梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「幼児の言語発達」(村田孝次著・培風館・1968年)抄読・70

■応答
《返事》
【要約】
 応答の最も単純な型は、相手の呼びかけに対する、ウンとかハイのような返事である。この種の応答は1歳前後で生じるが、特定の相手の特定の談話に対する特定の応答(適応的な反応)が生じているのではなく、紋切り型に反響的に反応が起こっているのみである。 前には、はっきりハイといっていたのに、あとになってウンという悪い返事をするようになってしまったといって、こぼす母親が少なくない。これは、初期のうち母親が意識的にハイを子どもに聞かせ、子どもがハイを使ったときに強化を規則的に与えていたのに、その後強化の規則性がなくなり、子ども自身も母親以外の人のウンという返事を経験し模倣することによると考えられる。
 一般に談話が有効なのは対人適応場面いおいてであり、相互の対人行為が円滑に運ばれていくためには、相互応答ということが必要である。会話の進行にとって相互の返事がいかに重要で、談話の交換になくてはならないということは、とくに相手の姿を見ることができない、同時交通のできない、トランシーバーで経験することができる。
《返事のタイミング》
 発達初期には、返事のタイミングに最もはっきりした特徴がみられる。相手の話しかけの開始時点から一定の短い間隔において、機械的に“応答”が生じる。働きかけが長いと、それが終結する前に“応答”が起こってしまう。これは、相手の望む反応について配慮する真の応答からほど遠い、反射的な反応である。真の応答とは適応的な返答でなければならない。この未熟な返答は、その答の正当さとは無関係だが、答えるということは、答えないよりはよいことである。
《返答性》
 反射的な返答には、相手の談話の意図を理解することはさしおいて、とにかく音声で反応するという構えがある。育児者は十分適合した応答を強くは期待していないので、子どもも返答と事実の不一致にわずらわされることも少ないが、子どもが返答しなかった場合、育児者の不機嫌な表情、催促は一種の罰である。したがって、なげやりで機械的な返答は、罰を予想した一種の回避反応であろう。 
《理解と応答》
 応答(適応的な返答)には、質問内容の理解が先決問題である。質問を理解することができないとき、子どもは問い返しをする。あるいは返答をしないという傾向を示す子どももいる。1歳の終わりごろからは、反射的・機械的な返答は影をひそめる。
 “応答”とは、“行為をこころみるだけではなく、話で実際に答えることによって、相手の談話を理解していることをしめすことである”(Lewis,1951)。K児は1歳5カ月の時に、母親が火を指しながらいったWhat's tkat?に対してfa[fire]といった。これは外観上適応的な返答であり、質問者が期待していたものであり、偶然的なものとは思われないが、子どもの目の前には、彼の注意を圧倒的にひきつける火があり、faを喚起した刺激としての実物の火のほうが質問よりもはるかに支配的だったという可能性があり、質問はfaの喚起にまったく役立っていなかったのかもしれないのである。子どもは質問を受ける以前にすでにfaを触発する状態にあったのかもしれない。1歳未満の子どもでさえ、イヌの絵の前で“これ何?”とたずねられるとき、ワンワンと反応することは可能である(村田,1960)。この種の反応まで応答にふくめるならば、これより高等な応答を別にしなければならない。
 “高等な応答”とは、子どもが質問内容に対して特殊な談話を選んで発するような場合である。これが真の応答に値するものなのである。真正の応答をつねに行うということは、1歳期のこどもにとってはかなりむずかしい。応答は質問の内容ばかりでなく、形式によっても左右される。ある子どもは1歳8カ月のとき、“ニンジンは嫌い?”とたずねられるときにも“ニンジンは好き?”とたずねられるときにも、つねにハイと答えた。1歳9カ月には“タコは好き?”という質問にはスキと答え、“タコは嫌い?”という質問にはキライと答えている(村田,1962)。それは質問の言語形式にしばられて他律的であり、真の適応的な応答にはなっていない。


【感想】
 ここでは、子どもが話しかけられたときどのような反応をするか、という観点から「返事」と「応答」(肯定・同意)について述べられている。「呼びかけ」「要求」には「指さし」という行為が併行するように、「返事」「応答」の場合にも、「振り向く」「挙手」「首を(縦に)振る」などの動作が伴う。
 興味深かったのは、「返事」のタイミングであり、「働きかけの談話が長いと、それが終結する前に“応答”が起こってしまう」という点、また、1歳代の子どもは質問の内容がわからなくても、ともかく「発声で応じよう」とする傾向があるという点であった。
 要するに、子どもは「やりとり」の《呼吸》(間:タイミング)の方を先に身につけるということだろう。それはコミュニケーション・マナー(リスニング・マナー)といわれるものであり、電話などで対話をするためには不可欠の能力だと思う。
 では、その能力はどのようにして身につくのだろうか。私の独断・偏見によれば、新生児期から乳児期(0歳代)における「声のやりとり」(泣く→あやす・世話する→泣き止む)を順調にできるようにすることが、きわめて重要だと思う。
 「自閉症児」の場合、「おとなしく育てやすかった」が、「声のやりとり」が不十分だったため、この「やりとり」の《呼吸》(間)を合わせることが難しいのではないだろうか。著者が示している、1歳児の応答が、「質問の内容を理解していなかったり」「質問の言語形式にしばられて他律的であり、真の適応的な応答にはなっていない」という事例は、そのまま「自閉症児」にも当てはまるかもしれない。だとすれば、「自閉症児・者」の言語によるコミュニケーション能力は1歳台に「とどまったまま」と考えることもできると、思った。(2018.8.30)