梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「言語発達の臨床第1集」(田口恒夫編・言語臨床研究会著・光生館・昭和49年)通読・9

【要約】
C’1. 母親との間に、信頼・愛着・依存関係が成立・充実してくれば、当然みられるはずの行動に欠けていることを示すもの。
30. 哺乳びんが倒れないように枕で支えて飲ませた。おとなしく飲んでいた。
31. あやされても喜ばない。
32. あやしても知らん顔をしているように見えた。
33. がらがらをふるとそっちの方は見るが、持っている人の顔は見ない。
34. 人には関心がないかのようであった。
35. 母親の乳房を見ても喜ばない。
36. 体にさわられることを嫌う。
37. 抱きぐせはつかなかった。
38. 添い寝の習慣はつかなかった。
39. ぐずって母に甘えることがない。
40. 指しゃぶりをしなかった。
41. 指しゃぶりがひんぱんにならなかった。
42. 指しゃぶりは乳児期以降にやりだした。今も続いている。
43. 母親もよその人もとくに区別しなかった。
44. 人見知りをしなかった。
45. 誰がきてもにこにこする。
46. よその人のでもつかまって、親から離れていってしまう。
47. 母親の気をひくようなことをしない。
48. 母親がいなくても泣かない。さがさない。
49. 呼んでもふりむかない。
50. 名前を呼んでもふりむかない。
51. 注意を傾けてひとの言うことを聞くという様子が見られない。
52. 耳が聞こえていないのではないか。(難聴の疑い)
53. 他人にやることを見習う意志がないように見える。
54. いくつかの言えていたことばを言わなくなった。
55. 1歳前後にしゃべっていたことばを、その後にすべて言わなくなった。
56. 頭や髪にさわられることをきらう。
57. 洗髪、散髪することが困難。
58. むてっぽうでみさかいがない。
59. 目を離すとすぐにとんでいってしまう。
60. 手を離せばひとりでどこにでも行ってしまう。
61. いくら教えても言うことを聞かずシツケができない。
62. 何回しかっても、禁止しても、困ったクセが止まらない。


【感想】
 以上の項目は、「母親との間に、信頼・愛着・依存関係が成立・充実」してこなかったことを示す行動(症状)であるが、まず、そのことについて、母親自身が「どのように感じているか。どう思っているか」を明らかにすることが大切である、と私は思う。誰もが「おかしい」「へんだ」と感じるに違いないが、では、「どうしてそうなったか」「そうなる原因は何か」という点になると、母親の反応は一致しない。おそらく「おかしい、耳が聞こえないのではないか」というように、その原因を子どもの側に求めるか、反対に「おかしい、私の側(育て方)がどこか間違っているのではないか」と自分を責めるようになるか、という2つのグループに大別されるのではないか。現代の専門家は十人中九人までが、その原因を子どもの側に求めているので、母親もまたその大半が前者のグループに属するだろう。その結果、「私の側(育て方)が間違っているのではないか」と自分を責める「弊害」(二次障害)は減ったかもしれない。しかし、そのことで、「子どもと母親との間に、信頼・愛着・依存関係が成立・充実」してくるだろうか。また、「ぐずって母に甘えることがない」「母親がいなくても泣かない、さがさない」「名前を呼んでもふり向かない」というわが子の行動(症状)を見て、母親は「おかしい」「へんだ」と感じるだけでなく、「さびしい」「物足りない」「甘えてほしい」「さがしてほしい」などと感じるかもしれない。あるいは《感じない》かもしれない。感じても、その気持ちを子どもに《伝えられない》かもしれない。さらには、「可愛くない」と思うかもしれない。他の子どもと比べて「恥ずかしい」と思うかもしれない。極端な場合には「生まなければよかった」と思うかもしれない。そうした母親の様々な感情が、子どもに多大な影響を及ぼしていることは明らかである。大切なことは、そうした子どもの行動(症状)の原因を、「子どもの側にある」と決めつけて、母親の「不安」を取り除こうとすることではなく、「信頼関係・愛着関係・依存関係が成立・充実」してこなかった「経緯」を、母子の「相互反応」の実態を通して、具体的に明らかにすることではないだろうか。「お子さんがそのような行動(症状)を示すのは、あなたの育て方が悪いからではありません。お子さんには生まれつきの先天的な異常があるのです。しかし、その原因はまだ《推測》の段階であり、明白に究明されてはいません」と言われただけで、母親の「心配」「不安」が取り除けるとは思えない。また、母子の「信頼・愛着・依存」は、あくまで「相互の関係」であり、子どもが母親を「信頼・愛着・依存」するように、母親もまた子どもを「信頼・愛着・依存」することによって成立・充実するのである。C'1の各項目は、母親が子どもを「信頼・愛着・依存」してこなかった結果かもしれないではないか。その原因を「子どもの側」に求めるのなら、同等に「母親の側」にも求めることが専門家の「客観的」な姿勢ではないだろうか。(2014.4.29)