梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・8

《音素型の測定と記述》
【要約】
 初期音声発達の解明に大きな貢献をしてきたのがアーウィンである。アーウィンを中心とする研究者の業績をアーウィン自身(Irwin,1952)がまとめたところによると、0歳2ヶ月~2歳6ヶ月の間では次のような発達傾向が認められる。
⑴音素の種類数は増加していくが、その成長率は初期に大きく次第に小さくなる傾向がある。(0歳1ヶ月・音素の種類数7 0歳6ヶ月・12 1歳0か月・16 1歳6ヶ月・21 2歳0ヶ月・24 2歳6ヶ月・27)
⑵各音素の使用頻度の平均値をみると、1歳8ヶ月あたりを境にして、それ以前はゆるい加速的な増加を、それ以後はつよい加速的増加を示す。(0歳1ヶ月・平均頻度PF600歳6ヶ月・75 1歳0ヶ月・90 1歳6ヶ月・95 2歳0ヶ月・110 2歳6ヶ月・150)
⑶母音と子音との種類数の発達的変化は、母音のほうは比較的強い減速型の増加を示し、子音のほうは比較的ゆるい減速型の増加を示す。母音は1歳0ヶ月ごろまでは子音より優勢だが、それ以後は子音の勢力が急速に母音をおさえる。(母音:0歳1ヶ月・種類数・4 0歳6ヶ月・7 1歳0ヶ月・8 1歳6ヶ月・9 2歳0ヶ月・9 2歳6ヶ月・10)(子音:0歳1ヶ月・2 0歳6ヶ月・5 1歳0ヶ月・9 1歳6ヶ月・10 2歳0ヶ月・12 2歳6ヶ月・16) 
 以上のようなアーウィンの試みは貴重である。しかしこの結果を解釈する以前の問題がある。その論点を要約する。
⑴分析の対象となった乳児期の音素のすべてが、のちに談話(speech)を構成する音素として確立されたものかどうかに疑問がある。初期発達の音素は多分に偶発的だからである。これらの音素がのちの段階に生じるような一連の音声パターンの構成分として生じるものであるかどうか。
⑵観察者間信頼性の値がきわめて高かったのは、ある特異な判定の目印が何人かの観察者の間に共通に、人工的に作られたためであり、その目印は必ずしも音声面に求められたとはいえない。(読唇法が併用されているという指摘もある)
⑶表記の基準と記号が、英語の音韻体系に偏っている(Winitz,1966)
今後の課題として、この種の研究に発達心理学的な観点がもっと織り込まれ、音素表記法に一段の洗練が加えられることによって、アーウィンの数量化の試みが発展せしめられることが望ましい。


【感想】
 ここでは、アーウィンを中心とする研究者たちが明らかにした「初期音声発達」の様相が紹介されている。
 それによれば、①音素の種類数は、年齢が増加するに伴って増加していくが、その成長率は初期に大きく次第に小さくなる、②各音素の使用頻度の平均値は、、1歳8ヶ月以降、加速的に増加する。③母音と子音の種類数の発達を見ると、母音は1歳ころまでは子音より増加するが、それ以後は子音の方が増加する、ということである。
 著者は以上の結果を「大きな貢献」と評価しながら、一方でその問題点も指摘している。次節で、著者自身の見解が述べられているようなので、期待をもって読み進みたい。


《音素発達の方向》
【要約】
 乳児の音素のバラエティーの発達的変化については、対立する二つの仮説がある。一つは音素のバラエティーは漸次減少するという説であり、他の一つは逆に、漸次増加するという説である。
《漸減説》
 乳児の発する音声には人間の調音機構が生産しうる談話音がはじめから全部ふくまれており、成長とともに、そのうち彼らの言語社会で用いられないものが漸次脱落していくというものである。この説は観察された客観的な事実に基づく説ではない。新生児期に比較的安定している音声型は、きわめて少数である。それにもかかわらず、幼いほど種々の音素を発するかのようにみられるのは、偶発的で奇妙な音声型がその中にあるためであろう。そこには母国語にはなく外国語にはあるような音素もふくまれ、これがバラエティーの豊かさについての過大評価をおこさせているのかもしれない。
《漸増説》
 乳児の発する比較的安定した規則的な音声は、最初の8ヶ月の間に急速にその種類を増す。しかし、このうちの大部分は、のちに生じる談話音の基礎とはならないだろう。乳児の初期から後期にかけての音素バラエティーの増大は認めなければならない。しかし、この増大は種々の身心状態のもとで発声活動がさまざまな型をもって生じるようになっていくことを示すにすぎない。この増大の談話発声への寄与は直接、談話音のレパートリーの拡大(談話構成分の貯蔵)ということを意味せず、間接的・一般的な調音活動訓練を意味すると思われる。さまざまな音声を発し、これを子ども自身が感覚ー運動的に経験することによって、一般的な音声可変能力が強化されるのである。
 この段階での音素バラエティーには、言語地域差(言語環境)の影響がみられない。そのことは、アメリカの白人と黒人の新生児の間(Irwin,1952)や、日本人とアメリカ白人の乳児の間(中島、岡本、村井、1960)で示された。このことは、乳児期の音声バラエティーが生得的ないし成熟的にきめられ、その発達的変化の方向と水準も生得的である、ということを示唆している。
 談話の素材としての音素は、さらにあとの段階で別のルートを通じて漸次あらたに獲得されるか、上述の生得的音声の型に対する再訓練の結果として生じるように思われる。音素の習得(調音の形成)といえるような安定した言語音声の獲得は、言語環境、とりわけ成人の談話による子どもへの積極的な働きかけを通じて、最初は即時模倣により、のちには延滞模倣(観察学習)をも加えて、漸次作りだされていくものであろう。
 音声要素(音素)である母音と子音の種類の発達の方向については、アーウィン(Irwin,
1952)の提言が定説となってきた。母音の獲得は前舌音から奥舌音のほうへと発達し、子音の獲得は調音点が奥の部位から前の部位へと発達する、というものである。母音の発達方向に対してマッカーシー(McCarthy,1952)は、調音器官、とくに舌への神経支配に関係づけて説明している。初期の団塊的な運動では舌の構造上、前舌部を動かす調音以外はできず、徐々に奥にむかって特殊な神経支配が形成されるのだというものである。子音では、初めは喉音[h]がほとんど独占しており、ついで軟口蓋音が多い。口の奥の部位で作られる子音がまず生じ、そのあとに歯茎音[t,d]、両唇音[p,b]などの前の部位で作る音声が活発に生じる。喉音は呼気のさい自然に伴う音であるから、当然最初の子音になる。
 このアーウィンの説に対しては反対がある。村井(1960)は、4人の子どもを0歳2ヶ月ないし0歳6ヶ月から0歳8ヶ月ないし1歳0ヶ月まで追跡し、そのソナグラフの分析によって、母音は中舌音に始まり、そののちに、前舌と奥舌の2方向へと分化するという結論に達している。その理由として、シュルツ(Sehultz,1880)の‘最小努力の法則’をあげる。発声器官が弱い筋緊張で活動する発声からより強い筋緊張を要する発声へとという方向に発達するというのである。また、子音について村井は、はじめはアーウィンのいうように後方から前方への方向をとるが、つぎには再び後方(喉音[k])へと進むとしている。最初の奥子音(喉音[g:])は生理的で努力を要しない活動であることから、子音の発達の方向全体もまた、シュルツの法則で説明することが困難ではないと考えたのである。


【感想】
 ここでは談話の素材となる音声要素(音素)の発達の方向について述べられている。  乳児の発する音声には談話音がすべてふくまれており、それが徐々に減っていくという《漸減説》と、逆に増えていくという《漸増説》を著者は紹介し、著者自身は《漸増説》を支持している。しかしおもしろかったのは、「この増大の談話発声への寄与は直接、談話音のレパートリーの拡大(談話構成分の貯蔵)ということを意味せず、間接的・一般的な調音活動訓練を意味すると思われる。さまざまな音声を発し、これを子ども自身が感覚ー運動的に経験することによって、一般的な音声可変能力が強化されるのである。
 この段階での音素バラエティーには、言語地域差(言語環境)の影響がみられない。そのことは、アメリカの白人と黒人の新生児の間(Irwin,1952)や、日本人とアメリカ白人の乳児の間(中島、岡本、村井、1960)で示された。このことは、乳児期の音声バラエティーが生得的ないし成熟的にきめられ、その発達的変化の方向と水準も生得的である、ということを示唆している」という部分である。つまり、この段階(乳児初期)の音声は、必ずしも「談話音」(将来、言語を話すための語音)の基礎とはならず、子どもはただ「声を出す運動」をしているにすぎないということである。従って、その子どもがどこの国の子どもであっても、人種に関係なく同じ音を出していることになるのである。
 著者は、その後の段階として、言語音声の獲得について以下のように述べている。
「音素の習得(調音の形成)といえるような安定した言語音声の獲得は、言語環境、とりわけ成人の談話による子どもへの積極的な働きかけを通じて、最初は即時模倣により、のちには延滞模倣(観察学習)をも加えて、漸次作りだされていくものであろう」。
 つまり、この段階ではじめて子どもは、母国語の音声を成人を媒介として獲得することになる、ということである。もし「成人の談話による子どもへの積極的な働きかけ」がなかったら(不十分だったら)どのような結果になるだろうか。そこらあたりが「自閉症児」の言語発達を考える上で、重要なポイントになると、私は思う。
 以下、母音、子音の発達の方向についても述べられているが、アーウィンの定説と比べて、決定的な差異は見当たらなかった。(2018.3.6)