梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

映画「桃中軒雲右衛門」(監督・成瀬巳喜男・1936年)


 原作は真山青果、明治から大正にかけ、浪曲界の大看板で「浪聖」と謳われた桃中軒雲右衛門の「身辺情話」である。成瀬作品にしては珍しく「男性中心」の映画で、女優は雲右衛門の曲師であり妻女のお妻を演じた細川ちか子、愛妾・千鳥を演じた千葉早智子しか存在感がない。(他は、ほとんど芸者衆である。)
 筋書きは単純、九州から東京に凱旋する桃中軒雲右衛門(月形龍之介)が、先代からの曲師・松月(藤原釜足)と、途中の静岡で雲隠れ、番頭(御橋公)や弟子(小杉義男)たちが大騒ぎする中、国府津に置いてきた息子、(伊藤薫)の後見人・倉田(三島雅夫)の説得で、ようやく東京入り。本郷座での公演は大成功を収めるが、たまたま出会った芸者・千鳥の初々しさに惹かれ、病を抱えたお妻との関係が疎遠になっていく。新聞では雲右衛門の醜聞が大きく取り上げられるが、どこ吹く風、これも「芸の肥やし」と全く意に介さない。やがて、お妻は病状が悪化、泉太郎や千鳥までもが見舞うように勧めるが「お妻はただの女ではない。芸を競い合う相手だから、俺を慕うような(俺に助けを求めるような)姿は見たくない」と言い、頑なに拒絶する。その気持ちがお妻にも通じたか、弟子に看取られながら、安らかに息を引き取った。その亡骸の前で、雲右衛門は威儀を正し、極め付きを披露する。あたかも、曲師お妻の「合いの手」を頼りにするかのように・・・。
 この映画の見どころは、若き日、月形龍之介の雄姿であろうか。雲右衛門は「俺はしがない流し芸人の倅、名誉や地位などどうでもよい。傷だらけになって、ただ芸一筋に生きるのだ」と主張する。その容貌とは裏腹に、脱世間・常識破りで不健全な、カッコ悪い生き様を求めているのだ。そのことを周囲は理解できない。理解できたのは妻女のお妻ただ一人。共に立つ舞台でお妻の調子が外れた。そのことを指摘するだけで(昔のように)怒ったり殴ったりしない雲右衛門を、お妻は激しく罵倒する。その名場面こそが、見どころの極め付きであったと、私は思う。「お妻、今日は二度まで調子を外したが、オレの芸にいけねえ所があったのか」「弾いていて泣けません」「ちょっと三味線持っといで」と、穏やかに言うが、お妻はハッキリと断る「あたしはイヤだ。他の人にやらせたらいいでしょう」。雲右衛門はキッとして「お妻!」と言ったが、「何です」と軽くあしらわれて次の言葉が出なかった。「・・・・」「お前さん、この頃の私の三味線をどう聞いてます。自分ながら、あたしの三味線はもう峠を越したと思ってます。身体の病には勝てやしない」。雲右衛門は「オレはそれほどとは思っていなかったが・・・」と取りなすが、健気にもお妻は攻勢に出た。「その女房に小言一つ言えずに結構がって詠っているお前さんは、それでも天下の雲右衛門か、桃中軒の総元締めか。昔のことを思うと涙がこぼれらあ」。雲右衛門も「夫婦の中でも芸は仇だ、勝手なことを言うなよ」と反撃に出たが「お前さんは昔、あたしの三味線の出来が悪い日には撲ったり蹴ったりした人だよ。もとより女として可愛がられたこともない。自分の芸のためにあたしの三味線を食ったんだ。自分の芸のためなら人も師匠も忘れられる強い心を持っていたんだよ。(九州時代からの)夫婦でも芸は仇、お互いに負けまいという真剣さはどうなったんだい」「それはオレも思うよ」と認めて弱音を吐く。「人気が下がって芸が落ちるのなら、お前さんもそれだけの人だよ」「そうじゃあねえ。衰え始めたオレの芸に、かえって反対の人気が立ってくるんだ。オレはそれを思うといつも背中が寒くなる」「お前さん、いくつなんだい、それを言って済む歳かい」、お妻は、「あたしの身体はもう長くない、今のお前さんの意気地ない姿を見て、逝くところへ逝けるかい」と一睨み、最後に「お前さんは女でも女房でも自分の芸のためなら、みんな食ってきた人なんだよ、それが何だい、いまごろ女房の三味線に蹴躓いて汗なんか流して。これだけ言やあたくさんだろ・・・」と言って、背中を向けすすり泣く。雲右衛門は「お妻!」と言って立ち上がったが、後は無言のまま頭を垂れる他はなかった。
 二人の対話は、これを最後に交わされることはなかったのである。
  この場面こそが、この映画の真髄であり、男の弱さと女の強さ・逞しさが見事に浮き彫りされる、成瀬監督ならではの演出ではないだろうか。それまで、夫唱婦随の景色で、しおらしく見られていた曲師・お妻が、一転、立て板に水のような啖呵がほとばしる。細川ちか子の「鉄火肌」の片鱗も垣間見られて、この場面だけで、私は大いに満足できたのである。蛇足だが、千鳥役、千葉早智子の演技も冴えていた。芸妓から雲右衛門の新造に収納まり、初々しかった娘の景色に貫禄が加わる。世間の風評を意に介さず、弟子や番頭とも五分で渡り合い、お妻を見舞う素振りも見せながら、足りない責任はは雲右衛門におっかぶせるという姿勢は、成瀬監督が自家薬籠中の「女模様」に他ならない。女性映画の名手・成瀬巳喜男のモットーは、ここでも貫かれているのである。比べて、男性陣が繰り広げる様々な対立や葛藤は、所詮「小競り合い」に過ぎず、悲劇を装えば装うほど、喜劇的にならざるを得なかった。名優・藤原釜足が、電話口でお妻の訃報(臨終の様子)を聞き、「オレはこの年になって、それを聞こうとは思わなかった、早く電話を切ってくれ」と、涙ぐむ姿が、何よりもそのことを雄弁に物語っている。
 国威高揚の空気が強い当時において、その片棒を担がされる雲右衛門に、思い切り無様で無力な姿をダブらせようと試みる成瀬監督の「腕は鈍っていない」のである。拍手。
(2017.6.18)