梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・4

【要約】
E.愛着関係の上に立った積極的な探索ないし人への働きかけや、人とのやりとりや人の反応を楽しむ活動。
30. 乳を飲む時、哺乳びんや乳房をさわったりする。
31. 哺乳時に、母親の着物を引っぱったりさわったりする。(0:4)
32. 抱いた時などに大人の顔をいじる。(0:4)
33. 抱きあげるととても喜んで顔をなめまわし、手でいたずらをする。
34. おもちゃを噛んだりしゃぶったりする。(0:7)
35. 人の指を口に持っていき噛んでみる。
36. 乳首を噛もうとする。
37. 人を噛んだりたたいたりしてその人の反応を楽しむ。
38. ひとりにされると大人のいるところへ這ってきて、顔をくっつけたり、腕をたたいたりして自分の方へ注意を向けようとする。
39. 母親が仕事の合間にくつろいでいると、顔をくっつけて何かしゃべってのぞき込む。(0:10)
40. 「いけません」と言うと、ちょっと手を引っこめて母親の顔を見たりする。(
0:11)


41. おとなの表情がわかる。(1:1)
42. まりを受け取ったり投げたりをくりかえすのが好き。(1:9)
43. おもちゃの電話のダイヤルをまわして「モシモシ」と言ったりするのが好き。(
1:10)
44. 母とままごとをするのが好き。(1:10)


【感想】 
 以上の項目は、(「愛着」に基づいて)「探索」「やりとりや人の反応を楽しむ」という活動であり、人間が「社会的動物」に成るための「基礎・基本」である。「自閉症」の本態は、まさにこのEの項目がクリアできないという一点に絞られる、と私は思う。つまり、これまでのAからDまでの項目が「不十分」「不完全」なために、Eの項目を達成することができないのではないか。まず、元気よく泣いたか、元気よく吸ったか(A)、次に自己の「不快感」「不安定感」「不満足感」を(怒りの感情で)泣いて訴えたか(B)、次に、それらが大人(親)の介護によって解決されたか、その結果、大人(親)に対する信頼・愛着関係が成立したか、周囲の事物の中で「人間」だけは特別な存在(自分の仲間)であることに気づいたか(C)、さらに、その信頼・愛着関係が(脅かされたり、妨げられたりして)危うくなりそうになった時、「恐怖」「不安」「不満」を感じるようになったか、それを泣いて訴えたか(D)ということ(「生育上の事実」)を明らかにする必要がある。Aの「泣く」ことは、社会生活(やりとり)の第1歩である。「吸う」ことは「愛着」「探索」(安心・好奇心)の第一歩である。その原始的・反射的な生物学的活動が、以後の成長・発達の「原点」である。もし、その活動に支障が生じていたとすれば、そこに立ち戻ればよい。「泣く」こと「吸うこと」を十分に経験させることが、まず治療の第1歩である、と私は思う。「自閉症治癒への道」の著者・ティンバーゲン博士は、その中でウェルチ博士の「抱きしめ法」を紹介している。母親は(自閉症の)子どもを抱きしめる。子どもは抵抗してもがく。しかし、母親は抱きしめて離さない。子どもはなおも暴れて泣き叫ぶ。母親はそれでも離さない。両者は「格闘状態」になる。母親は子どもが泣きやむまで、抱きしめる。やがて、子どもの表情はおだやかになり、母親の顔をなめたりいじったりし始める。この過程(30分~1時間)は、AからEまでの経過を「再現」することに他ならない。しかし、この方法は、昨今、(人権尊重の観点から)「子どもを虐待している」と見なされ、容認されていないようである。また、「子どもを泣かせない」ことが、(周囲に迷惑をかけない)上手な(スマートな)育児法だと錯覚している親も多いようである。先日も、電車の中で以下のような光景を目にした。そこは始発駅、若い(着飾った)母親が、豪華なベビーカーに「お人形さん」のように可愛い女児(1歳前後)をのせて乗車した。母子は優先席(三人用)を「占有」して坐った。女児は、立ち上がったり、窓の外を眺めたり、しきりに何かをしゃべりながら、楽しそうな様子だった。しかし、母親の表情はニコリともせず、スマホに集中している。まもなく、電車は走り出し、次の駅へ・・・。三つ目のターミナル駅に到達すると、車内は混み始めた。すると、母親は、いきなり無言で女児を抱き寄せ、膝の上に乗せた。女児は「抵抗して」叫声をあげる。母親は、無表情のまま女児を拘束する。女児は泣きながら暴れる・・・。優先席には二人分の「空き」ができたが、誰も座ろうとはしなかった。結局、七つ目の(乗り換え)駅でこの母子は降りていったが、その着飾った「外装」とは裏腹の、「氷のように冷たい」「終始、無表情な」母親に育てられ続けなければならない女児の行く末を思うと・・・、まさに前途多難、暗澹とした気持ちにならざるを得なかった。この母親の行為は、対外的には「正当」である。優先席を母子で占有することは「非常識」であり、一人でも多くの人が座れるように心がけなければならない。大切なことは、そのことを母親は女児に(様々な方法で)伝えようと「努力」することだ、と私は思う。女児はまだ1歳前後、そんなこと(常識)がわかるはずがない。それもまた常識であろう。問題は、母親の正当な行為が、終始、無言・無表情のまま進行したことである。「ホラ、お客さんがたくさん乗ってきた。ママが抱っこしてあげよう。お利口さんにしていてね。オー、いい子、いい子。隣にも誰かさんに座ってってもらおうね。もうすぐオンリするからね、静かにしましょうね」ぐらいのことが、どうして言えないのだろうか。最近の(若い)母親は「子どもをあやす」ことを知らない、と言われているが、その典型を見たような気がしたが、その母親も「あやされた」ことがなかったからか・・・。いずれにせよ、大人や周囲の都合が最優先される育児法が「流行」「蔓延」していることはたしかなようである。
 また、Eの項目の中で、「41.大人の表情がわかる(1:1)」は、とりわけ重要である、と私は思う。昔から「目は口ほどに物を言い」と言われるように、「表情」は「心のあらわれ」である。「表情がわかる」ということは、相手の「心中を理解する」ことに他ならない。いわゆる「心の理論」の出発点として最も注目されなければならない項目だと思われるが、どのようにすれば「大人の表情がわかる」ようになるか。「自閉症」の本態解明や治療法の開発を目指すに当たって、喫緊・不可欠の「課題」であるが、それがA~Dまでの活動・行動を強化・徹底することによって「可能」になるであろう、と私は確信している。(2014.4.12)