生活詩人・山村暮鳥・《序》
月
ほっかりと
月がでた
丘の上をのっそりのっそり
だれだらう、あるいてゐるぞ
(『雲』より)
山村暮鳥といえば『雲』というように、我々はおのがじし身勝手な親近感を胸に秘めて、山村暮鳥の研究に着手したわけであるが、まず第一印象として、誰もが感じたことは、彼のあののんびりとした、ある程度ユーモアのあるといってもいいような『雲』が決して、我々の“直感”として受けとられるだけのものではないということである。そこには、長い苦しい生活と直結した彼の詩作の過程がある。そして苦しみに立ち向かう激しい情熱と強い意志がある。だから、彼の生活の結晶として、その性格の顕著な詩集『風は草木にささやいた』以後の時代に山村暮鳥の詩人としての生命というものを見出せるといえる。
彼には以前、『三人の処女』『聖三稜玻璃』という芸術至上的な、以後の詩風と全く性格を異にした詩集があるのだが、いったいそれらとの相違点は何であるか、又、なぜそのような変化を示したのであるか等ということに注目しながら研究を進めた。そして、彼における生活と詩との結びつきが、どのようなものであったか、生活詩人としてどのようなことに注意すべきかということを、最終結論としたのである。
従って、彼の生活していた世界とは、どんな時代であったのか、当時の文壇、詩壇はどんな情勢であったのか、彼自身の生活、又社会的にはどんな立場にあったのか、それから前述した彼自身の詩風の変化などを考えあわせて、次の五つのテーマをかかげて、焦点をしぼっていった。
一、大正時代
二、暮鳥をとりまく詩人群
三、暮鳥の生活
四、詩風の変化
五、生活と詩との関連性
(豊多摩高等学校文芸部研究レポート・1962.10.10)
そして我々自身も幾多の過程を経ながら、山村暮鳥の詩精神そしてさらには人間として生きることの何万分の一かでも学びとったつもりである。このレポートの発行に当たり、これを一つの踏み台にして、より一層の努力をして、より高度な研究成果をおさめるために、“山村暮鳥研究”を永遠に《やめない》ことを約束する。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。