梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・3

【要約】
B.原始的な活動が人との関係で強化され、条件づけられてきて、おとなを動かす力をもち始めてきたもの。
3. 気にいらないときむずかっておこる。
4. オムツが汚れると泣いて教える。(0:1)
5. おこると手足をバタバタさせて大声で泣く。(0:1)
6. 泣いた時涙を流す。(0:3)
7. 人が歩くとそれを目で追う。(0:4)
8. 持っていたものをとりあげられるとおこる。(0:5)
9. 気にいらないことがあるとそっくり返る。(0:5)
10. ほしいものが得られないとおこる。(0:7)


【感想】
 以上の項目のほとんどは「不快」「不安」「不満」の表現(訴え)であり、子どもの感情は、(主として)「怒り」である。子どもの順調・健全な成長・発達は、(一見、それとは相反すると思われる)否定的(ネガティブな)感情によって支えられているのである。つまり、子どもはまず自分の「不安定」な状態を周囲に訴え、大人(親)を「動かそう」とする。大人(親)の力を「活用」して成長していく。そのことを、周囲の大人(親)がどのように受け止めるか、それが問題である、と私は思う。子どもによって親が振り回されるといった状況に、親はどのように対応するか。項目4は「オムツが汚れると泣いて教える」だが、今では「紙オムツ」を利用する親がほとんどであり、子ども自身の「不快感」は半減する。したがって、その機会が失われているケースがほとんどではないだろうか。現代の「育児法」は、「快適」「便利」が優先されるあまり、結果として、子どもの順調・健全な発達を妨げているように思われる。通常の親なら誰でも、子どもは「手がかからない」方がよい。泣いているよりは「おとなしい」方がよい、と考えるだろう。しかし、そこには大きな「落とし穴」があることを肝銘しなければならない。


【要約】
C.人に対する格別な興味と、人に対する信頼・依存・愛着的つながりができ始めたときに見られる行動。
11. 声をかけられると泣きやむ。(生後4週め)
12. あやすと泣きやむ。(0:1)
13. 安全に抱かれているとおとなしい。(0:1)
14. 人に注目されたくて泣く。(0:1)
15. 人がいないとさびしがる(0:2)
16. 抱きぐせがつく。
17. 父親と母親を見分けることができる。(0:4)
18. 添い寝の習慣がつく。
19. あやすとキャッキャッと笑う。(0:5)
20. よく抱いてくれる人を見るとからだをのり出す。(0:8)
21. 母親にくっつきたがる傾向がでてくる。(1:2)
22. 困難なことに出会うと助けを求める(1:6)
23. 母親にしてもらいたがることが多くなる。(2:2)


【感想】
 以上の項目は、Bの訴えが周囲の大人(親)に通じ、「不快」「不安」「不満」が解決・改善されたことによって、それまでの「怒り」「悲しみ」などの否定的な感情が、快適な「安心」「喜び」に変わったことを示す行動である。そのことによって、同時に、「人に対する信頼・依存・愛着」感が生まれる。周囲に存在する様々な事物の中で、「人間」だけは「特別」なものであることを感じ取り、「区別」するようになるのである。そのためには、Bの項目をクリアしてCの項目に至るという「経過」が不可欠である、と私は思う。「人間」が、自分にとって「特別」なのは、自分を「快適」な状態に導いてくれるからである。今、子どもは「紙オムツ」が自分を「快適」な状態にしてくれると思って、「人間」よりも「紙オムツ」(物)の方に「信頼・依存・愛着」を感じてしまうような傾向はないか。昔に比べて、子どもの周囲には、様々な魅力的な事物(玩具・映像・音声など)が溢れている。その中で「人間」(親・同胞)だけは「特別」だと、格別な興味を引き出すことができるかどうか、そのことが問われているのである。


【要約】
D.その人とのつながりが脅かされたとき、またはその恐れあるいはそれにまつわる不安があるときにみられる行動。
24. 部屋に誰もいなくなると泣く。
25. 母親の姿が見えなくなるとのぞきこんでさがす。
26. 抱かれた時、抱いている人の洋服をしっかり握っている。
27. こわいものを見たり、聞いたりした時母親にしがみつく。
28. 知らない人をじっと見つめて表情が変わる。(0:6)
29. 指しゃぶりをする。


【感想】
 以上の項目は、Bの項目と同様に「不快」「不安」「不満」に基づいた行動であるが、その感情は(単純な)「怒り」から「恐怖心」「淋しさ」に変わっている。つまりCの項目で得られた「人に対する信頼・依存・愛着」感が、妨げられた時、失われた時、に生じる否定的(ネガティブ)な感情であり、より「人間的」(社会的)なものに進化(分化)しているのである。それは、やがて、さらに「悲しみ」「失意」「嫉妬」などという複雑な感情を形成する、その源泉になっていると思われる。とりわけ、「項目29.指しゃぶりをする」は、単なる「感覚遊び」(困ったクセ)ではなく、「吸う」(しゃぶる)といった原始的な欲求(吸啜反射)を満たす行動であり、母親の乳首の代わりに自分の指をしゃぶりつつ(潜在的に)「母を思う」という《人恋しさ》の現れだと、私には思われる。
  また以下は、Cの項目「16. 抱きぐせがつく」「18. 添い寝の習慣がつく」に関して、昔、私が綴った拙文である。


《参考》「抱きぐせ」と「添い寝」
 おなかがすいているわけではない、おむつが汚れているわけでもない、それなのに赤ちゃんが泣いています。そばへ行ってお母さんが「抱っこ」するとケロリと泣き止んでしまう、やれやれと思ってベッドにおろそうとすると、また泣き出す。このようになってしまうことを、「抱きぐせ」がつくといいます。そして一度「抱きぐせ」がついてしまうと、おそうじや、おせんたくなどの家の仕事が山ほどあるのに、全くはかどらなくなってしまうでしょう。そんなわけで、世のお母さんたちは、この「抱きぐせ」をあまり歓迎しないようです。また、赤ちゃんに早くから「独立心」をやしなうためにも、甘やかさにことが大切であり、「抱きぐせ」はつけない方がよい、という考え方もあります。
 さて、あなたならどう考えますか。赤ちゃんを育てるうえで最も大切なことは、つねに、赤ちゃんの状態を的確につかみ、その状態を少しでも生き生きした状態へと高めてあげるような「手助け」ではないでしょうか。そのためには、いつも赤ちゃんの立場で、赤ちゃんの気持ちになってものごとを考える必要があります。
 今、赤ちゃんが泣いているとすれば、それは赤ちゃんにとって明らかに「不快な状態」が生じているからです。それが単なる空腹などの生理的な不快感であるか否かにかかわらず、お母さんはそれを取り除いてあげることが必要でしょう。赤ちゃんは「たいくつ」しているのかもしれません。「さびしい」のかもしれません。お母さんに「抱っこ」されて、いろいろなものをながめてみたいのかもしれません。いずれにせよ、赤ちゃんは今、「お母さんを必要としている」のです。そうした赤ちゃんの「必要感」が満たされなくても、別に命にかかわることはないでしょう。しかし、赤ちゃんの「こころの発達」という観点から考えると、これは大きなマイナスなのです。呼んでも呼んでもお母さんがそばに来てくれないとすれば、赤ちゃんはどんな気持ちになるでしょう。お母さんが今どんなに忙しいか、また自分に「独立心」をやしなってくれようとして「知らんふり」をしているなどと考えるすべもありません。何度か泣き続けたあと、もうくたびれてしまい、泣いてみても何の変化もなかったことを悟ります。そしてだんだんと「泣くこと」をやめてしまうかもしれません。ということは、お母さんにとってはとても育てやすい赤ちゃんに変わっていくことでしょうが、逆に赤ちゃんにしてみれば「もうお母さんが必要でなくなってしまう」ことであり、お母さんに対する「不信感」が芽生えることを意味するのです。
 【このころの赤ちゃんにとって大切なことは、安定した生活のリズムを体得し、日一日とたくましい体力を身につけていくことであることはいうまでもありませんが、それにもまして「人間」について知り、「人とのかかわり合い」を学んでいくことなのです。だとすれば、もし赤ちゃんの聴覚に障害がある場合、極めて不利な状況に立たされることは明らかです。周囲からの情報の中で、耳から取り入れるものは極度に制限され、そのぶんだけ周囲の「なりゆき」から遠ざけられてしまうからです。とりわけ「人の立ち居振る舞いの物音」「声」などを十分に聞き取ることができないとすれば、それだけ「人間」に関する学習は遅れてしまうでしょう。
 そんなわけで、聴覚に障害がある赤ちゃんにとっては、まずお母さんとの密着した「かかわり」が何よりも必要であり、お母さんは赤ちゃんと周囲の音の世界の状況との間に、パイプを通し、両者の情報交換がよりスムーズに行えるような「手助け」をする必要があるのです。つまり、赤ちゃんにとって「自分の欲求に必要だと感じられるお母さん」であることが、聴覚の訓練ともつながる大切なことだといえましょう。】
 「抱きぐせ」がついたからといって、「甘えぐせ」がついたことにはなりません。「お母さん、ちょっと来てよ。抱っこして、ボク(ワタシ)にいろいろな音のある世界の面白さを味わわせたり、見せたりしてちょうだい。何かおもしろいことをして、ボク(ワタシ)を楽しませてよ!」、赤ちゃんはそう叫んでいるのです。この赤ちゃんの要求に絵無理に無条件に」応えてあげることによって、赤ちゃんとお母さんの「こころの絆」はしっかりと結ばれ、これからの家庭生活(社会生活)の土台が着実につちかわれていくことになるのです。
 赤ちゃんが眠りに入る時の状態も、事情は全く同じです。ひとりで機嫌よく眠ってしまう赤ちゃんよりも、お母さんに「抱っこ」されなければ眠らない、お母さんと体が触れあっていなければ眠らない、という赤ちゃんの方が、むしろ「お母さんを必要としている」のではないでしょうか。その状態が何十年も続くわけではありません、心配は御無用なのです。(2014.4.11)