梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・10

【要約】
C’2 (隔離飼育のサルに見られる行動にも似た)好奇心や探索行動の乏しさを示す、うづくまり・ゴロゴロ・ウロウロ症状。
63. 眠るわけでもないのにゴロゴロと床に寝そべっていた。
64. ゴロゴロしている。何をするでもなくキョロキョロしている。
65. 部屋の棚、ベッドの下にもぐりこむ。
66. 落ち着きがない。
67. 部屋の中をウロウロ歩きまわる。
68. 時々、部屋の中をウロウロする。落ち着きがなくなる。
69. 部屋のすみにいく。
70. じっとしていられない。
71. 別にこれといった遊びをするのではなく、チョロチョロ動き回る。
72. 自分でものを回したり、回っているものを見たりするのが好き。
73. 目つきがキョロキョロする。


【感想】
 以上の行動は、他人とのやりとり(コミュニケーション)が「断絶」したときに、典型的に(誰にでも)見られる症状であり、めずらしいことではない。人間に限らず、「隔離飼育」されているサルや、動物園のトラ、ライオン、クマが檻の中で、「あっちへ行ったり、こっちへ来たり」ウロウロ動きまわる行動は、どこでも目にすることができる。また、「うつ病」「ノイローゼ」等、精神疾患の患者、いわゆる「閉じこもり」の青年などにも見られる。こうした行動(症状)が、「好奇心」や「探索行動」の乏しさを示しているとすれば、その要因は「安心感」の欠如、その「安心感」の基盤となる母子の「信頼・愛着・依存」関係が成立していないか、きわめて「不十分」な状態にあるか、であろう考えられる。私事だが、今40歳台になった、私の娘が3歳の頃、上記のような症状を顕著に示した。それは、下町のアパートから山の手の団地に転居してまもなくのことであった。それまで、近所の同輩たちとの「路地遊び」にあけくれていたが、転居によりその「環境」から「隔離」された。母親も新しい人間関係に「すぐにはなじめず」、しばらくは「孤立状態」が続いたとき、娘の表情は乏しくなり、部屋の隅で寝そべったり、ゴロゴロ・ウロウロし始めた。同時に「喘息症状」も現れた。まもなく、幼稚園(3年保育)に入園、ゴロゴロ・ウロウロ行動、無表情は「消失」したが、「喘息症状」は思春期まで続いた。そんなわけで、C'2の各項目は、子ども自身の側ではなく、ほとんど「環境要因」に因るものであろう、と私は確信している。


【要約】
D’愛着関係がよく育っている時に、それが脅かされるおそれのあるような場面で、通常乳児が示すような行動が欠けている症状。


74. 知らない人に抱いて連れていかれても平気。よく迷子になり保護された。
75. 人ごみにでた時、親の手をしっかりとにぎることがない。
76. 迷子になって、母親がみつけて出会った時でも平気な顔をしている。喜ばない。
77. 母親が離れていっても平気で、見向きもしないし、あとを追うこともない。


【感想】
 以上の項目は、母子の「愛着関係」がよく育って「いない」場合に、現れる症状だが、ここでも再び、それらの症状について「母親がどのように感じているか」が重要なポイントになる、と私は思う。母親が「さびしい」「悲しい」「物足りない」と感じ、「何とかしなければ・・・」と思うかどうか。母親なら、そんなことは「当然至極」「言わずもがな」と断定できるかどうか。これらの症状の「裏返し」として、わが子が「知らない人に抱いて連れて行かれても」平気、人ごみにでた時「子どもの手をしっかりにぎる」のではなく「手首をつかんで拘束する」、迷子になって、出会った時でも、母親は怒るばかりで「喜ばない」、「母親が離れていっても平気で、見向きもしないし、あとを追うこともない」わが子を、母親は「独立心の強い(母親に依存しない)」たくましい子だと思って誇りに思っている、というようなことはないか。事実、「スポック博士の育児書」」(アメリカの小児科医ベンジャミン・スポックが、1946年に刊行した育児書である。42か国語に翻訳され世界中で5000万冊販売され、1946年以降では聖書の次に売れたとも言われる・ウィキペディア百科事典から抜粋引用)には、「抱きぐせ・添い寝は自立を妨げる」旨の記述があり、(日本の)多くの母親がその育児法に従った歴史がある。また、池田小児童殺傷事件を引き起こした犯人の母親について、父親は以下のように語っている。〈①〈あれの母親が妊娠したのに気付いたとき暗い顔で言うのよ。「子供できたんだけどどないする?」って。ワシはもちろん、「よっしゃ、よおでかした、生むで。女でも男でもどっちでもかまわん。子供は一人より兄弟いたほうがよろしで」と妻をほめてやった。しかしあいつはよ、信じられんこと言いよった。「あかんわ、これ、おろしたいねん私。あかんねん絶対」かたくなやったであいつは。〉②〈ともかくあれ(妻)は頑固者でな、最初の時の子もそうだがおっぱいをやるのをいやがったのじゃ。妻がまったく母乳をやらないのを見て、どうか初乳だけはやってくれ、それをしないと赤んぼが健康に育たない。初乳は縁起物だと思えやと、おばあちゃんたちがあんまりひつこく説得するので泣く泣く一度だけ皆の前で乳首を赤んぼの顔におしつけとった。それっきり家に戻ったらやらなくなったで〉③〈まあ、悪口になるのは心もとないが、あいつは家事全般できん女やった。洗いものぐらいたまにするが、炊事も片づけも苦手な女じゃったよ〉(『殺ったのはおまえだ』(「皆殺しを謀った男の父が語る『わが闘争』ー大阪「池田小」児童殺傷事件・今枝弘一・「新潮45」2001年12月号より抜粋引用)。それゆえ、私は《母親なら、そんなことは「当然至極」「言わずもがな」》と、母親の「母性」を信じることは「楽観的すぎる」と思うのだが・・・。(2014.4.30)