梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「今、赤ちゃんが危ない 母子密着育児の崩壊」(田口恒夫・近代文芸社・2002年)

 今、私の手元に一冊の本がある。タイトルは「今、赤ちゃんが危ない 母子密着育児の崩壊」(田口恒夫・近代文芸社・2002年)。新書版180ページの小冊子で、定価は953円だが、現在、この本は絶版、書店では入手できない。インターネットの通販(アマゾン)では、中古品12000円という値がついている。12000円以上の価値があることは勿論だが、年金生活者の私には手が出ない。そこでやむなく図書館からの借り出しとなった。著者の田口恒夫氏は、知る人ぞ知る「臨床の大家」、「まえがき」で以下のように述べている。〈私は浜の漁師同様、学者でも研究者でもないし、博識な評論家でもない。ただの臨床家で、そのうえ心理学とか教育学などという学問をまともに学んだことさえない。にもかかわらず、最近体調不良でこの夏が無事越せるかどうか心配になってきたので、この際「何か思い残すことはないか」と問われたつもりで、遺言のつもりで、気象庁にタテつく浜の漁師のような心境で、言いたい放題を書いてみたのがこの本である。「わかるかなぁ、わかんねえだろうなぁ」と思いつつ・・・。〉。田口氏が自分を「浜の漁師」に例えたのは、毎日浜辺に立って海を眺めているうち、いつの間にか天気の移り変わりが読めるようになる。気象庁の天気予報よりも、自分の判断を確信するようになる。それと同じように、田口氏は「長年、たくさんの人間の子どもの成長発達の経過をじっと見てきた」ので、これから述べようとしている「遺言」は「間違いねえ」と確信している、ということであろう。
 さて、その「遺言」の中身や如何に・・・。目次を辿ると「育児の崩壊が国を滅ぼす」「この五十年で何が変わったか」「お産のしかたが変わった」「豊かな便利な社会になった」「密着育児を疎かにすると社会が崩壊するというわけ」「生後最初の1年が勝負」「最初の1,2年でもうこれだけの違いがでてくる」「母子密着育児で何が育つか 密着育児の効用」「泣かない子でも密着していればかなり救われる」「ヒトの育児は生物学的に『密着型』」「サルの『隔離飼育実験』のおどろき」「隔離飼育ザルのリハビリ実験」「人とうまく付き合う能力はどのようにして育ってくるものか」等々・・・という内容で、要するに①動物行動学的にみて、ヒトやサルの育児行動はキャリー(運び歩き)型である。(ウマやウシはフォロー型、ウサギはネスティング型、アザラシはキャシング型)②したがって、生後最初の1年から2年までは、母子密着育児により「愛着関係」を育てることに重点を置く必要がある。③そのためには、泣くこと、抱く(授乳する)こと、あやすこと、笑うこと、おんぶすること、遊ぶことなどを通して、子どもの「安心感を育てること」が肝要である。④「子どもは可愛がれば可愛がるほどいい子になる」ということである。
この本が刊行されてから10年以上が経過したが、はたして田口氏の遺言は、どれだけ「人口に膾炙」しているだろうか。「浜の漁師」は第一章で〈ヘンな子どもが増えている。今も、連続的に増え続けている。五十年前にはめったに出会うことのなかった子どもである。ほとんど男の子。よく見てみると、赤ちゃん時代からもう、明らかにオカシイ。うまいこと順調に育っている赤ちゃんの行動と比べてみれば誰にでもよくわかる。(中略)この子たちは、「指さして人に知らせる」ということをしない。人に知らせる気がない。抱きぐせはつかず人見知りもしない。幼児期になると、だんだん問題がはっきり出てくる。親になつかず、呼んでも振り向かず、物とはよく遊べるが人とは遊べない。友だちを避け、集団から離れてひきこもり、いつのまにかひとりで裏の墓場に座っていたりする。(中略)そういう子、その気(ケ)のある子がどんどん増えて、教室の子の1割近くを占めている。今や、その子たちが成長して青年期を迎え、大人になり、子を持つ親になり、四十歳を超えてきているのである。それは犯行動機の不可解な凶悪犯罪、安直な殺人や自殺、幼女拉致誘拐監禁などの多発と、根っこのところで、ずっと繋がっている。(中略)もし、これがこのまま進めば、人は環境破壊や放射能より、これで亡びるおそれがある。〉と警告しているが、その「予報」は「間違いねえ」、と私は思う。最近の情報では、佐賀県の1歳半児健診で15%、鳥取県の5歳児健診で9%、栃木県の5歳児健診で8%、文科省の学齢児調査で6%の子どもたちが、「へんな子」に該当する(おそれがある)らしい。いずれにせよ、田口氏の「遺言」が、いわゆる「親学」(提唱者は明星大学・高橋史朗教授)一派の主張「発達障碍やアスペルガー、自閉症は親の愛情不足が原因で、伝統的育児では発生しない」という極論と「混同」されることは必定(田口氏は「親の愛情不足が原因」とは断定していない)、これからも「日の目を見ることはないだろう」。そのことが、残念でたまらない。そしてまた、「育児の崩壊が国を滅ぼす」ことも「時間の問題」であると言わざるを得ないのが、現状である。(2013.7.27)