生活詩人・山村暮鳥・《暮鳥をとりまく詩人群・白樺派・2》
さて山村暮鳥は『聖三凌玻璃』では他に比類なき意匠、感覚の直観の異常さからくる非常に難解なものであったが、三年後に刊行された『風は草木にささやいた』では一変して、何の解説をも必要としない平明な口語詩であり、生きることの歓喜を自然礼賛、人類愛のなかに明るくうたいあげている。 集中では「人間の勝利」「... 続きをみる
古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。
さて山村暮鳥は『聖三凌玻璃』では他に比類なき意匠、感覚の直観の異常さからくる非常に難解なものであったが、三年後に刊行された『風は草木にささやいた』では一変して、何の解説をも必要としない平明な口語詩であり、生きることの歓喜を自然礼賛、人類愛のなかに明るくうたいあげている。 集中では「人間の勝利」「... 続きをみる
雑誌『白樺』は武者小路実篤、志賀直哉等、学習院出身の青年達によって創刊され、その理念はあくまでも個人の、個性的な生長ということだけだったが、その徹底した個人の賛美・主張が人類の意志を尊重したところにヒューマニズムや人道主義の色彩を強く帯びることになった。そしてこの附随的なものであったヒューマニズ... 続きをみる
大正期に入って、ほとんど同時に動き出した国語自由詩の三派、民衆派、白樺派、感情派の先駆的役割として見のがしてならないのが自由詩社である。 そして、それはあたかも近代詩のあけぼのが『新体詩抄』であり、それは漢詩、大和歌に相対するものとして日本における韻文芸術を大きく方向転換せしめたように、有明泣菫... 続きをみる
この民衆詩派の詩人達は、当時のデモクラシーの社会的風潮にやや安易に乗りかかって、平板な形で民衆への共感、正義感を押しだしていったために詩としての緊迫感を欠き、冗漫で抽象的な感激に堕したものが少なくなかった。しかし彼等が生活を真剣にとりあげてうたおうとする態度や詩の口語化を促進した功績は見のがすこ... 続きをみる
明治40年9月号の雑誌「詩人」に川路柳虹が「廃塚(はきだめ)」ほか三篇の口語詩を発表した。これは薄田泣菫、蒲原有明らの古典的、形式的な美学にあきたらぬ年少の詩人をはじめとして、既成詩壇にも大きな反響を呼んだ。そして今まで雅語を縦横に駆使して古典的な調和と完成の象徴美を誇ってきた泣菫も、後に詩におけ... 続きをみる
大正期は、明治後期に一応の確立を示した近代文学の成果のうえに一段と多彩な開花を迎えた時期である。社会的には、第一次世界大戦(1914年~1918年)を通じて、わが国の経済力が所謂「成金景気」という言葉によっていいあらわされているようにいちじるしく増進したが、しかし後進国として急速に資本主義を確立... 続きをみる
月 ほっかりと 月がでた 丘の上をのっそりのっそり だれだらう、あるいてゐるぞ (『雲』より) 山村暮鳥といえば『雲』というように、我々はおのがじし身勝手な親近感を胸に秘めて、山村暮鳥の研究に着手したわけであるが、まず第一印象として、誰もが感じたことは、彼のあののんびりとした、ある程度ユーモアの... 続きをみる
「庶民」とは「広辞苑」によればもろもろの民、人民あるいは貴族などに対し、なみの人々平民といほどの意である。だがしかしこれでは満足できない。その満足できない部分すなわち日本の大衆の内在的さりかた、内在的な意識構造を深沢は表現した。しからばその「庶民」という言葉のもつ内容とは何であるか。それを一口に言... 続きをみる
「日本人」というものの社会的存在形態、あるいはパーソナリティをこれほどまでにその内部からとらえている小説はないだろう。 私達がこの小説を読む過程の中でもつある「親近感」とはいったいどういうものであろうか。おそらく井伏鱒二は原子爆弾の恐ろしさ、あるいは戦争はまだ終わっていないといった被爆者の意識を... 続きをみる
そのようなことがもし吉本にとって自明のことであるとすれば、彼の「芸術論」には明らかに、「芸術はどのようにして創られるか」という視点が欠けている。それは同時に、芸術創造の過程における、芸術家と生のままの現実とのダイナミックな関係を見落としていることでもある。 私はそこに吉本の「芸術論」の限界をみる... 続きをみる
ここで吉本はどのようなことをいっているのであろうか。 例えば、一人の画家が一つの風景を前にして絵を画き始めたとする。このときその画家の芸術創造の原動力となるものは、一つの風景とそれを画きたいという彼の衝動(内部意識)である。吉本はその「風景」(現実)と内部意識の関係を循環としてみる。 画家は... 続きをみる
私はこの要約における、吉本の蔵原に対する批判には全面的に同意する。 すなわち、まず階級闘争を主要主題としなければならない、といった「主題の積極性」理論、それはひとたび転向によってその思想体系を百八十度転換するや否や、まず帝国主義的侵略(「聖戦」)をその主要主題としなければならない、という戦争文... 続きをみる
さて、その第二の部分は、いわゆる二段階転向論である。それはプロレタリア文学並びに文学運動批判としてあり、同時にまた吉本隆明の提起する芸術論、芸術運動論の問題でもある。 彼のいう二段階転向論とはいかなるものであるか。 〈わたしのかんがえでは、(略)プロレタリア文学運動の挫折は、昭和十二年~十五... 続きをみる
さて吉本は「転向」ということを次のように規定する。 〈それは、日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかめそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思想変換をさしている。〉(「転向論」・『芸術的抵抗と挫折』・未来社・169頁) すなわち、吉本にとって転向とは必ずしも転向現象もし... 続きをみる
・・・泣いてゐるものが一番悲しんでゐるわけではないのだ・・・(「中毒」織田作之助) この論文をしめくくるに当たって、吉本隆明をとりあげようとするのは、他でもない、けだしこれまでの私の戦後文学に対する言及の論拠が、吉本のそれに負うところきわめて大だと考えるからである。とはいえ、私は吉本隆明を全面... 続きをみる
だがしかし私は一方でそうした精神主義的限界をみながら、坂口安吾を次の二点において評価しなければならない。 その一は、「堕落論」における《醇風美俗》意識に対する闘いであり、その二は「オモチャ箱」における、新しい芸術論の提起においてである。 〈彼の小説の主人公はいつも彼自身である。彼は自分の生活... 続きをみる
〈人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。〉(「教祖の文学」・前出・Ⅱ・32頁) はたして、この花とは桜の花びらのことであったろうか。 《桜の森の満開の下》とは何か。それは芸術という一つの空間であり、人間が「真実」を垣間見る、一瞬の世界ではあるまいか。私たちはこの小... 続きをみる
私は「木枯の酒倉から」「風博士」「母」といった小説が、「海の霧」や「竹藪の家」とたとえ同時期に書かれたとはいえ、はっきりとその両者に区別をつけなければならないと思うのだ。すなわち、坂口安吾は前者において、人間の不可解さを見つめ、それによって得た一つの「観念」によって、後者の「生活を見つめる生活」... 続きをみる
だがそれではいったい、そうした坂口安吾の姿勢とは、いいかえればどういうものなのであろうか。私はそうした姿勢に、必ずしも坂口安吾のオリジナリティ、あるいは可能性を求めようとしないにである。 母の憎しみによって与えられ、育てられた坂口安吾の観念、それは人間はあくまで不可解なものであり、その不可解さ... 続きをみる
〈母。…得体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる、 私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だってありはしない。ひとへに憎み通してきたのだ「あの女」を、母は「あの女」でしかなかった。〉(「をみな」・前出・Ⅵ・29頁) 坂口安吾は母... 続きをみる
坂口安吾の思想とは何か。だがその前に私は、坂口の次のような言い方に注意しなければならない。 〈思ふに文学の魅力は、思想家がその思想を伝へるために物語の形式をかりてくるのではなしに、物語の形式でしかその思想を述べ得ない資質的な芸人の特技に属するものであらう。〉(「大阪の反逆」・前出・102頁) ... 続きをみる
「FARCEに就て」の骨子はいうまでもなく文学方法論であるが、福田が「文学について語ったことばのはうが、ずっと深く人生の真実を突いてゐる」と指摘しているように、ここで坂口は文学のレーゾン・デートルを人間のレーゾン・デートルとして語っているのである。つまり先の私の同意し得ない点とは正にこの点にある... 続きをみる
さて私は、坂口と私の関係を必然化せしめるものが、坂口と私が共に生きるとはどういうことなのかという問いかけを、おのれに向かって発している人間であるという、芸術的事実であると言った。そしてそれは、実生活において坂口が書こうとすることによって、また私が読もうとすることによって、すなわち共に実生活から飛... 続きをみる
さて、それではいったい福田恒存のいう、「作品を通じてつかみ得た」坂口安吾のすがたは、どこにおいて存在し、またいかなる方法において捉え得るのであろうか。この問題について、私は坂口安吾と必ずしも同意見ではない。私は次のように考える。私がまず「作品を通じて」坂口安吾の姿をつかもうとするとき、私は坂口と... 続きをみる
もし、生活とは何か、生きるとはどういうことかという問いに、答える方法それが、他ならぬ生きることだといったら、それは同義反復だろうか。ともかくも坂口安吾は、そのような同義反復におのれの芸術を賭けているのだ。 〈私が自ら戯作者と称する戯作者は私自身のみの言葉であって、いはゆる戯作者とはいくらか意味... 続きをみる
坂口安吾は、おのれに向かって生活とは何か、生きることはどういうことか、という問いかけを、その生涯にわたって発しつづけた人間であった。とはいえ私は、坂口安吾に会って彼の口からそれを聞き正したわけではない。何故そのようなことがいえるのであろうか。ただそう言ってみただけのことである。そんな気がしただけ... 続きをみる
さて、生活とはいったい何であろうか。私は『広辞苑』のいう二つの意味それ自体というよりはむしろ、その二つの意味の差異に、注目しなければならない。なぜなら、その差異の関係をもたらすそのもの、もしくは要因こそが正に生活であると思うからである。 ちなみにその二つの意味の差異とは、どういう差異であろうか... 続きをみる
・・・私はつまり天来の退屈男なのだから、生活を芸術と見る。・・・(「金銭無情」昭和22年) いったい、生活とは何であろうか。『広辞苑』(岩波書店)によれば〈①いきていること。いかすこと。生存して活動すること。生存して働くこと。②活計。くらし。くちつぎ。すぎわい。〉である。それではいったい、生きて... 続きをみる
「わたし」は、胸膜炎と「精神の運動」によって自己の生活と「観念」を、いくさ仕掛の世界とその生活意識に対立させた。だがそのことによって正に「わたし」は、色仕掛の世界において文字通り自己の闘いを闘わねばならなくなる。すなわち弓子との闘いである。「わたし」と、弓子とをその色仕掛の世界において対立させる... 続きをみる
「無尽燈」(昭和21年)、それは一見すると「焼跡のイエス」に比べて戦後的な作品とはみえないかもしれない。だがそれは明らかに石川淳における《戦後》の文学的表現なのである。いうまでもなく「無人燈」は、石川淳のこれまでの生活に対する回想録では決してない。 〈あひにく、わたしは人間の記憶といふものをぜ... 続きをみる
石川淳は「死」を一つの「現実」として受け止めた先の登場人物たちに次のような会話をさせている。 〈「帯子にも判らない、何だかとてもいい気持ち。でも三治ったら、ずいぶんはらはらさせるの。沖で、いきなり泳ぐんだって冷たい水の中に飛びこみさうにするの。自動車に乗ったら、きっと崖っぷちを擦り抜けなけりゃ... 続きをみる
ところで石川淳において、自己の「観念」を表現することが小説であるとすれば、彼の闘いは、より厳密にいえば彼自身の内部意識における生活意識(地上的感情)と精神生活者として追求する理想観念(それは世界観もしくは世界像といいかえることができるだろう)との闘いとしてあるだろう。とすれば、いったい「佳人」「... 続きをみる
〈わたしは元来飛行家の弟子なのだ。雲をも風をも低しと見て過ぎつつ厚みも重みもない世界へ入らうとする離れ業はさることながら、わたしのもくろむのは低空飛行で、直下に現ずる此世の相をはためく翔に掠め取って空に曼荼羅を織り成さうと云ふ野心を蔵してゐるのだが、さて梅子とか仙吉とか雑草の一叢に立ちまじっては... 続きをみる
ところで「佳人」は、佳人についての叙述ではない。「わたし」にとって佳人とはミサのことであるが、石川淳にとってそのようなことはどうでもよかったはずだ。にもかかわらず、石川淳はこの叙述を「佳人」と題した。そのことは彼がこの叙述においてことさら「わたし」という登場人物を設定したこと、さらには「佳人」を... 続きをみる
「わたし」は、かくて臍からではなく、死もしくは死の意識から自己の生活を再出発させようとする。 〈その間にしたことといへば、これまでし来った些かな習慣をさへ削除することであった。まづ例の手帖(注・・ユラとの愛について考えるための手帖)など焚き捨てること、つまらぬ歌や句をひねらぬこと、草木のすがた... 続きをみる
「わたし」は、ユラ、ミサたちとの生活を「魚のような漠然たる生存」と名づける。同時にまた、それは「わたし」の生活に絶望する生活の表現でもある。そして「わたし」はというより石川淳はそうした「魚のような漠然たる生存」に一つの決着をつけようとする。すなわち書き手としての「わたし」は、それを書く(表現する)... 続きをみる
さてそれでは石川淳にとって「佳人」が意味するもう一つの意味、すなわち新しい「生活」への出発とはどのようなものであったのか。厳密にいえば、それは新しい「生活」への出発という形を、生活的な意味においてとるものではない。むしろ認識者から表現者へ飛躍するときの一つの契機、そういうものとして「わたし」の醜... 続きをみる
〈ここでわたしのペンはちょっと停止する。もしわたしがこの叙述を小説に掏りかえようとする野心をもってゐたとしたらば、別にできない相談ではあるまい。〉(前出・51頁) これは「佳人」のおわりの部分の書き出しであるが、石川淳は、斜面をずり落ちてゐった「わたし」について書いていたペンを停止させて、書き... 続きをみる
・・・春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はっと夢破れて起きあがった曽呂利が大きな嚏一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。・・・(『曽呂利噺』) 人は石川淳について語るとき、何故石川淳的にならざるを得ないのであろうか。いいかえれば、何故石川淳の言葉で石川淳を語らざるを得ないのであろうか。 ... 続きをみる
さてそれでは、織田がめざした方法上の転換とはそのようなものであったのだろうか。 織田は「郷愁」において、自己の小説方法論をあからさまに述べている。そこにおいては「世相」と「人間」とが対立的にとらえられ、彼の結論は、人間の郷愁への回帰という形をとる。 〈再び階段を登って行ったとき、新吉は人間へ... 続きをみる
織田は、戦後間もなく発表した「表彰」(『文芸春秋』昭和20年12月号)という作品で次のように書いている。 〈伊三郎が消防部の副班長に任命された頃、お島は警防団から表彰された。表彰式の日お島は名前を呼ばれると、居並ぶ団員の一人一人にペコペコ頭を下げながら団長の前へ出て行ったが、その時列の中で赫くな... 続きをみる
織田は、この作品でも、登場人物の内面に立ち入ることをことごとく避け、かわりに船、海、あらし、動物、その他生活用品等で彼らの「生活」を表現している。だがそれは、もはや人間関係そのものを媒介させうる社会的な「物」としてのそれではなく、自然の一部としての人間に対してきわめて並列的な存在としての物、いい... 続きをみる
〈ところがある日、賀来子は電球を手にしてしきりに溜息をついてゐる基作をあやしんで、その電球をどうするつもりですかと訊いた。まさか玩具だとも言へず、古い電球を新しい電球にする法を思案してるねんと答へると、そんなことできるんですか。出来ィでかいな。すると賀来子はさうですかと暫く考へこんで、やがて、女... 続きをみる
さてすでに述べたように、織田作之助の方法意識の中には、ストーリー・テリングに対立するものとしての近代的リアリズムへの志向がふくまれていた。私はそのあらわれを「夫婦善哉」「素顔」「天衣無縫」といった作品にみたわけだが、その中でも「夫婦善哉」「素顔」と「天衣無縫」との間には異質なものがあって互いに区... 続きをみる
資本主義社会が発展していく中で、かつての封建中流階級は「庶民」として生き抜くために、他ならぬ「庶民」を徹底的にだましつづける他はなかった。いわゆる日本的なブルジョア合理主義とは、伝統的な仏教・儒教道徳としての「勧善懲悪」思想の裏返しとしてあるのであり、それゆえ両者における価値体系は本質的には何ら... 続きをみる
織田作之助は、いわゆる生活というものを平面的な流れとしてとらえる。そしてその流れは、多かれ少なかれ「運命」とよばれる一つの必然性によって支配されている、という認識がある。織田は「雪の夜」において、坂田というひとりの男が、瞳という娘に惚れるということをきっかけに、どこまでも果てしなく、とりかえしの... 続きをみる
周知のように、井原西鶴は江戸時代の封建社会体制をなし崩し的に崩壊せしめる、変革の可能性を裡に秘めた新興階級(町人)、つまり商業資本家の代表者として登場した。従って、井原西鶴の小説は、新興階級の封建社会に対する自己主張であり、中世的な美意識や、儒教道徳を拠りどころとする当時の知識人に対する反逆であ... 続きをみる
織田作之助におけるストーリー・テリングという方法は、「ストーリーの奇抜な変化に凝ったり」するようなものではなかった。 〈その頃、もう人に感付かれた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分かる位醜くたれ下がってゐることに片輪者のやうな負け目を感じ、これがあるがために自分の一生... 続きをみる
織田作之助の「文学」における基本的方法をひとくちでいえば、それはストーリー・テリングという方法である。 〈おれの小説は一気に読める、と彼は豪語していた。いかにも彼の文体はキビキビして、鈍味がなく、素早い頭脳回転に渋滞のあとがなかった。しかし彼の頭脳は素早く回転すればするほど、飛鳥の早さで別の対... 続きをみる