梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

戦後文学の思想と方法・織田作之助論・《11》

 さてそれでは、織田がめざした方法上の転換とはそのようなものであったのだろうか。

 織田は「郷愁」において、自己の小説方法論をあからさまに述べている。そこにおいては「世相」と「人間」とが対立的にとらえられ、彼の結論は、人間の郷愁への回帰という形をとる。
 〈再び階段を登って行ったとき、新吉は人間への郷愁にしびれるやうになってゐた。そして「世相」などといふ言葉は、人間が人間を忘れるために作られた便利な言葉に過ぎないと思った。なぜ人間を書かうともせずに「世相」を書かうとしたのか。新吉ははげしい悔いを感じながら、しかしふと道が開けた明るい想ひをゆさぶりながら、やがて帰りの電車に揺られてゐた。〉(「郷愁」・前出・245頁)
 私はこのような結論に、織田の可能性をみるものではない。なぜなら、それは坂口安吾の「文学のふるさと」を一歩も出るものではなく、人間を描くためには、正に対立物として存在する「世相」と「人間」の関係それ自体が描かれなければならないと思うからだ。ここで私が最も興味を抱くのは、彼の方法論を支えるものとしての、状況認識の問題である。
 〈世相は歪んだ表情を呈しているが、新吉にとっては、世相は三角でも四角でもなかった。やはり坂道を泥まみれになって転がって行く円い玉であった。この円い玉をどこまでも追って行っても、世相を捉へることは出来ない。目まぐるしい変転する世相の逃足の早さを言ふのではない。現実を三角や四角と思って、その多角形の頂点に鉤をひっかけてゐた新吉には、もはや円形の世相はひっかける鉤を見失ってしまったのだ。多角形の辺を無数に増せば、円に近づくだらう。さう思って、新吉は世相の表面に泛んだ現象を、出来るだけ多く作品の中に投げ込んでみたのだが、多角形の辺を増せば円になるといふのは幾何学の夢に過ぎないのではなからうか。〉(前出・232頁)
 織田はこのような認識にもとづいて、「世相は遂に書きつくすことはできない。世相のリアリティは自分の文学のリアリティをあざ嗤っている」という逆説に達する。だがこの逆説こそ、正に現実と文学との「表現」を媒介とした関係を見事に看破しているのではあるまいか。
 ともかくも、織田にとっては「いわば、人生とは流転であり」(「世相」)、彼はその舞台である生活もしくは社会の運動を「世相」という平面で切りとることによって、またその平面を、ストーリー・テリングという方法、つまり「落ち」をつけることによって三角や四角にした。だが、戦後という状況はそれまでのスタティックな世界からダイナミックな世界への変貌としてあった。すなわち、ひとつの絶対不変のピラミッドは、円い玉となってころがりだしたのである。ピラミッドの底辺において、それ自身目的的に推移する時間の流転をみつづけてきた織田は戦後という円球を、世相という円として表現しようとする。いささか比喩的にいえば、円球と円とは明らかにその存在次元が違うのであり。多角形の辺を無数に増せば円になることはできても決して球にはなり得ないことを思えば、必ずしも円球の典型的表現が円であるとはいえないかもしれない。それゆえ織田は「世相は遂に書きつくすことはできない。世相のリアリティは自分の文学のリアリティをあざ笑っている」という逆説的真理によって、人間の郷愁へ回帰することはなかったのではあるまいか。事実、「競馬」(『改造』昭和21年4月号)において彼は戦後の状況を典型的に表現することに成功している。すなわち、そこにおける競馬場もしくはそのレース展開は、織田によって与えられた「戦後のメタファー」に他ならず、それは戦前・戦時下との関係において、すなわちピラミッドの底辺としての流転の人生に賭ける寺田の視点に貫かれ得るものとして表現されているのだ。私はそこにおいて、戦後日本の現実は正に典型的に表現されていると思う。
 最後につけ加えるとすれば、織田作之助は《醇風美俗》の生活意識に最も近く身をおきながら、たえずそれを否定的媒介として新しい方法を追求する一方、《醇風美俗》の生活意識に少なからず愛着を持っていた。そうしたあり方が、彼の戯作者の姿勢を規定していることはたしかである。
 〈すくなくとも私は小説を書くために、自分をメチャクチャにしてしまった。これは私の本意ではなかった。しかし、かへりみれば、私といふ人間の感受性は、小説を書くためにのみ存在してゐるのだと今はむしろ宿命的なものさへ考へてゐる。〉(「私の文学」・織田作之助・前出・Ⅴ・52頁)
 けだし、戯作者にとって文学とは自己の生活のパロディであり、また同時に生活とは自己の文学のパロディ以外の何物でもなかった。私はそのような宿命を背負った者としての、痛切な自己批判として、もしくは私小説リアリズムに対する痛烈なアイロニーとして織田の次のようなパラドクシカルな言葉があるような気がしてならない。

 〈しかし、文学といふものは、要するに自己弁護であり、自己主張であらう。〉(前出・51頁)

(1967年3月)

織田作之助論・《11》 : 戦後文学の思想と方法