梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・14

《第6章 愛着障害の克服》
1 なぜ従来型の治療は効果がないのか
【難しいケースほど、心理療法や認知行動療法が効かない理由】
・「心理療法」「認知行動療法」で効果が得られにくいのは、「愛着障害」という観点が
導入されていないからである。
・愛着障害や不安定型愛着に対する治療は、未発達の分野である。治療者の一部を除いて、認識も経験も乏しい。問題意識もない。
【精神分析が愛着障害を悪化させるのは】
・境界性パーソナリティ障害など重いレベルの精神疾患の場合、精神分析療法が逆に症状を悪化させてしまう危険がある。認知行動療法で目覚ましい効果が得られる場合もあるが、うまくいかない場合が多い。カウンセリングでも、ある人では効果が出るのに。別の人では惨憺たる結果になってしまう。それは「愛着スタイルや愛着の安定性」という要素が、非特定因子としてかかわっているからである。
・どの治療法をとるにせよ、難しいケースが改善するという場合には、愛着障害の部分に、うまく手当が施されているのである。
・愛着障害の部分に手当がされ、その部分が改善することで、他の部分も変化を受けいれる準備が整い、働きかけが有効になるのである。
・精神分析は、患者が語る言葉をひたすら聞き、それに対して、共感ではなく解釈を与
えることによって、洞察を生み出すという治療である。転移、つまり治療者への愛着を利用し、患者に心を開くことを求めながら、患者がそうすると、それを温かく抱擁するのではなく、分析という刃で冷たく切り刻むことで応えるのだ。不安定な愛着しかもたない者が、そんなことをされたら、ひどく愚弄されたように感じ、不安定になることは当然なことだ。(マーロン・ブランド「しかし、返ってきたのは氷のように冷たい態度だけだった。この男には、およそ温かみというものがなかった。彼は人間の洞察力に欠けていて、私には何の助けにもならなかった」)
・精神分析の治療は、知的なプロセスであり、暴力的なまでの分析を患者に突きつけ、患者の奥底に隠れている醜い欲望の正体を暴き出し、それに向き合わせることで、回復をもたらそうという、いわば「知的ショック療法」なのである。そうした知的な操作をいくら行ったところで、愛着障害は少しも改善しない。患者は治療者の「冷たさ」にイライラし、怒りだすか失望する。癒しを求めているのは、患者のなかにある愛着障害であり、その本質的な障害にとって、知的分析も認知的な操作も空疎なだけであり、肝心の問題をないがしろにしたとしか感じないのである。
・薬物療法に至っては。薬物依存という代償を払いながら、安定剤や睡眠薬という避難場所を提供するのが精いっぱいだった。
・このように、通常の精神医学の方法では、根本にある障害を改善することは期待しがたいのである。精神医療の大部分は、愛着や愛着障害が、種々の精神疾患の成因や回復において、どれほど大きな役割を果たしているかということについて、十分な認識や対処の術をもたないのが現状なのである。
【なぜ、彼らは回復を生じさせたのか?】
・優れた臨床家は、治療の方法自体とは別の何か(治療の本体とされる部分ではなく、もっと前段階で無意識的に行われる、原初的なプロセス)をもっている。この部分にこそ、治療がうまくいくかどうかの秘密が隠されている。専門家でなくても、人を癒し回復させていく能力をもっている人は、その秘密を体得している。それは、彼らが成長するなかで、人を回復させる試みのなかで、いつのまにか身につけたものである。それこそが、愛着の傷を癒やすのである。
・エリクソンは、ナチスの脅威から逃れるため、家族でアメリカに渡り、小さな借家の一室を面接室にして(型破りな)治療を始めた。その治療によって、深刻な自己不全感に苦しんでいたマーサ・テイラーという女性を快復させた。エリクソンが彼女に与えた、無防備とも言える親密さ、あけすけさが、マーサが抱えていた愛着不安をやわらげ、リラックスして自分の問題を語り、それを受けいれることを容易にしたもではないだろうか。エリクソンは、マーサが直面している困難を直感的に感じ取ることができたに違いない。なぜ、それが可能だったかと言えば、彼も同じ問題で悩みつづけ、それを克服してきたからだ。
【愛着障害を乗り越えた存在のもつ力】
・安定型の人は、不安定型の人を安定させる働きがある。
・マーガレット・ミッチェルは、不安定型愛着を抱えていたが、不安定型愛着を抱えた男性と結婚、たちまちけんか別れに終わった。再婚の相手、ジョン・ミッチェルは、父親を早く亡くし、苦学して新聞記者になったが、母親の愛情を一身に受けて育ったため、不安定なところはみじんもなく、安定型の愛着スタイルをもっていた。ジョンと結ばれたことでマーガレットは次第に安定し、ジョンの助力によって「風と共に去りぬ」という大長編小説を書き上げることができた。ジョンも父親を喪うという体験をしているので、その傷を克服した経験が、マーガレットを適切に支えることにつながったのではないか。
・不安定型の人を支えようと頑張るのは、同じ不安定型の人であることが多いが、どちらも不安定すぎると、共倒れということになりかねない。支える力が。不安定障害をある程度克服していることが必要である。
・愛着障害という根源的な苦悩を乗り越えた存在は、人を癒し、救う不思議な力をもっているかもしれない。必ずしも「克服した」という完了形である必要はない。克服の途上であるがゆえに、いっそう救う力をもつということもあるのではないか。その人自身、自らの愛着の傷を癒やすためにも、人を癒やすことが必要であり、その過程を通じて、癒やす側も癒やされる側も、打ち克っていける。なぜなら愛着障害とは、人が人をいたわり、世話し、愛情をかけることにおける躓きだからだ。


【感想】
 ここでは、従来型の治療が効果がない理由について述べられている。いずれの治療法においても、「愛着障害」という観点が欠落しており、愛着スタイルが「安定型」であることを前提としている、したがって「不安定型」の患者にとってはむしろ逆効果である、という指摘には説得力があった。従来型の治療で効果がないケースの「すべて」が、「不安定型」の患者である、と私も思う。 
 また、治療者の愛着スタイルも、大きく影響する。治療者自身が「安定型」であることが不可欠の条件だが、一般の「安定型」よりも、愛着障害を克服した治療者、または克服しつつある治療者の方が、患者の苦しみを「共感的」に理解することが可能であり、劇的な回復につながるという事例(エリクソン、ジョン・ミッチェル)も興味深かった。
 愛着障害の克服は、まず「人が人をいたわり、世話をし、愛情をかける」という治療者と患者の「共同作業」に他ならない、ということを私は学んだ。次は、いよいよ「いかに克服していくか」という本書の《眼目》が述べられている。期待を込めて、読み進めたい。
(2015.9.30)