梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」(佐久間徹・二瓶社・2013年)通読(3)

《第三章 フリーオペラント法実施への補足》
【徹底的な甘やかし】
・フリーオペラント法の実施でまずしなければならないのが、徹底的な甘やかしである。・「母子関係の理論」(J.ボウルビィ著、黒田実郞訳、岩崎学術出版社)
【わがままが酷い例】
・母親の笑顔が一番の強化機能を持つものになっていれば、物品は手に入るが、一方、母親の笑顔が消えてしまう行動が繰り返されるはずがない。何らかの特別な事情が働いて、時によって、子どもはわがまま放題になるだけなのである。
【わがままと困難克服は同一の行動パターンである】
・困難に立ち向かう行動を身に付けさせるためには大いにわがままにしなければならないが、しつけが厳しすぎると、困難の前で目標達成を早々に放棄するようになる、無気力になってしまう。大人の注文通りの行動なので、よくしつけられたように見えるが、その内容は、不適応の一種なのである。
【自立の催促は無用】
・さまざまなことを一人でするということがなぜそんなに大切なことなのだろうか?それも早ければ早いほどいいという考えが濃厚である。何でも自力でやってしまうよりも、助け助けられる関係を上手に駆使する方がはるかに重要になってきている。どうして自立をせき立てるのだろうか。
・特に障害児の場合は、言語の発達や対人関係の発達を優先させるべきで、身辺処理やマナーのしつけは遅くゆっくり余裕をもって進めるべきである。
・「この子はおむつを取り替えると、私の顔を見てにっこり笑うようになりました。おむつの交換の時に私は子どもの笑顔に出会えるので、おむつ交換が楽しいものになりました」(5歳・重度自閉症児の母)
・自分のことは自分で、というしつけが強すぎると、自分で対処できない事態に直面したときに、人に頼ることができなくなる。親に頼ることができなくなると、子どもは自殺以外に道がなくなる。(いじめによる自殺の背後にこんな事情があるように思われる)
・人間にとって大切なのは自立ではなく、助けてもらい助けてあげる、相互扶助のはずである。われわれは、個人主義の欧米社会ではなく、相互に甘え合う社会で生活していることを自覚すべきである。
【くすぐりの刺激】
・アタッチメント形成のために、かなり即効性のある手は「くすぐり」である。
・「皮膚特定部位への特定刺激+親密な人間関係=強烈な笑い」という関係式は成り立つようだ。
・外国では「幼児わいせつの嫌疑を受けかねない」という文化の違いがあるようだ。
・笑顔はセラピーでは取り上げられない行動だが、周囲の人たちの症児に対する大きな変化を引き起こす。
・くすぐりのコツは言語化できない、コツの伝授が難しい、上手に笑いを引き出せても、しばらくすると苦痛になり出す、などで利用は難しいが劇的変化を生む妙案の一つではある。
【皮膚刺激】
・障害児療育関係では感覚統合法が皮膚への刺激の重要性に注目している。
・皮膚のこすり方は、一定のやり方があるわけではない。
・効果が出るまでに時間がかかるが、効果は抜群である。(「タッチ」(ティファニー・フィールド著、佐久間徹訳、2008、二瓶社)匂いを嗅ぐ癖が修正されるし、偏食が改善するし、抱っこが大好きになり、不安低減効果も大きいし、こだわりが緩和する。
【静かな抱っこ20分】
・子どもの方から膝に乗ってきて膝の座り心地を楽しみ、そのまま居眠りが始まるとバンザーイ、目的達成である。
・順調な発達を支えているのは、親が提供するプラスの事後の出来事(強化子)である。それが機能不全であれば機能を取り戻せばいい。次に重要なのは、適切な行動に対するプラスの事後の出来事の随伴操作である。随伴操作を忘れていたのが遊戯療法だ。遊戯療法が言語発達を引き出せなかったのは、随伴操作という考えがなかったためと思われる。赤ちゃんの喃語に対して大人はほぼ誰でも同じ声を出して相手をする。発声に随伴的に応じている。しかし、年齢が上になり、身体が大きくなると、喃語発声に同じ声で応答しにくくなる。加えて、受容と共感が強調されているので、子どもの内面に目が向く。発声だけで意味不明の声は内面推測の情報価が低い。セラピストその他の大人たちは子どもの表情、手足の動き、前後の事情に目が向いてしまう。結果として、子どもの声は、周囲の人たちに意思伝達手段としての順位が低いものになり、無視されがちになる。これではことばが発達しない。
・静かな抱っこ20分を自閉症児以外にも試みると意外な結果が出る。ADHDの症状が大幅に改善する。
【逆模倣】
・健常児がなぜあんなにスムーズに言語を、社会性を、身辺自立を獲得するのか、そのカギは模倣なのだ。見よう見まねがカギなのだ。発達遅滞児と健常児の大きな違いは自発的な模倣行動の強弱である。
・自発的模倣行動の生起頻度を高める手段として、指導者側が、セラピスト側が、大人の方が、子どもの行為を可能な限り忠実に模倣して子どもを喜ばせる。
・参考:「社会的学習理論・復刻版」(A.バンデューラ著、原野広太郞訳、2012年、金子書房
・要するに、大好きな人のまねをする、楽しそうなことをまねする、自分もできそうなことをまねする、この原則でモデルを示せばいいのである。この条件の逆だとまねは出てこない。
・模倣行動の形成のために、マッチング課題を積み上げて、動作模倣を形成する手続きがある。「○○してごらん」の指示で模倣行動を誘導するのだが、一貫して子どもを受け身の状態にして指導するために、いつまでたっても模倣の自発性が育たない。われわれの逆模倣のやり方では、指導者側が子どもの自発行動、自発発声を模倣して子どもを楽しませる。それが積み重なると、子どもは指導者と、さらには親と、一緒に楽しくなる目的で、動作模倣を始めるようになる。それが積み重なると、同年齢仲間と一緒に楽しくなる目的で動作模倣を始める。
・子どもが勝手に示している行動をそばで大人が模倣して子どもを喜ばせる逆模倣は、子どもになんの強制もしないので、誰にでも簡単にでき、無理がなく、失敗事例を出さずにすむ。
【指導の優先順位】
・一切を後回しにして、言語発達を最優先にすべきである。
・指導対象の優先順位
①本人および周囲の人たちの生活を困難にしている行為にコントロール(自傷・他傷・破壊)→②対人回避傾向を解消、親密な人間関係の形成、甘やかし、依存の形成→③良好な言語発達と社会性の獲得、集団参加や人間関係→④知識の獲得と生活スキルの獲得、とくに金銭の欲求と管理。
【喃語の発生頻度がその後の言語発達を大きく左右する】
・フリーオペラント法での発声、発話の指導では、発声模倣がどんどん活発になると、語彙の増加と言葉遣い(文法)の成長に活発な進歩が見られるようになる。声が、ことばが、相手に伝わることが強烈な強化子として働き始め、言語発達が進む。発語頻度が高ければ、すなわち、おしゃべりだと言語発達は順調に進む。
【単語が出だしたら】
・発語の誘導、催促、強制の厳禁という処置を徹底すると、以後、われわれのところではことばの消失例を1件も出していない。発語が出たら「鳴くまで待とうホトトギス」に徹するのが肝要だ。
・障害児に関しては、修正、訂正なしで指導すべきである。話したい、伝えたいというモチベーションが高ければ、ゆっくりと自動的に修正が進む。間違いを正さなければ間違ったままになると考えるのは、結果をせっかちに見るからだ。赤ちゃんことばは、教育的意図による修正訂正なしで、年齢の進行とともにゆっくり消失していく。
【ことばは意味を知っていても、発音がちゃんとできても、話せない】
・「私は英語をペーパーと鉛筆で学んだ。だから《読む》ことはできるが、《話す》ことはできない」、これが大半の日本人の実情だろう。原因は、話す、聞くの経験が極端に貧弱だからである。なのにどうして、言語発達遅滞児に絵カードで単語を教え込むのだろうか?単語帳でたくさんの英単語を覚えても英語を話せない自分自身と同じにしたいのだろうか?
・ことばの背後の意図を察知しなければ、コミュニケーションは成立しない。人の意図の理解、心の理論と言われているものである。問題の核心を突いているが、ではどうすれば人の意図を理解できるようになるのか、肝心要が明らかになっていない。しかし、背後のメカニズムは不明だが、相互に行動(ことばも含めて)模倣する関係ができあがると意図理解ができてくる。相互模倣関係が成立すると言語コミュニケーションがスムーズに成立するようになる。
【構音障害】
・言語発達遅滞児の大半は、おおむね聞こえた音に近い声で発声模倣が可能なのだが、それができない子どもたちがいる。ことばが通じず自閉症の症状を示すので、診断基準に当てはまり、自閉性障害という診断名がつけられている。
・そんな子どもたちに対して「音声言語以外の手段(ティーチ式の絵カードやマカトン法)に頼るべきだ」と主張している学者がいるが、酷い認識違いをしているように思う。視覚障害に対する点字、聴覚障害に対する手話と同じように考えるのは、明らかに間違いである。困難の所在に注目すべきである。構音に障害がある子どもを長期にわたり観察すれば、発音がゆっくりと改善することがわかるはずだ。学習のメカニズムがちゃんと働いている。
・ではどう対処すればいいのか?第一段階の対人関係の改善に続喃語のレベルで大きな声をたくさん出せば音声コントロールが少しずつ改善する。続いて、自発的発声に強化随伴操作を徹底して行う。声の大きさを強弱で区別し、普通の大きさだと通常の強化、大きめの声には大きめの声で音声模倣の応答をする。強化作用のあるものは、何であれ、随伴させる。ふざけっこ、抱っこ、食べ物の提供などで、反応強度分化強化法、すなわち反応強度に応じて強化に差をつけて大きな声をたくさん出させると、構音がゆっくり改善してくる。要点はあくまで自発発声に対しての対処であって、決して、発声の催促、誘導、強制をしない。
・次に、ワンサウンドセンテンス法を適用する。健常児の言語発達の過程では、喃語から一語文へと進む。構音障害があるので、その中間段階に一音文を挿入するのである。一音、ママなら「マ」、ネコなら「ネ」の一音だけで意味が通るのである。しかし、構音に障害があるので、自発的に子どもが出す音だけで進める。大人側が音を決めるのではなく、動作、音声の模倣ができてくると、子どもが自分で出せる声のみでことばとするようになる。子どもの声を注意深く聞き、直感をフルに働かせ、意味を了解し、大人もその一音語を積極的に使う。意味がわからないときに質問してはいけない。わかってあげられなくてごめんね、という対応をする。一音語の数が増大してくると、二音語がごく自然に混じり出てくる。二音語が増え出すと、後はどんどん複数音節のことばが出だす。
・だが、とにかく変化がスローで、センテンスが出てくるまで時間がかかる。2年、3年の長期戦である。両親も指導者側も超スローの発音のわずかな手がかりに忍耐強く粘り勝ちを目指すしかない。しかし、結果としての言語発達の状態はきわめて良好で、生活の中で語彙がどんどん増加し、言語表現がますます巧みになっていく。


〈感想〉
・この章でも、著者の(臨床経験を踏まえた)「卓見」が数多く述べられている。まず、①徹底的に甘やかすこと、②わがままを受け入れること、③自立を催促・強要しないこと、という基本方針に加えて、④くすぐり刺激(笑顔のやりとり)、⑤皮膚刺激(スキンシップ)、⑥静かな抱っこ20分(対人回避傾向の解消)、⑦逆模倣(自発的模倣から自発的な学習へ)といった「具体的方法」がわかりやすく紹介されている。とりわけ「大好きな人のまねをする。楽しそうなことをまねする。自分もできそうなことをまねする。この原則でモデルを示せばいいのである」という学習のイロハを理解することが大切である。はたして、私たちは、子どもにとって「大好きな人」に成り得るだろうか、そのことが今、問われているのだと思う。著者いわく「模倣行動の形成のために、マッチング課題を積み上げて、動作模倣を形成する手続きがある。「○○してごらん」の指示で模倣行動を誘導するのだが、一貫して子どもを受け身の状態にして指導するために、いつまでたっても模倣の自発性が育たない」。まさに、おっしゃるとおり!、そのことが従来の「応用行動分析」(オペラント法)の最大の問題点(限界)ではないだろうか。
 著者はまた、「指導対象の優先順位」を以下のように示している。〈①本人および周囲の人たちの生活を困難にしている行為にコントロール(自傷・他傷・破壊)→②対人回避傾向を解消、親密な人間関係の形成、甘やかし、依存の形成→③良好な言語発達と社会性の獲得、集団参加や人間関係→④知識の獲得と生活スキルの獲得、とくに金銭の欲求と管理〉。まず、子どもの「不適応行動への対応」を図ること、次に、対人回避傾向を解消し、親密な人間関係の形成を図ること、そのうえで、良好な言語発達と社会性の獲得をめざし、最後に「知識の獲得と生活スキルの獲得」を図ること、といった優先順位は、目の前の子どもに対する「治療方針」を検討する上で、きわめて有効な指針になるだろう。ともすれば、子どもの実態にかかわりなく、いきなり言語発達・社会性の獲得、知識・生活スキルの獲得をめざしがちになるのが現状ではないだろうか。①や②の取り組みを無視して、③や④の指導に終始していることはないか、反省しなければならない、と私は思った。
 また、著者は前章で「ことばの複雑さを考えたらとても教えられるものではない。子どもが持っているはずの言語獲得能力を何なりと駆動させればいいのだと考えるようになった。言い換えれば、教えることを放棄したのである」と述べているが、その「言語獲得能力を何なりと駆動させ」る方法について、具体的に(詳細に)紹介している。要するに、①声によるやりとりを活発にすること(おしゃべりだと言語発達は順調に進む)、②発語の誘導、催促、強制の厳禁という処置を徹底する、③障害児に関しては、修正、訂正なしで指導すべきである。話したい、伝えたいというモチベーションが高ければ、ゆっくりと自動的に修正が進む。間違いを正さなければ間違ったままになると考えるのは、結果をせっかちに見るからだ。赤ちゃんことばは、教育的意図による修正訂正なしで、年齢の進行とともにゆっくり消失していく。④ことばの背後の意図を察知しなければ、コミュニケーションは成立しない。人の意図の理解、心の理論と言われているものである。問題の核心を突いているが、ではどうすれば人の意図を理解できるようになるのか、肝心要が明らかになっていない。しかし、背後のメカニズムは不明だが、相互に行動(ことばも含めて)模倣する関係ができあがると意図理解ができてくる。相互模倣関係が成立すると言語コミュニケーションがスムーズに成立するようになる。⑤喃語のレベルで大きな声をたくさん出せば音声コントロールが少しずつ改善する。声の大きさを強弱で区別し、普通の大きさだと通常の強化、大きめの声には大きめの声で音声模倣の応答をする。ふざけっこ、抱っこ、食べ物の提供などで、大きな声をたくさん出させると、構音がゆっくり改善してくる。要点はあくまで自発発声に対しての対処であって、決して、発声の催促、誘導、強制をしない。⑥次に、ワンサウンドセンテンス法を適用する。健常児の言語発達の過程では、喃語から一語文へと進む。その中間段階に一音文を挿入するのである。一音、ママなら「マ」、ネコなら「ネ」の一音だけで意味が通るのである。子どもの声を注意深く聞き、直感をフルに働かせ、意味を了解し、大人もその一音語を積極的に使う。意味がわからないときに質問してはいけない。わかってあげられなくてごめんね、という対応をする。一音語の数が増大してくると、二音語がごく自然に混じり出てくる。二音語が増え出すと、後はどんどん複数音節のことばが出だす。だが、とにかく変化がスローで、センテンスが出てくるまで時間がかかる。2年、3年の長期戦である。両親も指導者側も超スローの発音のわずかな手がかりに忍耐強く粘り勝ちを目指すしかない。しかし、結果としての言語発達の状態はきわめて良好で、生活の中で語彙がどんどん増加し、言語表現がますます巧みになっていく。・・・ということだが、その内容もまた「言語治療」のイロハとして、肝銘すべきことである、と私は思った。(2014.5.3)