梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・石川淳小論・《10》

梨野礫

 「無尽燈」(昭和21年)、それは一見すると「焼跡のイエス」に比べて戦後的な作品とはみえないかもしれない。だがそれは明らかに石川淳における《戦後》の文学的表現なのである。いうまでもなく「無人燈」は、石川淳のこれまでの生活に対する回想録では決してない。

 〈あひにく、わたしは人間の記憶といふものをぜんぜん信用しない。またわたしの頭脳は回想といふ女こども常習の、舌たるい遊戯に慣れていない。すでに観測ノートの掛替が無いとすれば、わずかに焼けのこってゐるのはわたしの認識だけである。しかし、認識の展開して行くさきは必ずや生活ばなれして来て、所詮歴史にもなるまいし、ただの話にもなるまい。すると、いくさのあひだの、現実の流とわたしの生活との交渉につき、わたしの記しうるかぎりは歴史ともつかず、ただの話ともつかず、また認識論でもなくて、茫漠たる観念にただよひがちだらう。但、その茫漠たる観念に対応するやうなぐあひに奇妙な生活事実があって、それが記述の支へになるはずである。〉(「無尽燈」・『石川淳著作集Ⅰ』・全国書房・65頁)
 それゆえ、いわば「無尽燈」は石川淳における「いくさのあひだの、現実の流とわたしの生活の交渉」の「観念」の表現であり、そうした「観念」が《戦後》の石川淳を直接的に規定していることもまたたしかである。
 ところほかでそうした「観念」に対応する奇妙な生活事実とはどのようなものであったか。それはひとくちにいって、弓子との私生活つまり色仕掛の世界と、いくさ、もしくはいくさ仕掛の世界によって構成されている。そしてそれを生活事実自体としてみれば、奇妙でも何でもない、いわゆる私小説の素材となるようなきわめてあるふれたものでしかない。だが石川淳の「観念」は、色仕掛、いくさ仕掛の世界に規定された生活意識と真っ向から対立するものとしてあるがゆえに、それらを奇妙なものとしてみつめざるを得ない。
 それではいったい「観念」と生活意識との対立、それはどのようなものとしてあったのだろうか。
 石川淳の分身「わたし」は、いくさ仕掛の世界に「必至に追ひこまれるに至ったとき、」「とたんに不死の権利を身に附けてしまった。」それは「マルスの歌」においてみたとおりである。
 〈いくさの見かけの波瀾は、精神の運動にとっては、じつは無意味なる平地であった。わたしは平地に真の波瀾の起るべき日を気永に待った。わたしの非力では、何とも手の出しやうもなかった形勢なので、いつか歴史のながれをしてふたたび流れしめ、人間のあゆみをしてふたたび歩ましめる底の大きな事件が、いはばひとりでに、向うから起って来るであらうのを待つほかなかった。〉(前出・58頁)
 つまるところ「わたし」はこのような生活姿勢で戦争を通過した。そして、生活事実において「わたし」をいくさ仕掛から守ったのは胸膜炎であり、「観念」において「わたし」を守ったのは、ここでいう「精神の運動」であった。「精神の運動」とは何か。
 〈きもちという不潔なものをひどく大事がって経験の混乱の跡始末に理屈の十露盤をはぢいて、ときどき心理的大福帳の帳尻を合はせるやうなことをする、謂ふところ整理の仕方は、わたしとは縁の無いものである。わたしの知ってゐるのは、わたしの生活系に於て、現実の流に対応する点に観測者を配置しておき、流にしたがって位置を移動させながら、刻々の事象観測をするといういふ操作である。その観測者とは、わたしみずからにほかならない。そしてわたしのうちには、また認識者がゐて、観測者の報告を受けとるという仕掛になってゐる。〉(前出・64頁)
 そうした「整理」の仕方に即しながら、書くということによって自己の観念を追求すること、それが「精神の運動」に他ならない。

(1967年3月)

石川淳小論・《10》 : 戦後文学の思想と方法