梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「桃中軒雲右衛門」(監督・成瀬巳喜男・1936年)


 原作は真山青果、明治から大正にかけ、浪曲界の大看板で「浪聖」と謳われた桃中軒雲右衛門の「身辺情話」である。成瀬作品にしては珍しく「男性中心」の映画で、女優は雲右衛門の曲師であり妻女のお妻を演じた細川ちか子、愛妾・千鳥を演じた千葉早智子しか存在感がない。(他は、ほとんど芸者衆である。)
 筋書きは単純、九州から東京に凱旋する桃中軒雲右衛門(月形龍之介)が、先代からの曲師・松月(藤原釜足)と、途中の静岡で雲隠れ、番頭(御橋公)や弟子(小杉義男)たちが大騒ぎする中、国府津に置いてきた息子、(伊藤薫)の後見人・倉田(三島雅夫)の説得で、ようやく東京入り。本郷座での公演は大成功を収めるが、たまたま出会った芸者・千鳥の初々しさに惹かれ、病を抱えたお妻との関係が疎遠になっていく。新聞では雲右衛門の醜聞が大きく取り上げられるが、どこ吹く風、これも「芸の肥やし」と全く意に介さない。やがて、お妻は病状が悪化、泉太郎や千鳥までもが見舞うように勧めるが「お妻はただの女ではない。芸を競い合う相手だから、俺を慕うような(俺に助けを求めるような)姿は見たくない」と言い、頑なに拒絶する。その気持ちがお妻にも通じたか、弟子に看取られながら、安らかに息を引き取った。その亡骸の前で、雲右衛門は威儀を正し、極め付きを披露する。あたかも、曲師お妻の「合いの手」を頼りにするかのように・・・。
 この映画の見どころは、若き日、月形龍之介の雄姿であろうか。雲右衛門は「俺はしがない流し芸人の倅、名誉や地位などどうでもよい。傷だらけになって、ただ芸一筋に生きるのだ」と主張する。その容貌とは裏腹に、脱世間・常識破りで不健全な、カッコ悪い生き様を求めているのだ。そのことを周囲は理解できない。理解できたのは妻女のお妻ただ一人。共に立つ舞台でお妻の調子が外れた。そのことを指摘するだけで(昔のように)怒ったり殴ったりしない雲右衛門を、お妻は激しく罵倒する。その名場面こそが、見どころの極め付きであったと、私は思う。「お妻、今日は二度まで調子を外したが、オレの芸にいけねえ所があったのか」「弾いていて泣けません」「ちょっと三味線持っといで」と、穏やかに言うが、お妻はハッキリと断る「あたしはイヤだ。他の人にやらせたらいいでしょう」。雲右衛門はキッとして「お妻!」と言ったが、「何です」と軽くあしらわれて次の言葉が出なかった。「・・・・」「お前さん、この頃の私の三味線をどう聞いてます。自分ながら、あたしの三味線はもう峠を越したと思ってます。身体の病には勝てやしない」。雲右衛門は「オレはそれほどとは思っていなかったが・・・」と取りなすが、健気にもお妻は攻勢に出た。「その女房に小言一つ言えずに結構がって詠っているお前さんは、それでも天下の雲右衛門か、桃中軒の総元締めか。昔のことを思うと涙がこぼれらあ」。雲右衛門も「夫婦の中でも芸は仇だ、勝手なことを言うなよ」と反撃に出たが「お前さんは昔、あたしの三味線の出来が悪い日には撲ったり蹴ったりした人だよ。もとより女として可愛がられたこともない。自分の芸のためにあたしの三味線を食ったんだ。自分の芸のためなら人も師匠も忘れられる強い心を持っていたんだよ。(九州時代からの)夫婦でも芸は仇、お互いに負けまいという真剣さはどうなったんだい」「それはオレも思うよ」と認めて弱音を吐く。「人気が下がって芸が落ちるのなら、お前さんもそれだけの人だよ」「そうじゃあねえ。衰え始めたオレの芸に、かえって反対の人気が立ってくるんだ。オレはそれを思うといつも背中が寒くなる」「お前さん、いくつなんだい、それを言って済む歳かい」、お妻は、「あたしの身体はもう長くない、今のお前さんの意気地ない姿を見て、逝くところへ逝けるかい」と一睨み、最後に「お前さんは女でも女房でも自分の芸のためなら、みんな食ってきた人なんだよ、それが何だい、いまごろ女房の三味線に蹴躓いて汗なんか流して。これだけ言やあたくさんだろ・・・」と言って、背中を向けすすり泣く。雲右衛門は「お妻!」と言って立ち上がったが、後は無言のまま頭を垂れる他はなかった。
 二人の対話は、これを最後に交わされることはなかったのである。
  この場面こそが、この映画の真髄であり、男の弱さと女の強さ・逞しさが見事に浮き彫りされる、成瀬監督ならではの演出ではないだろうか。それまで、夫唱婦随の景色で、しおらしく見られていた曲師・お妻が、一転、立て板に水のような啖呵がほとばしる。細川ちか子の「鉄火肌」の片鱗も垣間見られて、この場面だけで、私は大いに満足できたのである。蛇足だが、千鳥役、千葉早智子の演技も冴えていた。芸妓から雲右衛門の新造に収納まり、初々しかった娘の景色に貫禄が加わる。世間の風評を意に介さず、弟子や番頭とも五分で渡り合い、お妻を見舞う素振りも見せながら、足りない責任はは雲右衛門におっかぶせるという姿勢は、成瀬監督が自家薬籠中の「女模様」に他ならない。女性映画の名手・成瀬巳喜男のモットーは、ここでも貫かれているのである。比べて、男性陣が繰り広げる様々な対立や葛藤は、所詮「小競り合い」に過ぎず、悲劇を装えば装うほど、喜劇的にならざるを得なかった。名優・藤原釜足が、電話口でお妻の訃報(臨終の様子)を聞き、「オレはこの年になって、それを聞こうとは思わなかった、早く電話を切ってくれ」と、涙ぐむ姿が、何よりもそのことを雄弁に物語っている。
 国威高揚の空気が強い当時において、その片棒を担がされる雲右衛門に、思い切り無様で無力な姿をダブらせようと試みる成瀬監督の「腕は鈍っていない」のである。拍手。
(2017.6.18)

映画「恋も忘れて」(監督・清水宏・1937年)

 ユーチューブで映画「恋も忘れて」(監督・清水宏・1937年)を観た。横浜のホテル(実際はチャブ屋)で働く一人の女・お雪(桑野通子)とその息子・春雄(爆弾小僧)が、様々な「仕打ち」を受ける物語(悲劇)である。
 筋書きは単純、お雪はシングルマザー、一人息子の春雄(小学校1年生)を立派に育て上げようと、水商売に甘んじている。しかし、その生業が災いして春雄は孤立、かけがえのない命を落としてしまう。それだけの話だが、見どころは満載、寸分の隙もない演出が見事である。
 その一は、女優・桑野通子の「魅力」(存在感)である。冒頭、港町の路地を、お雪が日傘を回しながら歩いていると、向こうから春雄の上級生・小太郎(突貫小僧)が駆けてきた。呼び止めて「坊や、坊や、ウチの春坊は?」と問いかけると「春坊?オレは春坊の守っ子じゃあねえやい」と過ぎ去った。その後姿を見送りながら「・・憎っくいガキだね」と呟く。その一言で、お雪の素性が露わになる。すれっからしの商売女、金に不自由はしないが、世間からは受け入れられていない。お雪は世間と闘っているのである。その足で職場に赴くと、女給連中を集めて、上司のマダム(岡村文子)に談判(団体交渉)をする気配である。「借金に縛られた上、衣装は自前、食事も自前、これじゃやっていけないわ。衣装代の半分くらいは払ってもらおうよ。もしダメなら、お客さんの飲んだビール代から何割か回してもらおうよ」。一同は大賛成、早速マダムと掛けあうが、マダムの回答はゼロ、「そんな言い分があるんなら、観光船のいい客ばかりでなく、油に汚れた石炭臭い連中にもっとサービスして、客を増やさないか。イヤなら辞めてもらっていいんだよ」。一同はがっかり、お雪は「あたし、今日は休むよ」と、プイと帰宅してしまったが、春雄の姿を見ると「やっぱり稼がなくては」と思い直し、ホテルに戻る姿がいじらしい。また、春雄をいじめから守ろうと転校させる。連れだって登校する途中で、春雄が「もういいよ、自分一人で行けるから」「どうして?」「もう、大丈夫だよ」、自分の派手な洋服姿がまずかったのかと帰宅して、しみじみと鏡を見つめる姿も「絵になっていた」。外に向かっては突っ張り、子どもに対しては優しい母性愛、そのコントラストを桑野通子は鮮やかに描き出すのである。加えて、用心棒・恭助(佐野周二)との「色模様」も格別、あくまでも、あっさりと淡泊に、まさに「恋も忘れて」男を惹きつけるのである。
 その二は、春雄を演じた爆弾小僧と、彼を目の敵にして虐める小太郎役・突貫小僧の「対決」である。船着き場の倉庫が彼らの遊び場だ。春雄がロープを吊したブランコに乗っていると、小太郎がやって来て「誰に断って乗ってるんだ、お前この頃生意気だぞ」「誰にも断らないよ」「オレに断ってもらいたいね」「お前に断ればダメだっていうだろ、だから断らないよ」「ああ、そうか」という《やりとり》で二人の対立が始まった。体力的には明らかに小太郎の方が優っている。しかし、春雄は負けていない。小太郎はブランコを独占、下級生に押させていたが、春雄が「オーイ、みんなウチに来ないか、お菓子ごちそうしてやらあ」と呼びかけると、「何、菓子がある?行ってやらあ」と真っ先に反応したのは小太郎、二階のアパートに続く階段で、下級生が昇ろうとすると「オレが先頭だ」と押しのける、先頭の春雄が「オレは?」言うと「お前はいいよ」と先頭を譲る。どこか抜けていてユーモラスな小太郎の風情は格別であった。部屋に入ると洋風のきらびやかな景色に「お前のウチ、金持ちだなあ」と小太郎は驚く。春雄は得意になって「この、母ちゃんの香水かけてやらあ、高いんだぞ」と、みんなの洋服に香水を振りまいたのだが・・・。翌日、みんなは「家に帰って怒られちゃった。あんなお母さんの子どもとは遊んではいけない」と口々に言う。かくて、春雄は孤立、転校の身となった。そこでも新しい友だちができかかるが、小太郎が邪魔をする。春雄は学校をサボって海に行く。そこで中国人の子どもたちと仲良くなり、倉庫の遊び場に誘ったが、またまた小太郎が登場、追い払われてしまった。この小太郎と春雄の「対決」が悲劇を招くことになるのだが・・・。
 その三は、ホテルの用心棒・恭助(佐野周二)のダンディ気質である。彼は、マダムに指示されて、お雪の動向を監視する。最近、女給のB子が神戸にドロンしようとして発覚したばかり。つきまとう恭助に向かって、お雪は「毎日、御苦労ね。部屋に入って休んでいかない?向こうの《灘の生一本》があるわよ」。恭助はお雪の部屋に入る。ベッドで寝ている春雄に目をやると、「可愛いでしょ、あたしの子どもよ。この子を立派な大人に育てることが生きがいなの」「可愛いなあ、可愛いってことが何よりの親孝行だよ」。お雪から舶来のウィスキーを注がれて一気に飲み干すと「それじゃあ、失敬する」「もう一杯どう?」黙って、二坏目を飲み干すと「サヨナラ」と言って出て行った。思わず、「カッコいい」と唸ってしまう名場面であった。
 観光船が入ってきた。ホテルは外人客で大賑わい、お雪も外人客と踊っていたが、この客がしつこくて離さない。「離して!」と悲鳴を上げると、恭助が飛んで来てその外人客を殴り倒す。その場はおさまったが、マダムは怒り心頭「大事なお客に何てことするんだい、もうお前は用無しだよ」。夜の道をお雪と歩きながら「悪かったな」「あたしは嬉しかったわ。あたし一人のために助けてくれたの」「あんたの坊やのためだよ」「ますます、嬉しいわ」・・・「じゃあここで失敬するよ」「ウチに寄ってかない」「向こうの《灘の生一本》はあるかい」「まだ残っているわよ」。そして部屋の中、眠っている春雄を見つめながら「あんたも、この子のために早く足を洗うんだな」「まだ、借金があるの。それともドロンしろって言うの?私を連れて逃げてくれるの?」。まじまじと見つめ合う二人・・・、「まあ、よく考えておくよ」と行って恭助は立ち去った。波止場に「人夫募集」という貼り紙があった。恭助はカムチャッカ行きの船に乗り込むことを決意したのである。
 そのことを知らせに、恭助がアパートに行くが誰もいない。「書き置き」をして帰ろうとすると、ずぶ濡れの春雄がドアを開けるなり、倒れ込んで来た。驚いてベッドに運び込む。春雄は今日一日、雨の中をさまよい、例の倉庫に居たところを、小太郎に見つかり叩き出されて来たのだ。「坊や、しっかりしなきゃダメだよ」と励ますうちにお雪も戻って来た。医者を呼んで診察してもらう。「雨に濡れたんでしょう。これ以上発熱すると肺炎になるおそれがあります。安静にしてください」。恭助はホッとして、「春坊、ケンカに負けたんだろう」「お母ちゃんの悪口を言うんだもの」「お母ちゃんの悪口を言う奴なんてやっつけてやるんだ。男は強くならなくちゃ」「負けるもんか」という言葉を聞き、恭助は最後に「強くならなくちゃダメだぞ」と念を押して帰って言った。
 お雪が、ふと茶だんすに目をやると「書き置き」が貼られていた。「逃がしてることも、連れて逃げることもできない。俺は大手を振ってお前を迎えに来る」と書かれてあった。
 その四は大詰め、お雪は春雄を入院させるために、マダムに借金を依頼、家に戻ると春雄が居ない。あちことと探し歩き、やっと倉庫を探り当てた。春雄は恭助に「負けるもんか」と言い、「強くならなくちゃダメだぞ」と言われた「約束」を果たすために、小太郎に一騎打ちの闘いを挑んだのである。二人は「組んずほぐれつ」争ったが、最後は、春雄の「噛みつき」が功を奏して、小太郎は泣き出し逃げ去った。しかし、春雄の体力の消耗は激しく、容体は急変して息を引き取る。お雪は激しく泣き崩れた。亡骸に向かって「坊や、お母ちゃんのために闘ってくれて、本当にありがとうよ。だけど、どうしてもう少し我慢してくれなかったの。もう少し我慢してくれれば、きっと恥ずかしくない立派なお母ちゃんになって見せたのに・・・これからお母ちゃんは独りぼっち、どうすればいいいの」と語りかける。やがて恭助がやって来た。変わり果てた春雄の姿を見て呆然、「春坊、カムチャッカの漁場で3年働くことにしてきたんだ。これじゃどうにもなんねえじゃねえか。遅かった」と跪いて涙ぐむ。・・・「でも、春坊。俺、行ってくるよ」と立ち上がり、お雪に「しばらくのお別れだ。これで足を洗いなよ」と封筒を差し出す。「こんなことまでしてくれなくても」とお雪が拒めば、「お前にやるんじゃない。坊やにやるんだ」と、封筒を亡骸の傍に置く。
 それ以上、何も語らずに恭助は去って行った。お雪はなおも激しく泣き続けるうちに、「終」を迎えた。何ともやるせない結末である。
 この映画の眼目は、水商売を稼業とする男や女に対する「偏見」の描出(告発)であろうか。その偏見は子どもの姿を通して現れる。小太郎は春雄に対しては「あんなお母さんの子と遊んではいけないと親に言われた」「お前と遊ぶと親に叱られる」と言い、転校先の子どもには「こいつと遊ぶと親に叱られるぞ」と助言する。子どもたちの背後には、(健全な)堅気の親が厳然と存在しているのだが、彼らは姿を現さない。小太郎たちも芯から春雄を憎んでいるわけではないだろう。親の「偏見」が子どもをコントロールしているのである。それは親の見えない圧力である。「あんな」という一言で済ます圧力である。春雄もまた「母親のために」闘った。その契機が恭助の「おだて」(圧力)だったとすれば、恭助の責任も重い。いずれにせよ、大人同士の「偏見」が子どもに波及し、子ども同士もまた「対立」を余儀なくされるという構図が「悲劇的」なのである。(この映画では)大人同士の対立は「利害」に絡むだけで済むが、子どもの世界では切実・深刻である。友だちができない、ということは自分の存在理由を失うことに等しいからである。春雄は必死に友だちを求め、ようやく中国人の友だちを見つけたが、彼らもまた社会から疎外される存在、追い払われる他はなかったのである。
 監督・清水宏は、「子供をうまく使う監督」として有名だが、この作品もまた、大人以上のドラマを展開している。中でも、春雄役・爆弾小僧(横山準)、小太郎役・突貫小僧(青木冨夫)の「雌雄対決」は見応えがあった。お雪は春雄の亡骸に「どうして、もう少し我慢ができなかったの」と語りかけたが、それが子どもというものである。大人は我慢できるが子どもはできない。そのことを誰よりも理解しているのが、監督・清水宏に他ならないと私は思った。
(2017.6.17)

映画「浅草の灯」(監督・島津保次郎・1935年)

 ユーチューブで映画「浅草の灯」(監督・島津保次郎・1935年)を観た。東京・浅草を舞台に繰り広げられるオペラ一座の座長、座員、観客、地元の人々の物語である。
 冒頭は、オペレッタ「ボッカチオ」の舞台、座員一同が「ベアトリ姉ちゃん」を合唱し
 ている。その中には、山上七郎(上原謙)が居る。藤井寛平(斎藤達雄)が居る。飛鳥井純(徳大寺伸)が居る。香取真一(笠智衆)が居る。そして、新人・小杉麗子(高峰三枝子)の姿もあった。その麗子の前に、二階席から花束が投げ込まれた。投げたのは、麗子の熱狂的ファン、ポカ長と呼ばれる新人画家の神田長次郎(夏川大二郎)である。その花束を麗子が手にしてくれたので、彼はうれしくてたまらない。公演途中で外に出ると、すぐ傍にある射的屋に赴く。店番をするのはお竜(坪内美子)、下宿仲間のドクトルこと医学生・仁村(近衛敏明)が遊んでいた。ポカ長の射的は百発百中の勢いで、景品を仁村にプレゼント、意気揚々と引き揚げていく。やがて、公演が終わった楽屋で、麗子がもらった花束を「あんた、そんなものいつまで大事にするつもり?」と先輩の吉野紅子(藤原か弥子)が冷やかす。踊り子たちが大騒ぎをしているところに、山上が顔を出した。麗子を呼び出して「ペラゴロ(ポカ長)なんか、相手にするんじゃないよ」と忠告する。 
 そして麗子はまた呼び出された。今度は酒場のマダム・呉子(岡村文子)、「麗子ちゃん、ちょっと来てくれない?」。呉子は麗子の親代わり、彼女を二階に住まわせている。麗子は呉子に付いていく。その様子を二階から見咎める、一座の座長・佐々木紅光(西村青児)・・・。
麗子が酒場に行くと、土地の顔役・半田耕平(武田秀郎)が亭主(ヤクザ)の大平軍治(河村黎吉)と待っていた。半田が「おいしいものを食べに行こう」と言う。麗子は、大平の一睨みでイヤとは言えない。呉子に急かされて洋服に着替え、半田と出て行こうとすると、佐々木が現れた。麗子に向かって「こんなところで何をしているんだ、早く楽屋に帰りなさい」と言うなり連れ去った。佐々木は大学出のインテリ、周囲からは「先生」と呼ばれている。さすがに半田も大平も逆らえない。鳶に油揚をさらわれた恰好で、「チクショウ!。ふざけたまねしやがって。公園に居られないようにしてやる」「一番、やってやろうか」と息巻いた。公園の夜店では大平の配下、地回りの仙吉(磯野秋雄)が、通行人を相手に怪しげな賭博を開帳、遊びに来ていた丁稚小僧に話しかけていたが、「アッ、いけねえ。刑事だ」と遁走する隙に小僧の懐から蟇口を掏り取る。その現場を目撃したのはポカ長、仙吉を捕まえて「おい待てよ。返してやれよ。何も知らない小僧さんが困ってるじゃないか」「何だと、おいペラゴロ!お前、オレを誰だと思っているんだ」「あんたの顔は知らないけど、やったことは知っている、さあ返してやれよ、オレは正義漢なんだ」「ふざけやがって、この野郎、こっちへ来い」と仲間の所へ引きずろうとする。そこに偶然、山上が通りかかった。何だ、どうしたと仙吉を見る。「これは兄貴!、こいつが因縁をつけやがるんで」「まあ、今日の所は引いてくれ」と山上は、カウボーイ・ハットを脱いで頭を下げたのでその場は収まった。ポカ長は、思わぬ所でオペラのスター山上に助けられ感激する。そして二人は「十二階」へ、遠い彼方を見やりながら語り合う。「どこを見てるんですか」「あっちに故郷があるんだ」「どこですか」「信州だ」「私も信州です。上諏訪という所です」「そうか、オレは岡谷だ」。かくて、二人の間には厚い友情が芽生えたか・・・。
 やがて、半田、大平一味の復讐が始まる。配下の仙吉たちに佐々木の舞台を「ヤジリ倒せ」と指示する。舞台は「カルメン」、カルメン役は、佐々木の妻・松島摩利枝(杉村春子)であった。大勢の役者が袖に消え、舞台は摩利枝ひとりになった。そこに現れるホセ役の佐々木、その姿を見て仙吉たちが大声を上げてヤジりまくる。あまりのひどさに、佐々木は客席に向かって仁王立ち、「私は芸人じゃない、これでも芸術家なんだ!」と叫んだ。「ホンマカイナ」という声を聞いて山上も袖から飛び出す。客席では乱闘が始まるという有様で、当日の公演は中止となってしまった。激高した佐々木は、「もう舞台には立たない」という。奥役(河原侃二)が止めるのも聞かず、「摩利枝、さあ帰るんだ!」と妻を促すが、意外にも摩利枝は「イヤです!私はここに残ります」と、動こうとしない。一味の計略はまんまと成功したのである。それもそのはず、摩利枝は半田と裏でつながり、麗子との間をとりもとうとしていたのだから・・・。摩利枝は佐々木と別れて新しい劇団を作りたい、その資金を半田に求めていた。半田はその見返りに麗子を求めている。
 摩利枝は麗子に半田の所に行くよう説得する。イヤとは言わせない雰囲気に麗子はやむなく承諾、摩利枝は一瞬頬笑んだが、「この前みたいにすっぽかしたら承知しないよ。紅子、送って行ってやりな」と言い置いて立ち去った。泣き崩れる麗子を見て、紅子は「こんな可愛い子を行かせたくない。いいわ、あたし独りで行ってくる」と言う。「大丈夫よ、何とか誤魔化してくるわよ。それより麗子ちゃん、何でも山上さんを頼りにするといいわ、いい人よ、正義漢よ、男よ」。紅子もまた山上に恋い焦がれているのであった。紅子を見送り、なおも泣きじゃくっている麗子を山上が見つけた。事情を聞いた山上は、麗子を仲間の部屋に連れて行く。 このままでは麗子の身が危ないと座員と思案しているところに、ポカ長が訪ねて来た。ちょうどいい、ポカ長の下宿に匿ってもらおうというと、ポカ長は「下宿代が滞っているので・・・」と渋る。香取が「100円ほどあればいいか、オレが何とかする」。彼は、大阪の新劇運動に参加する、その前に100円前借りして、「ドロンする」と涼しい顔で言うのだ。渡りに船、一同はすぐさま同意、麗子は根岸にあるポカ長の下宿で身を隠すことになった。一刻も早く、ということで麗子はポカ長の下宿へ・・・。その様子を射的屋のお竜が目撃していた。
 またまた、すっぽかされた半田は激怒して摩利枝に電話する。摩利枝はあわてて半田の所に行ったのだが、麗子の行方は判らない。
 翌日、山下は香取が調達した100円を渡しに神田の下宿に行く。神田と麗子に外出はしないようにと言い含め、浅草に戻ると、仙吉たちが待ち構えていた。お竜から、麗子がポカ長と一緒に立ち去ったことを聞き出していたのだ。「ポカ長の下宿はどこだ」「知るもんか」と揉めている所に、藤井が飛んで来た。「飛鳥井の容体が急変した、オレは医者を呼んでくる」と告げる。飛鳥井は山上たちの親友、かねてから胸を患っていた。座員の皆に看取られて、飛鳥井は逝った。「人間は、遅かれ早かれ皆死ぬんだ」という香取の言葉に、山下は嗚咽しながら肯く・・・。 
 舞台稽古が始まっている。それを客席から見つめる摩利枝、佐々木の代わりに演出を手がけている様子、その場に山上がやって来ると、振り向いて言う。「ねえ、いいかげんに麗子を返しなよ。どこにやったの?」「知りませんね」「先生がいなくなってからバカに楯突くじゃないの」。そこに香取が割って入った。「麗子なら、私が100円前借りして関西に逃がしましたよ。いずれは楽天地か宝塚でしょう」。摩利枝は驚くやら、怒るやら、悔しいやら、あたふたとその場を立ち去った。香取はすでに大阪行きの切符を手にしている。「今夜はお別れだ、いつもの所に飲みに行こう」。
 飛鳥井は死に、香取も去った、山上は淋しさをこらえながらポカ長の下宿を訪れる。飛鳥井の死を知らせに来たのだが・・・。しかし、そこでは麗子が、神田や下宿仲間とトランプに興じていた。山上は呆れて、神田に「今の連中に麗子の素性を教えたのか」に訊ねると「ああ、教えた」「何だってそんなことをしたんだ」「見ればわかるじゃないか、ビクビクするなよ。オレは麗子さんのためなら命を投げ出したっていい」。その言葉を聞いて山上は激怒した。「てめえ、一人の命で何が解決するんだ、みんながどんなに苦労しているかわからねえのか」と神田を殴り倒し、足蹴にする。泣き出す麗子に「こんなところにいられない。さあ、行くんだ」と連れ出そうとしたが、麗子は拒否する。「あたしはここにいます」。山上は一瞬キッと睨んだが、「そうか、それならそれでいい」という表情になり出て行った。
 一人とぼとぼと楽屋に戻る道、途中から雨が降り出した。楽屋に戻る道でお竜と出会った。麗子の件で仙吉たちに嫌がらせを受け、浅草に居辛くなった、田舎に帰るという。「山上さん、一緒に行ってくれない。あなたと一緒になった夢を見たの」「オレは今、男と女のことは考えたくない」「怒ったの」「いや、でもごめん、オレ先に行くよ」。山上の心中には麗子の姿が浮かんでいたのかも知れない。     
 翌日も雨、楽屋の部屋では紅子が飛鳥井の遺影に線香を上げている。弁当を掻っ込む山上に、お茶を注ぎながら「香取さん、どうしているかしら。淋しくなったわねえ」「あいつのことだから、うまくやっているよ」、そこに藤井がやって来て「佐々木先生が奥さんと別れ話をしている。行ってみてくれないか」と言う。摩利枝の楽屋に行くと、佐々木が「山上君、お別れを言いに来た。もうこの年で役者でもあるまい。日本の演劇史を書こうと思う」「それはいい、大賛成です」「ところが、こいつは反対なんだ」。摩利枝は「別れるなら手切れ金を出しなさい」の一点張り、「奥さん、役者を辞めて、先生の仕事を手伝ってあげてください」と懇願するが「何を生意気な!」と摩利枝は応じない。終いには「あたしは、くどいことは嫌いなんだ!」と毒づく始末、もうこれまでと、山上はポケットからナイフを取り出した。「まあ!何をするんです」とたじろぐ摩利枝に「奥さん、先生に謝りなさい。さもなければ、ここで指を詰めるまでだ。オレも浅草の山七だ。今まで通らなかったこと話はない。どうせ身寄りもないオレだ、指がなくなったってどうということはない。さあ、謝れ!謝らなければ指を詰めるぞ」と必死に迫る。佐々木を慕う山上のまごころに打たれたか・・・、摩利枝は泣きながら「ごめんなさい、私が間違っていました」と佐々木に頭を下げた。山上も安堵して「手荒なことをしてすみませんでした」と謝る。
 そこにお竜が飛び込んで来た。「たいへん、ポカ長が大平の家に麗子ちゃんの荷物を取りに行き、閉じ込められてるの」「オレはポカ長のことは知らない」「それでも男なの、いくじなし、卑怯よ」「何? 卑怯だと」、山上は頭に来て、大平の店に駆けつける。大平が仙吉たちに「半殺しにしろ」と指示している。山上は、若い者を殴り飛ばして、大平に迫る。「ポカ長を返せ」「誰だそれは」「二階のお客様だ」。かくて、ポカ長は無事、救出された。「すまねえな、兄貴!」「あんな危ないところに行く奴があるか」「でも、麗子ちゃんの着物や大切なものを取りに来たんだ」「・・・」「ところで兄貴、オレ、麗子ちゃんと結婚したいんだが」「・・・麗子は何と言ってるんだ」「山上さんが承諾すれば・・・と」「・・・そうか、じゃあいいだろう。結婚しろよ」「そうか!いいのか、ありがとう、兄貴」「そのかわり、勉強していい絵をかけよ」。
 山上が楽屋に帰る途中、お竜が待っていた。「どうだった」「ああ、無事終わったよ」「そう、よかったわね」「オレ、話があるんだ」「何?」「これから大阪へ行こうと思う。香取にいろいろ教えてもらうんだ。もう浅草に用はない」「じゃあ、あたしも連れてって、女中でも何でもするから」「・・・・」
 かくて二人の姿は、東海道線の車中に・・・、車窓には、雪を頂いた富士山の景色がくっきりと映っていた。そして画面には「終」の文字もまた・・・。


 この映画の眼目は「痛快娯楽人情劇」の描出にあるのだろう。そのための役者は揃っていた。善玉の上原謙、夏川大二郎、笠智衆、齋藤達雄、西村青児に、徳大寺伸が「悲劇」を演じる。悪玉の武田春郞、河村黎吉、磯野秋雄、日守新一が、思い切り浅草ヤクザの「柄の悪さ」を描出する。女優では、悲劇のヒロイン高峰三枝子、先輩の藤原か弥子、着物が似合う坪内美子、悪玉の岡村文子、特別出演の杉村春子などなど、おのおのが存分に持ち味を発揮して、ねらい通り、たいそう見応えのある作品に仕上がっていたと、私は思う。
 見どころは、何と言っても上原謙の「男っぷり」である。麗子、紅子、お竜の三人から惚れられ、ポカ長からも「兄貴」と慕われる。ケンカにはめっぽう強く、自分の思いを通さなかったことはない。土地のヤクザからも一目置かれている。ただ一点、本命の麗子からは「袖にされた」か、カウボーイ姿でとぼとぼ歩く姿が「絵になっていた」。極め付きは、杉村春子との対決、身勝手で気が強くおきゃんな摩利枝を、思わず「改心」させる「侠気」が光っていた。次は、その杉村春子の舞台姿である。当時は28歳、多少「うば桜」とはいえ、一座のプリ・マドンナとして堂々と「カルメン」を踊り歌う。夫役の西村青児とも丁々発止と渡り合う「啖呵」は、たまらなく魅力的であった。他にも、ポカ長・夏川大二郎の、強者(仙吉、大平)には敢然と立ち向かう「正義漢」振り、弱者(麗子)には「女ことば」まで使ってプロポーズする「道化」振りが際立っていた。さらには、飄然とした笠智衆の風情、極道もどきで滑稽な河村黎吉、武田春郞、磯野秋雄、日守新一らの姿が色を添えていた。
 最後は、ようやく願いが叶った坪内美子を、霊峰・富士山が祝福する・・・、見事なエンディングであった。
(2017.6.13)