梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

『「自閉」をひらく 母子関係の発達障害と感覚統合訓練』(つくも幼児教室編・風媒社・1980年)精読・2

《まえがき》(つくも幼児教室施設長・阿部秀雄)
・現状では(自閉症、早期小児自閉症、自閉的傾向、自閉性精神薄弱などと呼ばれている子どもたちの)本態も原因も治療の方法もほとんどわかっていない。せいぜい1つの状態像(症状)を記述する用語として「自閉」という表現を用いるにとどめ、その原因はけっせて単一のものではなく、個々の子どもによってさまざまであり得る、と心得ていた方が無難であろう。
・私自身は心因や素質が重要な原因であると思われるような事例を直接見聞したことはないので、事実上大多数の自閉的な子どもについては、子ども自身の側の器質的ないしは機能的な障害が原因となっており、原因の多様性といってもあくまでその枠の中でのでしかない、と信じている。それゆえ、近年自閉症の原因論が心因論から器質論へコペルニクス的展開を示してきていることには全面的に同感である。
・しかし、今日の自閉論の主流がこの子どもたちに有効な援助を提供し得ているかといえば、残念ながら否と言わざるを得ない。そこに欠落している最も重大な視点は発達的な視点であると思われるのだが、この点では、心因論に近い立場にあるお茶の水女子大学の田口恒夫氏らの理論、すなわち成熟した母子関係があらゆる人格発達に基盤であるという発達心理学上周知の事実に立って、母子関係を成熟させるための個別的な方法を提案している理論から学ぶところが大きい。母子関係の重要性を強調することは、母親の養育態度に自閉の原因を求めることとはまったく別個のことである。
・私たちは、なんらかの原因から子どもの側に存在している感覚障害が母子の交流を妨げる重大な原因となっている場合が多いという仮説に立って理論と実践を展開しているので、心因論的色彩をを払拭しきれずにいる田口氏らの理論と実践に対して多少の異論を持たざるを得ないのであるが、同時に、基本的障害として強調されているところの言語障害ないしは知覚や運動の統合障害の根底に原始的な水準での感覚障害を想定する点では、母子関係の意義の強調に加えて、従来の器質論とも異なる主張を持っている。
・第1部において、私たちは代表的な器質論であるウィング女史の自閉論に対する私たちの基本的立場を明確した上で、田口理論に対する私たちの見解を提起した。また田口理論が言語発達の臨床の場面で少なからぬ混乱を引き起こしている実情にかんがみて、言語治療士の鈴木弘二氏にその観点からの執筆をお願いした。
・第2部では、感覚診断と統合訓練の方法について述べた。統合の方法については、エアーズから多くの示唆を得た。感覚障害が対人関係を阻害すること、従来自閉的な子どもの不可解な行動と思われていた常同行動が実は感覚障害の端的な表現にほかならないことについては、デラカートの自閉論から学んだことである。
・第3部は、母子関係が十分に成熟していない子どもたちと取り組んだ記録である。
・とりわけ強調しておきたいことは、自閉を母子関係の発達障害として理解することによって、自閉と非自閉との間が連続的にとらえられるようになる、ということである。本書で述べられた方法に多少の有効性があるとすれば、その方法は、自閉と呼ぶにはあたらないが、それにしても母子関係が十分に育ちきっているとはとうてい言えないような、中間的な多くの子どもたちにも適用できるはずだ、ということである。
・本書では私たちの知り得たことを腹蔵なく書いたつもりである。援助のための方法については、図解をまじえてつとめて具体的に書いた。ただ、感覚障害や母子関係という概念を神経発達学的に明確にすることはできなかった。
・ごく最近、邦訳された『自閉症児の治療教育 神経生理学モデルによる理論と実践』(ドローリェとカールソン)は、われわれの理論とかなりの親近性を持っており、あわせて一読をお勧めしたい。(1979年7月1日)
【感想】
・著者は「近年自閉症の原因論が心因論から器質論へコペルニクス的展開を示してきていることには全面的に同感である」と述べる一方で、「そこに欠落している最も重大な視点は発達的な視点であると思われるのだが、この点では、心因論に近い立場にあるお茶の水女子大学の田口恒夫氏らの理論、すなわち成熟した母子関係があらゆる人格発達に基盤であるという発達心理学上周知の事実に立って、母子関係を成熟させるための個別的な方法を提案している理論から学ぶところが大きい」とも述べている。要するに、①従来の器質論には「発達的な視点」が欠落している。②その点では心因論に近い田口理論から学ぶところが大きいが、「田口理論が言語発達の臨床の場面で少なからぬ混乱を引き起こしている実情」も否めない。③著者らの立場は「基本的障害として強調されているところの言語障害ないしは知覚や運動の統合障害の根底に原始的な水準での感覚障害を想定する」「感覚障害が対人関係を阻害すること、従来自閉的な子どもの不可解な行動と思われていた常同行動が実は感覚障害の端的な表現にほかならないことについては、デラカートの自閉論から学んだ」という記述から、自閉症の要因には「感覚障害」が大きく関与しているという見解になると思われる。
 私自身もデラカートの「感覚障害」論に従って実践を試みた時期があり、長い間(ほぼ20年間)その仮説を確信してきた。精神科医・飯田誠氏の指導を仰ぎ、氏が開発した「電気針」によるマッサージやツボ刺激を自閉症児に施した経験がある。その治療教育は保護者の事情により「頓挫」したが、最近では「パニック障害」と診断された成人女性に対しては一定の効果があったと思う。「自律神経失調」状態を示す「発汗」「過呼吸」「胸苦しさ」などの症状が消失したからである。
 本書のタイトルで明らかなように、著者の目的は「自閉をひらく」(自閉症状そのものをを改善する)ことであり、従来の(望ましい行動形成を図る)行動教育とは「一線を画している」点は、たいそう興味深い。関心をもって以下を読み進めたい。(2016.3.12)