戦後文学の思想と方法・坂口安吾論・《1》
・・・私はつまり天来の退屈男なのだから、生活を芸術と見る。・・・(「金銭無情」昭和22年)
いったい、生活とは何であろうか。『広辞苑』(岩波書店)によれば〈①いきていること。いかすこと。生存して活動すること。生存して働くこと。②活計。くらし。くちつぎ。すぎわい。〉である。それではいったい、生きていることとはどういうことなのであろうか。だがそのまえに、そのような問いかけをおのれにむかって発する人間は、余り多くはないようである。いやいやその前に、不用意にも私は人間というような言葉を使ってしまった。では、人間とは何か、このようにして私の問いかけは末広がりにどこまでも広がっていく。だがしかし、そうであればこそ、今ここで私はそういうことに対しての私なりの決着をつけたいのであり、またつけなければいけないのではあるまいか。
生活とは何であり、生きるとはどういうことなのか、という問いを多くの人間がおのれに向かって発したがらないのは何故か。それは明らかである。それに答えることができないからだ。そしてそれに答えることが出来なくても、これといって不都合、不便さは別に感じなくてもすむからだ。すなわち生きていけることができるのである。
だがここに、きわめて少数ながら、そのような問いをおのれに向かって発する人間もまたいるらしいのである。彼等は、はたしてその問いにみずから答えることができたであろうか。
いや、私がさしあたって決着をつけたいのは、そのような漠然とした問題ではなかった。それがより切実な、より私的な問題である証拠に、私は今みずからの手で、この原稿用紙に向かって何やら書きはじめようとしているのであるから、従って私はただ単に生活とか、人間とかいう抽象化され普遍化され総合化された言葉もしくは概念を持ち出してはいけなかったのだ。いうまでもなく、私にとって問題なのは、私の生活であり、私の生きることなのである。だがそれでは、私とはいったい何なのか。私という言葉自体、すでに抽象化された概念fであり、それ故私的ではない。だが私はこの私とは何かについて答えようとするとき、この私を指す言葉として、私という言葉以外を知らない。ともかくも私は、まず何やら書きはじめようとして、そのような絶対的制約をうけざるを得ないのである。とはいえ、たとえそのような言葉を使ったとしても私は私とは何かについて、充分に答えるすべを知らないのである。
私は言葉の遊びをしているのであろうか。いやそうではない。そうでない証拠に、私は今まで書いて来たことが、次のように要約され得るであろうと考える。
1 生活とは何であり、生きるとはどういうことかという問いかけをおのれに向かって発する人間が、いること。また、いないこと。
2 そのような問いかけを発する発しないにかかわらず、人間は生きていけること。
3 私は1,2という問題を、単なる抽象的論議に終わらせたくないために、私という個別の人間を登場させなければならないこと。
4 だが、たとえそれが単なる抽象的論議であれ、私は既にその担い手(書き手)として登場しているのであり、また他方みずから書き手であることによって、私は言葉それ自体の制約を受けざるを得ないこと。
この要約そのものには、まだ検討の余地が残されているに違いない。だがともかく私はそのようなことを書いたつもりであり、それが《坂口安吾論》を書くにあたっての、私の側からの問題提起である。だがその前に私はその問題提起に若干の補足並びに暫定的な決着をつけておかなければならない。
すなわち、私は要約された問題の大前提として、芸術とは何であり、それはどこにおいて成立するかという問題を考えていること、そしてその問題は、更に発展して要約4の形に集約され得るであろうこと、これが私の補足したいことである。
(1967年3月)
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