梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

延命記念日・Ⅲ

 今日は私の「延命記念日」である。急性心筋梗塞を発症、救急車で大学病院に搬送、緊急手術(カテーテルによりステント挿入)を受け、一命をとりとめてから3年が過ぎた。その間に「体調は徐々に回復し、普段通りの生活が可能になった」ならば、言うことはないのだが・・・。現実は厳しい。従来の腰痛(脊柱管狭窄症)、胸痛、後鼻漏に加え、胸焼け、吐き気、腹部膨張感による「食欲不振」、体重低下(現在、発症前より10キロ減の51㎏)と体力不足はいかんともしがたい。服薬の「副作用」のためか、他の原因(逆流性食道炎)によるものかは、はっきりしないが、医師の処方により、以下の薬を飲んでいる。
《泌尿器科》(前立腺肥大):「ハルナールD錠」(前立腺肥大に伴う症状を改善する)「エピプロスタット配合錠」(前立腺肥大に伴う症状を改善する)「ツムラ八味地黄丸エキス顆粒」(尿が出にくい症状を改善する)
《循環器内科》:「バイアスピリン錠」(血液を固まりにくくする)「アトルパスタチン錠」(血液中のコレステロールを減らす)「エナラプリルマレイン酸塩錠」(心臓の働きを助ける)「カルベジロール錠」(心臓の働きを助ける)「アムロジピン錠」(血圧を下げる)
「ネキシウムカプセル」(胃酸の分泌を抑える)
《消化器内科》:「アコファイド錠」(胃腸の機能を改善する)「スルピリドカプセル」(胃粘膜の修復を促進する)「ツムラ六君子湯」(吐き気を抑える) 
 現在、様々な検査結果に異状はみられないので、服薬の効果はあるのだろう。しかし、身体各部の「不快感」「違和感」が消えることはない。従来の腰痛は(テニスボールの)「仙骨ストレッチ」で小康状態を保っているが、持続歩行は15分程度までだ。後鼻漏は相変わらず続いている。「ホットシャワー」で生理食塩水の蒸気を鼻腔に当てると「少し」(一時的に)楽になるが、長続きはしない。胸焼けには「マヌカハニー」(蜂蜜)、吐き気には「イスクラ開気丸」を服用、その他、便秘予防として「太田胃酸整腸薬」と「アロエ粉末」を飲んでいる。
 まさに《薬漬け》の毎日を重ねて、3年が過ぎた。まだ「介護」の必要はないので、一応は「健康寿命」を全うしていることになるが、いつ、何が起きても不思議ではない現状ではある。
(2021.6.25)

映画「噂の娘」(監督・成瀬巳喜男・1935年)

 ユーチューブで映画「噂の娘」(監督・成瀬巳喜男・1935年)を観た。東京にある老舗「灘屋酒店」の家族の物語である。主人・健吉(御橋公)は婿養子に入ったが、妻はすでに他界、義父・啓作(汐見洋)、姉娘・邦江(千葉早智子)、妹娘・紀美子(梅園龍子)、他に使用人数名と暮らしている。向かいの床屋(三島雅夫)が客と話している様子では、「灘屋は最近、左前。隠居の派手好きがたたったか。主人の健吉は、傾きかけた店に婿養子として入って大変だ」。健吉にはお葉(伊藤智子)という妾がおり、料理屋を任せている。繁盛しているが、お葉はその店を売り、健吉に役立てようと考えている。姉・邦江の気性は旧来の和風気質、父の稼業をかいがいしく助け、祖父の遊興も許容している。親孝行の典型といえよう。他方、妹・紀美子は正反対、帳場の金をくすねて遊びに行こうとする。邦江に咎められると「いいわよ、今度のお姉さんのお見合い、付き添ってあげないから」。その縁談は、健吉の義弟(邦江の伯父)(藤原釜足)が持ち込んだ。先方は大店・相模屋の息子・佐藤新太郎(大川平八郎)。健吉はあまり乗り気ではなかったが、邦江は「幸せになれそうだ」と思った。なぜなら、自分がこの家を出れば、その後にお葉を迎え入れることができる。しかも、自分と妹は腹違い、紀美子はお葉の娘なのだから。健吉とお葉、紀美子の三人で暮らせるようにすることが、邦江の「幸せ」なのである。しかし、紀美子はそのことを知らない。紀美子はお葉を、父の「妾」に過ぎないと敬遠気味であった。
 邦江は、自分の「幸せ」を実現するために、お葉自身、祖父、伯父、そして父に「話をつける」。お葉を迎え入れることは、皆が同意、それとなく紀美子にも話して見たのだが「私、お父さんのお妾サンなんて、お母さんと呼べないわ」という答であった。
 邦江の縁談は、妙な方向に進んでしまった。相手の新太郎は、付き添った紀美子の方を気に入っった様子、伯父は「あんなお転婆のどこがいいのやら。今の若い者の気持ちがわからない」と嘆く。「でも、この縁談は紀美子の方に変えようか」と持ちかけるが、健吉は不同意、「邦江の気持ちも察してやらねば」と、このことは邦江にも紀美子にも隠しておこうということになった。
 しかし、紀美子と新太郎は、銀座(?)で偶然再会、逢瀬を重ねるようになる。今度は、そのことを知らない邦江と健吉・・・。 
 一方、邦江は、お葉宅からの帰り道、浅草(?)で、家具屋を覗いている祖父を見つけた。「着物屋ではなく家具屋を覗くなんて珍しいわね」と言うと「なあに、お前の縁談もあることだからね。でも金は無い。明日は明日の風が吹くだよ。それにしても最近のお父さんは焦っているのではないか、店の酒の味が昔と違う。お父さんが何かしているのではないか。お前が確かめてほしい」と聞かされた。ある雨の日に、健吉が一人酒蔵で何かをしている。問い詰めると「酒の味がもっとよくなる研究をしている」という答であった。
 一抹の不安を抱えながら、邦江は、伯父宅に、見合いの件、お葉の件で訪れる。その帰り道で衝撃的な現場を目撃した。見合い相手の新太郎が、紀美子と連れ立っている姿である。帰宅して紀美子に質すと「お姉さんは何も知らないのよ。新太郎さんは私をお嫁に欲しいと言っているの。叔父さんもお父さんもそのことを知っているのに隠している。私は、偶然、新太郎さんに会って、その話を聞いたのよ」。
 打ちひしがれた邦江は帳場で泣いている。健吉が見咎めて「どうかしたのか」と問いかけたが「何でもありません」と答えるだけであった。
 健吉は、お葉の店を訪ねる。「幸い、良い買手がつきそうです」「すまない」「私は一人でも暮らしていけます」。お葉は、邦江にいい婿を迎え灘屋を再建してもらいたい、自分は娘の紀美子と暮らせればよい、という考えもよぎったか。「明日、紀美子の誕生日だ。その機会に、実母として紹介しよう」と健吉は帰って行った。
 いよいよ大詰め、灘屋の一室では紀美子の誕生祝い、友だちが集まって新太郎からのプレゼント(西洋人形)を眺め、ジャズのレコードで踊っている。そんな折り、伯父から突然の電話が入った。「新太郎の親から、紀美子さんを欲しいと言ってきている。紀美子の気持ちを聞いて欲しい」驚いた健吉「ともかく、聞いてみる」と電話を切る。そこにお葉が訪れた。「二階で待っていてくれ」と言い、紀美子を呼び出す。「お前、お父さんやお姉さんに内緒で、佐藤の倅と親しくしていたというじゃないか。どんなつもりだったんだ!」「・・・・」「お前は、姉さんがどんなに優しい気持ちでお前や、お前のお母さんのことを考えていてくれたか、わかるまい」。一瞬、紀美子の表情が変わった。「今日は、お前に会わせたい人が居る。来なさい」と二階に連れて行く。待っているお葉。見つめ合うお葉と紀美子・・・。お葉の視線は熱い。紀美子の視線は冷たい。「お前を生んだお母さんだ、挨拶しなさい」。紀美子は無言、邦江がお茶を持って登ってきた。「姉さんにも、謝らなければならないだろう。お前や、お母さんや、家のことばかり考えていた姉さんの心を踏みにじったんだ。謝りなさい」邦江は「姉さんには謝らなくてもいいのよ。でも、お母さんには挨拶なさい」と取りなすが、なおも紀美子は無言、健吉はたまらず「今日こそお前のわがままを叩き直してやる」と手を上げると、「今になって、そんなこと言われるなんて、イヤです。お母さんなんていらない!、お父さんなんていらない!、この家なんていらない!」と叫ぶなり、紀美子は階段を降りていく。あわてて追いかける邦江、驚いている友だちの前で家を出る気配をみせる。二階に残されたお葉と健吉は言葉が失っているところに、使用人の小僧がやってきた。「警察の人が来ています。旦那に用があるそうです」。
 向かいの床屋では隠居の啓介が髭を当たってもらっていたが、店の前がただならぬ様子、刑事、警官、野次馬で人だかりができている。床屋が「何か、あったんでしょうか」と心配そうに問いかけるが「なあに、何でもありませんよ」。店を出ると健吉が近づいて「すみません」と頭を下げた。「いいとも、いいとも、なるようになっただけだよ。ああ、行っといで」と優しくねぎらう。床屋が「これからどうなるんでしょう」「看板が変わるだけだ」と吐き捨てた。
 店に残された邦江たち、紀美子はボストンバックを手にして家を出て行こうとするのだが・・・、お葉が紀美子をじっと見つめる。紀美子も見つめ直したとき、ボストンバックは足元に落ちた。その後の経過は誰にもわからない。
  床屋では、亭主が次の客(滝沢修?)に向かって「とうとう灘屋も駄目になりましたね。次は何屋になるんでしょう」と言えば、客は笑いながら「いくらか賭けようか」「ようございますとも、また酒屋かな、それとも八百屋かな、八百屋はすぐ近くにあるし・・・」などと思案するうちに、この映画は「終」となった。
 登場人物の隠居・啓作、主人・健介、長女・邦江、伯父、妾・お葉たちは、いずれも和服姿、次女・紀美子と新太郎は洋服姿というコントラストが「生き様」の違いを象徴している。和服姿は、江戸、明治、大正、昭和へと伝統を継承する立場、それに対して、洋服姿は伝統に抗う、洋式の生活意識を求めている。啓作が三味線をつま弾き、俗曲を披露すれば、紀美子はジャズのレコード、ソーシャル・ダンスで対抗する。和服派が重んじるのは「細やかな心づかい」、あくまでも他人との義理・人情を大切にするが、洋服派にとって大事なのは「自己」と「自我」、とりわけ「女が男の犠牲になること」を嫌うフェミニズムなのである。 
 この映画の眼目は、酒屋の名店が「没落」する姿を通して、「滅びの美学」を描出することにあったのか、洋風文化への転換期を描きたかったのか、判然としない。成瀬監督の真骨頂は、同年前作の映画『女優と詩人』に代表されるフェミニズム、「女の逞しさ・したたかさ」だと思われるが、この映画では、和風への「未練」、伝統への「執着」も、いささか感じられた。それというのも、主役を演じた千葉早智子の存在があったからか。彼女は数年後、成瀬監督の夫人に収まる身、その魅力を、和風にするか洋風にするか、という成瀬監督の「迷い」があったとすれば、「むべなるかな」と納得できる。
 いずれにしても、お互いの気持ち、心情を重ねようとする人たちと、陋習を打破して自己主張を大切にする人たちが織りなす人間模様の描出は鮮やかであった。なかでも、悠々と江戸好みの風情を楽しむ隠居老人・啓作を演じた汐見洋の魅力が光っていた。成瀬監督にしては異色の「傑作」であった、と私は思う。
(2017.5.26)

映画「島の娘」(監督・野村芳亭・1933年)

 ユーチューブで映画「島の娘」(監督・野村芳亭・1933年)を観た。昭和中期以前の世代にとっては、あまりにも有名な流行歌「島の娘」(詞・長田幹彦、曲・佐々木俊一、歌・小唄勝太郎)を主題歌とするサイレント映画(オールサウンド版)である。タイトルと同時に、「島の娘」のメロディー(BGM)が流れ、原案・長田幹彦、脚色・柳井隆雄と示されているので、筋書きも「主(ぬし)は帰らぬ波の底」という歌詞を踏まえて作られたようだ。
 冒頭の場面は、東京湾汽船の甲板、一人の学生が恋人とおぼしき女性の写真を取りだし、海に破り捨てた。その様子を見ていた水商売風の女が近づいて曰く「情死の相手が欲しいなら、私じゃいけません」「余計なお世話です」「短気なマネをしないでね」、しかし学生は応えずに離れて行った。学生の名は大河秀人(竹内良一)、一高出身の帝大生である。女は、酌婦のおしま(若水絹子)、流れ流れて、東京から大島に舞い戻ってきた風情だ。船室に戻って、女衒風の男(宮島健一)にタバコの火をもらう。「また、島の娘をさらいに来たんだね。だからあたしみたいなおばあちゃんが戻ってこなければならなくなるんだ」「人聞きが悪い。これも人助けなんだ」などと対話をするうちに、船は波浮の港に着いた。
 そこの寺川屋旅館では、主人が他界後、屋台骨が傾き、伯父(河村黎吉)、女将(鈴木歌子)が、娘のお絹(坪内美子)を東京に売る算段を女衒風の男としている。それを知ったお絹は(亡父も許した)恋人の船員、月山一郎(江川宇礼雄)と束の間の逢瀬を浜辺で過ごす。「明日の船で東京に売られていきます。あたし、いっそのこと死にたい」「ボクだって死にたい。でも、あなたを死なせたら、可愛がってくれた、あなたのお父さんに申し訳ない」「生きましょう、生きて戦いましょう」「丈夫でいれば必ず合える」。しかし、お絹には「もう、これっきり会えない」予感があった。背景には、小唄勝太郎の「ハー 島で育てば娘十六恋心 一目忍んで主と一夜の仇情け」という歌声が流れ、お絹の「心もよう」が鮮やかに描出される。勝太郎は当時29歳、その美声はこの場面でしか堪能できない逸品だと、私は思った。
 一方、帝大生の大河は、やはり死にどころを求めて大島にやって来たのだ。三原山に登ったが、自然の崇高さに打たれたか、椿の花を携えて麓に降りて来る。盛り場で客引き女に囲まれて料理屋の中へ、そこには船で一緒だったおしまが居た。「よく、もどってきたわね。世間は広いんだ。女に振られたくらいでで一生を無駄にしてはいけない」と優しく酒を注ぐ。辺りでは酌婦連中が、寺川屋の娘が売られていくという話をしている。「かわいそうに、あたしが代わってやりたいよ」「金が仇の世の中さ」。なるほど、寺川屋は土地でも評判の旅館であったことがわかる。時刻は11時を過ぎた。大河は「今夜はそこに泊まろう」と決めた。
 大河が寺川屋へ向かう途中、一郎とバッタリ出会い道を訊ねる。一郎は船主(水島亮太郎)に借金を申し込んだが「二十、三十(円)なら何とかしようが、二千両となると無理だ。悪く思わんでくれ」と断られ、深夜の道をさまよっていたらしい。大河と出会ったのは郵便局の前、そういえば、お絹には兄さんがいた。もしかしたら、兄さんが帰ってきたのかもしれない。「あなたは寺川屋の親類の方ですか」「いえ、旅の者です」。大河と別れた時、郵便局の灯りが消えた。とっさに、一郎は郵便局に忍び込む。二階の金庫に手をかけたとき、灯りが点いた。一郎は二階から飛び降りて逃走したが、その姿を見られてしまった。
 翌朝は一郎の船が北海道に向けて出航する。お絹もまた東京行きの船に乗ることになっていた。寺川屋では、その準備の最中、女将がお絹との別れを惜しんでいると、帳場に大河がやって来た。女衒に「そのお金があれば、解決できるのですね」と言い、財布から百円札を20枚、ポンと手渡す。「あやしい金ではありません。兄から分け与えられたもの、私には必要のない金です」。一同は、びっくり仰天、お絹は島に留まることができたのだ。お絹は、そのことを一郎に知らせようと女中(高松栄子)と一緒に港へ走ったが、船は出航していた。 
 寺川屋では大河に感謝、大河とお絹が四方山話をするうちに、五年前に亡くなった寺川屋の息子は、一高時代、大河の親友であったことが判明、伯父や女将は「倅の引き合わせかもしれません、ずっと長逗留してください」と勧める。
 かくて、大河とお絹の交流が始まった。どうやら大河はお絹に惹かれている様子、三原山に登山行、椿の花を手折り弁当を食べながら、思いを告白しようとしたのだが・・・。お絹はそれを遮って「私には約束した人がいるんです」。大河は一瞬ガックリ、椿の花を投げ捨てたが、「そうだよな。それでいいんだ」と思ったか、亡兄の代わりを務めようと思ったか、お絹の相談にのる。一郎が郵便局に忍び込んだことがわかれば、伯父は結婚に反対するだろうというお絹の心配に「大した罪にはならないでしょう。二人が一緒になれるようボクが伯父さんに取り持ちますから安心して下さい」。伯父も快く承諾した。 
 月日が流れ、大河が東京に帰る日がやってきた。見送りにきたお絹に向かって「楽しい思い出をありがとう。一郎さんが戻ったら幸せな家庭を作ってください」。なぜかおしまも見送りに、「とうとう死なずに帰るのね」「あんたの言ったことは本当だったよ。おかげで美しい世界を見せて貰った。初めからやり直します。ありがとう」。
 まもなく一郎の船も帰港する。その日、お絹は女中と一緒に、いそいそと桟橋に向かったが、降り立つ船員の中に一郎の姿はない。船長がお絹たちを船内に呼び、「僕は二度とお目にかかる資格のない人間になってしまいました。意気地のない僕を許してください。死んでもあなたを護っています。幸せに暮らしてください。お絹様 一郎」という文面の遺書と遺品を手渡す。本人の希望で水葬にしたとのこと、あの時 「もう、これっきり会えない」と思ったお絹の予感は当たったのである。
 お絹は家に戻り、女中と遺品を整理する。一郎の帽子をしっかりと胸に抱きしめ泣いていると、東京から大河の小包が届いた。中には大河の「婚礼写真」の他に「祝い物」が添えられている。お絹と一郎の華燭を寿ぐ品に違いない。お絹は「大河様、おめでとうございます」と呟き、悲しみをこらえる他はなかった。
 大詰めは、お絹と一郎が逢瀬を重ねた海岸の岩場、お絹が海を眺めて佇んでいる。やって来たのはおしま、「お嬢さん、お約束の人、お亡くなりになったんですってね。そうして海を見つめているお気持ち、私にはよく解ります。女はいつも悲しいものですわ。これまでに何度も死にたいと思いました。でも残った親、兄弟のことを思うと死ねませんでした」お絹も応えて「わたし死にません。辛くても我慢して、お母様のために生きて行きます」「私たちこんなに辛い目にあって生きているんだから、年をとってあの世に行ったら、きっと神様が可愛がってくれるでしょう」などと涙ながらに語り合う。やがて、お島は帯に挟んだからウィスキーの小瓶を取り出し、「一郎さんはお酒が好きだったのでしょう。飲ませてあげましょうね」と海に注いだ。その時、聞こえてきたのは小唄勝太郎の歌声、「ハー 沖は荒海吹いた東風(やませ)が別れ風 主は船乗り今じゃ帰らぬ海の底・・・・」、まさに、この映画の眼目が艶やかに浮き彫りされる名場面であった。その声とお絹、おしまの二人の立ち姿が、大河の言う「美しい世界」を見事に描き出しており、私の涙は止まらなかった。
 この映画の映像は「古色蒼然」、茫として見極められぬ場面も多い。動きもコマ落ちでぎこちない景色だが、さればこそ貴重な作品。戦前歌謡映画の傑作であることに変わりはない。なかでも、小唄勝太郎の往時の美声に巡り会えたことは望外の幸せであった。(2017.5.24)