梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・5

【要約】
F.母子関係が他の人にも広がり社会化されてきていることを示す行動
45. 小さい子どもの声を聞くと反応が多くなる。
46. ものなどを相手に渡す。(0:11)
47. 幼い子ども見ると近づいていって着物などにさわってみたりする。(1:3)
48. おもちゃを人に見せてあげようとする。(1:5)
49. 「ごはんよ」と言うと食卓についてまっていられるようになる。(1:7)
50. 見せたいものがあると人を引っぱっていく。(1:9)
51. 自分のものを使いあきると他の人のものに興味をもつ。(1:10)
52. 他の人におもちゃや洋服を見せびらかして得意になる。(1:11)
53. 泣いている子を見るとなぐさめようとする。(2:7)
54. 年下の子どもの世話をやきたがる。(だっこ、食べささせようとするなど)(2:7)


【感想】
以上の項目は、いわゆる「社会性」の第1歩であり、子どもの「心」が周囲の人の「心」と「つながり始めた」ということであろうか。「自閉症治癒への道」の著者・ティンバーゲン博士のいう「人への接近」のあらわれである。その土台が、「母子関係の確立」にあることを示唆している点が、興味深い。子どもの「心」が安定し、他人への「興味・関心」「好奇心」で満ちあふれていなければ、これらの項目をクリアすることはできないであろう。やがて、その「心」は、「人への憧れ」(精神的な接近)や「学びの意欲」(模倣)へと拡大・進化していく。


【要約】
G.人への憧れや人の行動の模倣ないしそれを通して覚えた行動
55. おとなのすることをしたがる。(0:11)
56. おもちゃの電車などを手で走らせる。(0:11)
57. ひらき戸をあけられる。(0:11)
58. まりを投げると投げ返す。(1:2)
59. 熱いことを経験すると、そのそばにくると「アチチ」と言ってさわらない。(1:2)
60. 鉛筆をもたせるとめちゃくちゃ描きをする。(1:2)
61. 障子やふすまをひとりであけたり閉めたりする。(1:4)
62. 掛け声ことば「オーイ」「ポーン」「ヨイショ」などを言う。
63. キャラメルなどの紙をむいて食べられる。(1:4)
64. 父母のしぐさのまねをする。(新聞をひろげたり、食事、すわり方のまね)(1:5)
65. しきいをまたぐことができる(1:5)
66. 自分の口元をひとりでふく。(1:8)
67. ものを片づけるのを手伝う。(1:8)
68. 靴がぬげる。(1:8)
69. 洋服のスナップは自分ではずせる。(1:9)
70. 簡単な靴ならひとりではける(1:10)
71. 大きなボールをまねしてけることができる。(1:10)
72. 高いところから飛び降りることが好き。(1:10)
73. 家族の茶わん、はしなどを知って並べたりする。(1:10)
74. みかんの皮がむける。(1:10)
75. 鉛筆などで曲線を描く。ぐるぐるまるを描く。(1:10)
76. 簡単に着られる洋服をひとりで着たり、帽子をかぶったりできる。(2:0)
77. パンツや長靴下もぬげる。(2:0)
78. 食事のしたくなど手伝うのが好き。(2:2)
79. 入浴の時体を洗ってもらうのを手伝う。(2:3)
80. 手ぬぐいを使って洗ったりふいたりするのをおもしろがる。(2:3)
81. 衣服の着脱をひとりでしたがる。(2:11)
82. 歯をみがく。


【感想】
 以上の項目は、「遊び」「生活」における、《基礎・基本》である。周囲の大人(親・同胞)の行動を「見て」「憧れ」、自分も同じようになりたいと思って「模倣」する。そのこともまた(社会的な)「学習」の《基礎・基本》だが、大切なことは、それらの行動が、つねに「喜び」へと直結する(しなければならない)という点である、と私は思う。その結果、「好き」という感情が生まれ、「もっとやりたい」という意欲が高まる。「好きこそものの上手なれ」と言われている所以であろう。
 また、昔から「三つ子(満2歳)の魂百まで」とも言われている。Gの項目は、まさにその「魂」(心)によって、はじめてクリアできる「人間生活(百まで)」の基礎である。その「魂」は、「人への関心」「人への憧れ」「できたことの喜び」「好きという感情」で満たされていなければならない。Gの項目がスムーズにクリアできない場合、外面的な「行動形成」ばかりにとらわれていると、「落とし穴」が待っている。その子どもの「能力」に応じて「ひとりで」できることは増えていく。しかし、「ひとりで」できるようになっても、その行動が「人への関心」「人への憧れ」「好きという感情」で裏打ちされていなければ、《孤立化への道》を辿るほかはない。例えば、「排泄の自立」をどのように図るか・・・。


【要約】
H.ことばや身ぶりなどの象徴を使ってのコミュニケーション行動。
83. パンツのぬれたことを教える。(1:3)
84. おしっこをしたあとで「チーチー」と言って知らせ始める。
85. 自分の名前を呼ばれると「ハイ」と返事ができる。
86. おいしいものを食べると「オイシイ」と言う。(1:10)
87. おとなの言ったことばの終わりの2~3語をオーム返しに言う。(1:10)
88. ほしいものがあると「チョウダイ」と言ってもらいにくる。(1:10)
89. おしっこをする前に「チーチ」と言って教え始める。
90. 道を歩くとき「おんぶして」とか「だっこして」とか言う。


【感想】 
つまり、「排泄の自立」は、まずBの項目「4.オムツが汚れると泣いて教える。(0:1)」から始まり、次に、Hの項目「83.パンツのぬれたことを教える。(1:3)」、「84.おしっこをしたあとで『チーチー』と言って知らせ始める。」という段階を経て、「89.おしっこをする前に『チーチ』と教え始める」ようになる。排泄を「ひとりで」できるようになるためには、それ以前に(周囲に向かって)「泣いて教える」「知らせ始める」(助けを求める)ことが、(社会的には)不可欠なのである。しかし、昨今では「紙オムツ」の普及により、「不快感」を訴える機会が半減してはいないか。そのことによって、「助けを求める」「母親が(無条件に)応じる」といった濃密な母子関係も薄れがちになっているように、私には思われるのだが・・・。かくて、3歳頃、子どもたちは(その能力に応じて)「排泄」が「ひとりで」できるようになる。しかし、その心中に「できた喜び」「これまで世話をしてくれた親に対する感謝の気持ち」が芽生えているかどうか、それが問題である。いずれにせよ、子どもは親に助けを求め、親はそれに無条件に応じる、その「関係」こそが、「H.ことばや身ぶりなどの象徴を使ってのコミュニケーション行動」を生み出す源泉であることに間違いはない、と私は思った。(2014.4.16)