歳、母親が29歳のときのできた最初の子だった。両親の喜びはことさらで期待も大きかった。外で友達と遊ぶことや水泳は禁じられた。その「過保護」によって、中也は次第に反抗的になり、手に負えなくなった、両親は中也を寺に預け、「思想矯正」を図ったが、中学三年を落第した。両親は世間体を気にして、中也を所払いして京都の中学に送った。中也はいっそう心を荒ませ、3歳年上の女優・長谷川泰子と同棲したり、無頼の生活に耽り始める。
・中也は、親を安全基地として支えにすることができなかった。その結果、不安定な関係の中に、自分の身の置き所を求めようとして裏切られたり傷つけられられたりし、いっそう人生を混乱させていく。
・彼は、親友の小林秀雄に長谷川康子を奪われ、一度に二人の人間に裏切られた。後年、精神に変調を来し、被害妄想にとらわれたりするが、そのことが遠因のひとつになったと言えなくもない。
【母親のうつや病気も影響する】
・母親のうつは、不安定愛着の要因として非常に重要である。
・うつは、虐待やネグレクトが起きる一つのリスク・ファクターであるという実態が明らかになっている。うつになりやすい人では、完璧主義や潔癖症、強すぎる義務感といった性格傾向を備えていることが多く、そうした性格と結びついた行動様式が虐待を誘発しやすいと考えられている。
【ウィニコットの場合】
・小児科医から児童精神科医の草分け的存在となり、母子関係の重要性に最初に着目した一人にイギリスのW・D・ウィニコットがいる。
・裕福な家に生まれたウィニコットは三人兄弟の末っ子で姉が二人いた。父親は市長を務めたこともある地元の名士であった。ウィニコットに対しては支配的で、遊ぶ暇は亡かった。母親は、目立たない存在で、一説によるとうつを抱えたいたとされる。授乳中に生が高ぶってしまうためウィニコットの離乳は早められた。
・後にウィニコットは、子どもの健全な成長と精神の安定のためには、何よりも母性的な没頭が必要であり、その欠如が、子どものさまざまな問題の背景にあることを指摘しているが、それはウィニコット自身が幼年期に、母親の母性的没頭が損なわれるような状況におかれた体験と「因果関係」がある。
・ウィニコットは、母親のうつが子どもの精神的安定や発達に影響することを最初に指摘した人物でもある。子ども時代のウィニコットは、沈んでいる母親に安心を与えることが「自分の仕事」であるとみなしていたという事実は、彼がその後、うつの母親に育てられた子どもについて述べたことと、ぴったり重なるのである。
・ウィニコットの姉二人は、独身のまま両親のもとに留まり、両親の世話をして生涯を終えた。母親のうつがもたらした分離不安の高まりによって、自立が妨げられたのではないかという疑いを抱かせる。ウィニコットは「偽りの自己」としてしか生きられなかった、という。
・ウィニコットは結婚し、離婚と再婚も経験している。14歳のときに寄宿学校に送られたことは幸いだったかもしれない。
【母親以外との関係も重要】
・愛着の問題は、母親との関係だけを取り上げて事足れりとされるものではない。
・親の離婚や死別と、愛着スタイルとの関係を調べたミクリンサーらの研究によると、子どもが4歳未満のときに父親が死亡したり、離婚していなくなった場合、子どもには愛着回避、愛着不安の傾向がともに有意に高く認められ、愛着スタイルが不安定になりやすいことが示された。
・恋人や配偶者は、愛着スタイルに関して、かつて母親が及ぼした影響に匹敵するほどの大きな影響を及ぼすことがある。それまで変動の激しかった対人関係が、安定した愛着スタイルの人と一緒にいるようになって、落ち着いてくることもある。逆に、安定型の愛着スタイルをもつ人が、不安定型の愛着スタイルをもつ配偶者の影響で、不安定型に変化するという場合もある。
・共倒れするか。互いが幸福をつかむかの分かれ目は、どこにあるのだろうか。その点については後の章で述べたい。
【一部は遺伝的要因も関与】
・新生児の段階でイライラしやすかったり、ストレスに対してネガティブな反応を強く示すなどして、母親が扱いづらいと感じる赤ん坊では、後に抵抗型や混乱型の愛着パターンを示す傾向がみられた。これは、遺伝的要因により、愛着障害を生じやすい不利な気質が関与している可能性を示している。ただ、そうしたケースでは、母親も子どもに対して反応が乏しかったり、過度にコントロールしようとする傾向がみられた。遺伝的な気質と母親の反応性が不利な方向に相互作用を起こすことで、不安定型の愛着パターンが形成されていくと考えられる。
・愛着障害(不安定型愛着)に関連する遺伝子として最初に見つかったのは、D4ドーパミン受容体遺伝子の変異で、繰り返し配列が通常よりも多く、48塩基縦列反復(48bpVNTR)と呼ばれる領域が、通常は2回または4回反復するところを7回反復していた。この変異が最初に見つかった子どもは、混乱型の不安定愛着を示していたが、その後の研究で、混乱型の愛着パターンを示す子どもの67%で、この遺伝子変異が認められることがわかった。それに対して、安定型の愛着を示す子では20%、回避型では50%の頻度で認められ、この遺伝子変異をもっている子の場合、混乱型の愛着障害になるリスクが、もたない子の4倍になると計測されたのである。
・この遺伝子変異は、母親が通常のコミュニケーション能力を示す場合には不利に働き、愛着障害を引き起こすリスクを高めるが、母親が混乱した情緒的コミュニケーションを行う場合には、むしろ不安定型愛着になるのを抑える方向に働いていたのである。この遺伝子変異をもつ子どもは、正常な感受性をもたないので、傷つくことを避けられるのかも知れない。
・遺伝的要因の関与のうち、もう一つ、セロトニン・トランスポーター遺伝子の変異がある。(セロトニン・トランスポーターとは、神経伝達物質セロトニンが、神経細胞の軸索の先端からシナプスと呼ばれる間隙に放出された後、このセロトニンを再び取り込む働きをしているタンパク質である)遺伝子の変異によりトランスポーターが効果的に作られないと、セロトニンの再取り込みがスムーズにいかなくなり、セロトニン系の信号伝達機能を弱めてしまう。つまり不安を抱きやすくなったり、うつになりやすくなったりする。
・セロトニン・トランスポーター遺伝子には、短い配列(s)のタイプと長い配列のタイプ(l)があり、遺伝子は父親と母親からもらったDNAがペアになっているため、s
/s、s/l、l/lの三つの組み合わせがある。短いタイプほどセロトニン・トランスポーターを作る能力が低く、s/s型の人では、子どものころから不安を覚えやすかったり、うつになりやすいことが知られている。脳のレベルでも扁桃体の活動が活発で、ストレスホルモンの放出が多い傾向がみられる。些細な刺激も不快に受け止めやすく、愛着形成にも影響することが予想されるのだが、実際、混乱型の愛着パターンを示す子どもには、s/s型の子が多いのである。
・また、短い配列のタイプでは、母親の配列が乏しい場合、l/l型の子はその影響を受けにくいが、s/s型や、s/l型の子どもはその影響を受け、不安定な愛着パターンを示しやすい。60~70%の子どもがs/s型か、s/l型で、l/l型の子は30~40%にとどまるため、母親がうつ病や不安障害に罹患しているケースでは、子どもも、その遺伝的形質を共有していることも少なくない。その場合は、不安や抑うつ的になりやすい傾向を母子が共有することで、悪循環を形成しやすいと考えられる。
・このように、子どもの側の要因と母親側の要因が絡まり合い、不利な面が重なり合うことで、愛着障害が生じていくと考えられている。悪循環をつくりやすいという意味でも、母親のうつや不安障害は、重要な問題だと言える。


【感想】
・以上で第2章は終わる。「愛着障害が生まれる要因と背景」が詳述されていた。まず、愛着が形成される臨界期(3歳)までに、①母親と離別すること、②養育者が交替することが挙げられ、次に、両親が揃っている場合でも、母親の状態、両親の関係、養育態度の如何によっては、愛着障害が生まれうること、さらに一部は遺伝的要因も関与することが述べられている。
・実例として、ミヒャエル・エンデ、ビル・クリントン、ヘミングウエイ、中原中也、ウィニコットの場合が採りあげられている。母親の不安が子どもとの愛着形成を妨げ、抵抗型、混乱型の愛着パターンを招く事例が多かったが、中原中也の場合は、両親の養育態度が大きく影響しているケースで、大変興味深かった。両親は中也の誕生を喜び、溺愛したが、「期待」「過保護」が高まりすぎて、中也は反抗的になる。子どもを期待通りの鋳型にはめ込もうとする親の方針が、ますます中也の心を荒ませ、混乱させていく。このような事例は、今でも珍しいことではない。
・筆者は【愛着スタイルと養育態度】の中で、①母親が子どもに対して、無関心であまりかまわない場合は、回避型、②母親自身不安が強く、神経質、厳格、過干渉、矛盾傾向がある場合は、抵抗/両価型、③母親が精神的不安定、虐待を行っている場合は、混乱型、と分析しているが、私にはとても参考になった。現在、子どもの三分の一が不安定型の愛着パターンを示すといわれるが、その母親の養育態度が上記のいずれかに該当することは間違いないだろう。また、〈うつになりやすい人では、完璧主義や潔癖症、強すぎる義務感といった性格傾向を備えていることが多く、そうした性格と結びついた行動様式が虐待を誘発しやすいと考えられている〉とも述べられている。「完璧主義」「潔癖症」「義務感」
といった価値観は、世間では肯定される。中原中也の両親のように、「世間体」を重視して、子どもの気持ちを無視する親も少なくないだろう。わが子よりも世間を大切にし、「良い親」を演じようとすることはないか、反省しなければならない、と私は思った。
・余談だが、〈恋人や配偶者は、愛着スタイルに関して、かつて母親が及ぼした影響に匹敵するほどの大きな影響を及ぼすことがある。それまで変動の激しかった対人関係が、安定した愛着スタイルの人と一緒にいるようになって、落ち着いてくることもある。逆に、安定型の愛着スタイルをもつ人が、不安定型の愛着スタイルをもつ配偶者の影響で、不安定型に変化するという場合もある〉という記述もあった。昨今の若者たちが、なかなか結婚に踏み切れない事情も、そのあたりにあるのだろうと、妙に納得してしまった。筆者は続いて「共倒れするか。互いが幸福をつかむかの分かれ目は、どこにあるのだろうか。その点については後の章で述べたい」とも記しているので、期待を込めて次章を読み進めたい。(2015.9.27)