梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・8

【要約】
B’.本来反射的・生得的だった活動が、おとなとの相互反応を通して強化され、活発化し、分化してきて、しだいにおとなを動かす力を帯びてくるべきところ、それがはっきりとみられなかったことに関係があるのではと思われる症状。
14. 人の目をまっすぐに見ることがほとんどない。
15. 視線が合わない。
16. あやされても笑わなかった。
17. あやしたとき高笑いをしなかった。
18. 抱く人が母親からほかの人に変わっても泣くということがない。
19. おとなしくひとりで遊んでいておもちゃのいらない子どもであった。
20. 表情が固い。
21. 喜怒哀楽の表情が乏しい。
22. 表情の変化が乏しい。いつも無表情。
23. いつもわけもなくニコニコしていた。
24. 痛いとき、ちょっと驚いたような様子をするだけで泣かない。
25. ゴツンと頭をぶっても痛がらない。
26. 痛いはずのときでもあまり痛そうな顔をしない。
27. ころんでも泣かない。涙も出さない。
28. ころんでも、けがをしても痛がらず、がまん強い。
29. パンツがぬれても気にせず教えない。


【感想】
  以上の項目は、「本来反射的・生得的だった活動が、おとなとの相互反応によって強化され」なかったために、起こる症状だと思われる。その場合、子どもの「本来反射的・生得的だった活動」が乏しければ、大人(親)からの反応も乏しくなるだろう。また、大人(親)の都合で、子どもの「本来反射的・生得的だった活動」を見落としたり、無視したりすれば、同じような結果になるだろう。いずれにせよ、大切なことは「おとなの反応」であり、それが不十分であれば「強化」されることはない。大人(親)が子どもの顔を見なければ(子どもと視線を合わせなければ)、子どもが「人の目をまっすぐに見ることはほとんどない」という症状になるだろう。大人(親)が(笑いながら)あやさなければ、子どもが「あやされても笑わない」のは当然である。子どもの「表情が固い」とき、では「親の表情」はどのようなものであろうか。また、「喜怒哀楽の表情が乏しい」とき、親はどのような表情をしているのだろうか。“正常発達像”を示すBの項目は、すでにみたように、主として「怒」の表情で「泣き叫び」、それが大人(親)を「動かす」(放っておけないという気持ちにさせる)までに「強化」されることを示している。ここに示されたB’の項目は、いわばその「裏返し」であり、とりわけ「不快感」を泣いて訴えることが不十分であることを示している。「痛がらない」という様子を見て、「痛覚が鈍いのではないか」「我慢強い」と思う向きもあるようだが、はたしてそうか。自分の「不快感」を訴えても、それに「反応」してくれる相手(親)がいなければ、子どもは「泣くこと」、「喜怒哀楽の表情表現」を止めてしまうだろう。泣いても、怒っても「反応」が返ってこない、そのような積み重ねの中で、B’のような症状が現れてくるのではないか、と私は「強く推測」する。(2014.4.22)