梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・27

《延滞模倣・観察学習》
【要約】
 人間行動における模倣の実用的価値は、延滞模倣に最もいちじるしくみとめられるが、それはどのような性質のものであろうか。
 近年、“代理経験”あるいは“観察学習”として研究されている問題がこれに密接に関連している。これらの用語は、他者の行動を観察するだけで、自分に顕現的に行動することなしに、その行動が学習されるという事実に対して用いられる。
 チャーチ(Church,1961)は他者の談話を幼児が採用するに至るまでに顕現的模倣や通常の訓練や外的強化なしに、観察しただけでこれを習得することのできる時期は、かなり早く来ると考えており、これは談話習得の主要なルートであろうと述べている。
 マウラー(Mowrer,1960)は、代理経験なるものを動物実験にみられる潜在学習(反応の効果がなくても学習は潜在的に進行し、のちにその反応に効果が生じる条件の下におかれたとき、その当初からの正しい行動を遂行するという学習現象)と同一の過程であると考えている。
 ヘッブ(Hebb,1958)は、顕現反応の機構が複雑になると反応潜在化が生じることを一般的に認める。“いままで種々の状況で遭遇し、それによっていろいろの反応が喚起されてきた既知の対象を扱うのに、高等な動物はそれに対して一つではなく、いくつもの反応の仕方を学習してきている。一つで十分な反応というものはなく、多くの反応がある。これらの反応は互いに禁止しあい、その結果、顕現活動は生じないのである。かくて、彼は何ものかを知覚するが、それに対してこれ以上反応をしないか、あるいは、単にその対象がそこにあることをしるにすぎない。”
 スズメやカナリヤが仲間のさえずりを聴いている間、声を出さずに喉頭部を動かし、“半ば潜在的に”模倣するということが報告されている(Conradi,1904)。おそらく人間の乳幼児にもこの種の現象はみられるであろう。
 しかし、模倣がのちに意図的ないし目的行動に役立てられ、課題の解決を容易にする手段になるためには、さらに別の機能が必要とされるであろう。ミラーとダラードはこの問題についてつぎのように示唆している。
 “模倣事態でリーダーを模倣することによって環境的な手がかりが提供されないときに独立学習が妨げられるのは、リーダーの行った全反応を模倣者が模倣しているわけではないからだ。模倣者がリーダーに生起した精神過程のすべてを観察し、それに一致させることができ、かつ、正しく報酬が与えられるときは、はじめて彼の模倣は独立学習の助けになる”(Miller and Dollard,1941)
 動物でも種々の人間行動を模倣することができる。あるチンパンジーは、掃除、皿洗い、爪切り、眉ひき、鋸ひき、栓抜きなどの模倣を同年齢の人間の子どもより上手に行うことができたが、人間の場合のように、それを必要に応じて利用するということができないという点が人間と大変ちがう(Hayes,1956)。
 要するに、内的模倣ないし代表性模倣を通じて、人間幼児は大なり小なり“全反応の模倣”をし、またこのような模倣の漸次的な発達を約束されているということができよう。


【感想】
 ここでは模倣と学習との関連について述べられている。今、手本が目の前にある模倣(顕現的な模倣)と、過去の手本を想起して問題解決のために活用する模倣(延滞模倣)があり、学習においては後者の模倣が不可欠になるということが、よくわかった。チンパンジーも人間行動を模倣することができるが、それを必要に応じて利用できないという限界がある。 
 人間の場合でも、学習場面ではできるのに、生活場面に「般化」できないという問題が多々見受けられる。その原因は何だろうか。報酬の有無?、場面の理解不足?、心の豊かさの問題?、認知能力の問題?、それらを究明することが私自身の課題であると思った。
(2018.4.26)