梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

神宮球場

 昨日は朝から「久しぶりに」(ほぼ半年ぶりに)気分爽快だったので、神宮球場まで東京六大学野球の観戦に赴いた。地下鉄千代田線で表参道まで約1時間、表参道から銀座線で一駅先の外苑前へ、徒歩10分で球場に着いた。第一試合はM大対W大、第二試合はK大対R大。(65歳以上は)無料の外野席で第二試合の途中まで「のんびりと」観戦、帰路に就いたが、今度はJR信濃町まで徒歩15分、そこからは新宿方面かお茶の水方面かどちらでもよい、ホームに来た側の電車に乗ることにした。来たのは総武線千葉行き、幸いにも座席に座れたが、まさに「行きはよいよい、帰りは怖い」、疲労がピークに達していた。「信濃町まで歩いたのがいけなかったか。これから先はどの経路で帰ろうか」などと思いあぐねる。本来ならお茶の水駅で下車、隣接する新御茶ノ水駅から千代田線が妥当だが、そこから「座れる」かどうかわからない。決心がつかぬまま、秋葉原、上野、常磐快速線という経路も考える。しかし、座席を立つことができない。小岩から金町、市川から松戸などと考えているうちに、とうとう西船橋まで来てしまった。もう降りなければ家に帰れない。はたして武蔵野線新松戸まで「座れる」かどうか。しかし、「案ずるより生むが安し」、次の船橋法典駅で一つ座席が空いたのだった。おかげで、どうやら自宅まで辿り着くことができたが、何とも情けない。今日はまだ疲れがとれず、一日中、「寝たり起きたり」の状態に戻ってしまった。
 とはいえ、体調・体力は確実に快復しつつある。「何かをしたい」という気力こそが源であることを、あらためて確認した次第である。(2018.10.15)