梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

生活詩人・山村暮鳥・《暮鳥をとりまく詩人群・白樺派・2》

梨野礫

さて山村暮鳥は『聖三凌玻璃』では他に比類なき意匠、感覚の直観の異常さからくる非常に難解なものであったが、三年後に刊行された『風は草木にささやいた』では一変して、何の解説をも必要としない平明な口語詩であり、生きることの歓喜を自然礼賛、人類愛のなかに明るくうたいあげている。

 集中では「人間の勝利」「人間に與える詩」など、すべて人道主義的な精神に立って、労働者を歌い、老漁夫を歌い、農夫を歌い、貧しい者をうたいあげたものだった。そしてこの集には「人間」という言葉が非常によく出てくる。

 つまり人間と自然に対する人間的愛情が信仰的な精神の裏づけをもってどの詩にもあふれているのである。

 人間の勝利

 人間はみな苦しんでいる

 何がそんなに君達をくるしめるのか

 しっかりしろ

 人間の強さにあれ

 人間の強さに生きる

 くるしいか

 くるしめ 

 それがわれわれを立派にする

 見ろ山頂の松の古木を

 その梢が烈風を切ってゐるところを

 その音の痛痛しさ

 その音が人間を力づける

 人間の肉に喰ひいるその音のいみじさ

 何が君達をくるしめるのか

 自分も斯うしてくるしんでいるのだ

 ・・・後略

 (詩集『風は草木にささやいた』より)

 

 人間に與える詩

 そこに太い根がある

 これをわすれているからいけないのだ

 腕のやうな枝をひっ裂き

 葉っぱをふきちらし

 頑丈な樹幹をへし曲げるやうな大風の時ですら

 まっ暗な地べたの下で

 ぐんと踏ん張ってゐる根があると思えば何でもないのだ

 それでいいのだ

 そこに此の壮麗がある

 樹木をみろ

 大木をみろ

 このどっしりとしたところはどうだ

 (詩集『風は草木にささやいた』より)

 それらは千家元麿の詩に対して暮鳥はもっとずっと深い内容を持っていたが、両者の単純な詩風、平明な作風とともに当時の「白樺」的な人道主義と相通じるものがあったのである。

(豊多摩高等学校文芸部研究レポート・1962.10.10)

暮鳥をとりまく詩人群・《白樺派》・2 - 生活詩人 山村暮鳥

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