梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《7》

梨野礫

 さてすでに述べたように、織田作之助の方法意識の中には、ストーリー・テリングに対立するものとしての近代的リアリズムへの志向がふくまれていた。私はそのあらわれを「夫婦善哉」「素顔」「天衣無縫」といった作品にみたわけだが、その中でも「夫婦善哉」「素顔」と「天衣無縫」との間には異質なものがあって互いに区別しあっている。

 織田は「夫婦善哉」において、明らかに登場人物(とりわけ柳吉)の内面心理を直接的に表現することに拘泥している。
 柳吉が、自分の家に本心から未練をもっているのか、いないのか、そのようなことはストーリー・テラー織田作之助にとってはどうでもよいことではあるまいか。だが織田はそのことに拘泥している。裏切られるために生き、裏切られるために愛する蝶子という女、彼女を裏切るものはいったい何なのであろうか。それを、種吉と辰の関係との対比において考えれば、柳吉の家に対する愛着や気まぐれが蝶子を裏切るものでないことは明らかである。すなわち種吉と辰を裏切るのは、明らかに一つの苛酷な現実であり、それを彼らはみずからの「善意」「人情」という《醇風美俗》の意識によって助長せしめていることはいうまでもないことなのだから。蝶子の前近代的な衣装をまとった愛が、柳吉をしだいに遊び人のイデオローグへと高めていく、悲喜劇的なプロセス、それこそがこの作品の基軸とすべきものなのだが、そうしたとき柳吉と蝶子の内的葛藤の表現に拘泥することは、この作品全体をきわめてアン・バランスなものにはしないだろうか。
 織田は戦後になって次のように書いた。
 〈・・・・もしかしたらこの女は一生おれの傍にゐるのかもしれない。おれは毎日この女を追い出すことを考へるだらう。しかし、気の弱いおれはそれを口に出すことは出来ないだらう。そしてこの女は一生おれの傍にゐる。今日捨てられるか、明日捨てられるかと、ひやひやしながら、結局一生ゐることになる。これが人生だ。〉(『夜の構図』・前出・63頁)
 私はこの言葉が、織田が「夫婦善哉」において描き得なかった世界を、あらためていいなおすものとしてあるような気がしてならないのだ。
 ともかくも「夫婦善哉」には、ストーリー・テリングという方法の中に、近代的リアリズムへの志向がふくまれていることは明らかであり、織田の方法意識には混乱がみられる。そして、織田はやがてそうした自己の方法意識に一つの決着をつけようとする。すなわち「天衣無縫」においてである。
 〈その時の私の態度と来たら、まるではたの人がはらはらしたくらゐ、不機嫌そのものであったから、もう私は嫌はれたも同然だと、むしろサバサバする気持ちだったが、暫くして来た返事は不思議にも気に入ったとのことで、すっかり驚いた。こちらからすぐ返事して、異存はありませんと、簡単に目出度く・・・ああ、恥ずかしいことだ。考へる暇もなくとたんにそんな風に心を決めて、飛びつくやうに返事して、全く想へば恥ずかしい。あんな人とは絶対に結婚なんかするものかと、かたく心に決め、はたの人にもいってゐたくらゐだのに、まるで掌をかへすやうに・・・浅ましい。ほんたうの焦ってゐたのだらうか。もしさうなら、いっそ恥ずかしい。いいえ、そんなことはない。焦ったりなんぞ私はしやしなかった。ただ私は人に好かれたかった。自分に自信をもちたかった。自分の容貌にさへ己惚れたかったのだ。だから、はじめて見合ひして、仲人口を借りていへば、ほんたうに何から何まで気に入りましたといはれれば、私も女だ。〉(『天衣無縫』・織田作之助・『織田作之助選集』・Ⅰ・中央公論社・191頁)
 一読すればわかうように、この「語り口」は、織田本来の語り口ではない。織田のプロセスに即していえば、いわゆる「メオト」の関係をもっぱら、その外部においてとらえてきたのに反して、この作品ではその内部に視点をすえてとらえようとしている。いうまでもなく前者は「庶民」の眼である。つまるところ井原西鶴の世界の伝統を踏まえ、かつその合理精神を唯一の拠りどころとする庶民の生活とは、つねに具体的な、しかも商品化した「物」との対峙を抜きにしてはあり得なかった。それは、これまでの織田の作品に登場する女が、すべからく「美女」であったことと対応する。すなわち、つねに人間そのものを「物」として見る(感性的に見る)庶民にとって、その人間の価値が外貌によって決定されるのは自然のなりゆきというものである。「庶民」の生活とは「物」との対峙そのものであり、それ以外の何物でもありはしない。井原西鶴の、あるいはそれを継承した織田のリアリズムとは、正にそうした庶民の生活によってやしなわれた、外部的視点によって支えられているのである。しかるに織田作之助は、この作品において視点を内部におきかえた。いいかえれば「美女」ではなく「醜女」を登場させた。それはいったいどういうことなのだろうか。どういうことでもありはしない。けだし、それは織田作之助と太宰治の文学的邂逅を意味する。すなわち、「天衣無縫」は、ほぼ同時期に発表された太宰治の小説「恥」(昭和17年1月・『婦人画報』)のヴァリエイションに他ならない。ここでは、織田のストーリー・テリングとしての「語り口」はかげをひそめ、太宰治の近代人的「語り口」を借用した「のろけ」に終始していることは誰の目にも明らかである。だがこのことは、裏を返せば織田がみずからの方法意識の中での、前近代的なものと近代的なものの対立を、いかに切実なものとして感じ、それをのりこえようとしていたかを実証している。事実、織田はその後「素顔」において「夫婦善哉」の世界をさらに発展させ一応の決着をつけた。

(1967年3月)

織田作之助論・《7》 : 戦後文学の思想と方法